Cadeau de NOEL (クリスマスの贈り物)
私の住んでいるマンションに「ラ・プラージュ」というレストランがある。
地中海料理と銘打っているが、フレンチからイタリアンまで幅広く提供しており、そのおしゃれな食卓は葉山の有名レストランとして、わざわざ遠くから食べに来る客はひきも切らない。
それほどのレストランなのに、私はほとんど利用することがない。
せいぜい数人の客が来て、狭い部屋に入れたくない、というより入りきれないときに、レストラン前のラウンジでコーヒーを注文するくらいで、決していい客とはいえない。
というのは、「ラ・プラージュ」があまりにも近すぎるからだ。
なにしろ同じ一階にあるので、私の部屋を出てわずか数歩。隣の部屋に行くような感じなので、わざわざディナーを、という気分にならない。
だからいつも少し申し訳ないような気持で「ラ・プラージュ」の前を通って外に食べに行く。
だが、今回は数日前からわざわざ予約までして「ラ・プラージュ」のテーブルに着くことになった。
なぜなら、私たちにとってこの夜が特別なひとときになるはずだから。
おそらくこれから先まで、ずっと忘れられないひと夜になるだろうから。
五時とはいえ、冬のこの時期はもうすっかり夜を迎えており、外は寒々と暗い。
「ラ・プラージュ」の小ぎれいな店内にも、白いテーブルクロスが鮮やかに広がるばかりなのが眩しいほどだ。
私たちふたりが最初の客。いや、毎日顔を合わせているマダムが、
「ずっとおふたりかもしれませんよ」
と、ほほ笑む。
それならそれで素晴らしいことではないか。誰にも妨げられず、記念するべきときを送れるのだから。
予約の時刻には早かったこともあって、みゆきは了解を得て店のラウンジに備え付けられているピアノを弾いた。
無人の店内に、ラウンジに、華やいだ調べが流れる。
みゆきも、この夜に心躍らせているようだ。
東京は青山山王に、「青山ジュウリーデザインスタジオ」という宝飾製作のオフィスがある。
「ジュエリー」ではなく、正しく「ジュウリー」としているところがさすがだが、その共同経営者であり、製作者でもある女性、山中美子さんは、みゆきの昔からの友達。みゆきが日本に帰ってからは、葉山にもときどき遊びに来るし、私も会ったこともある。
この美子さんが、みゆきにはがきを送ってきた。
今年の新作の展示会の案内で、もちろんみゆきに売りつけようとする気ではなく、友人知人に対する近況報告のようなものだったのだろう。
テーブルに置かれたそのはがきをなにげなく眺めていて、私はなにか心動かされるものを感じた。
そこに載っているブローチ、指輪のきらめき、佇まいが心に飛び込んできたのだった。
帰って、インターネットで「青山ジュウリーデザインスタジオ」を検索した。
レストラン「ラ・プラージュ」に戻ろう。
この夜を、みゆきとふたりの特別なときにしよう、ということを私たちは話していた。
なにが特別かといえば、この夜が少し早いクリスマスと、少し遅いみゆきの誕生日。ふたつを同時に祝おう。そのほうが楽しさも二重になるだろう。
そう話し合っていた。
シャンパンで乾杯。
いつものようにスプマンテ、プロセッコではなく、ヴーヴ・クリコ。
若い恋人のように目と目を合わせて、微笑みあい、若いふたりのように頷き合う。
こうなって、よかったね。
これからも、こうしていようね。
そして私は、上着のポケットからおもむろに小さな紙包みを取り出す。
掌の上で紙包みを開き、中で光っていた小さなものを二本の指に挟んでみゆきに差し出す。
「プレゼント」
山中美子さんの「青山ジュウリーデザインスタジオ」に注文して、高価なものだからと、美子さん自らがわざわざ葉山まで届けてくれた、ゴールドの指輪。
みゆきの眼は、大きく見開かれ、驚きに表情が止まる。
口が、
「きゃっ!」
という形になり、その顔はたちまち笑顔に変わった。
美しい、花のような笑顔が弾け、眼には涙が浮かぶ。
みゆきの形のいい薬指に、指輪を通し、その手をしばらくつかんだまま、私はいった。
「来年、ぼくは七十七歳になる。喜寿になる。喜寿にもなって結婚する男をどう思うって聞いたら、恰好いいって答えたね。だから、ぼくを格好いい男にしてほしい」
みゆきは涙の眼のまま、大きく頷いた。
この夜を特別な夜にする、これがみっつ目のわけだ。
みっつ目だが、いちばん大きな理由。
というわけで、年が明けたら私たちは結婚します。
喜寿婚、です。