夏の初め、浜の応援団
まさに青天の霹靂だった。ああ、びっくりした。
霹靂、ヘキレキ、とは雷、カミナリのこと。青空が広がり、明るく晴れ渡っていた空に、突然雷鳴が鳴り響くさま、とある。
このときは、空は晴れてはいたが雷は鳴り響かなかったので、ちょっと違うかな、とは思うが、別に、突然大音声が響くことをいう、ともあるのであながち間違いではない。
ともかくびっくりさせられたのです。
毎朝私は朝というか、未明の4時ごろには目を覚ます。
年寄りの早起き、ではなく、前夜のビールなどのせいでそのころにはトイレに起きてしまうし、ちょうど部屋の片隅にある犬用のトイレがしっかりと汚されているときなので、掃除とシーツ交換をしなければならず、寝続けていられない。
そのまま起きてしまうこともあるが、だいたいはもう一度寝なおす。そんな時間帯、2匹の犬は、まだで爆睡中なので、その2匹のあいだにくねくねと潜り込んでベッドに入る。2匹はびくともしないで、大いびきか安らかな寝息。私が彼らのベッドにお邪魔している感じだ。
といっていったん目を覚ましたのちに再び寝入るのは難しく、ほとんどの場合、ぼんやりと考え事をしたり、読みかけの本を改めて開いたり、2匹を起こさないようにしばらくの時間を過ごす。
セーテンのヘキレキは、そんなときに起こった。
7時過ぎといったときだった。
窓の外、バルコニーの外から、ドガーン!と、爆発音、ものすごい轟音が飛び込んできたのだ。
人民解放軍が攻め込んできたのか、北の国からのミサイルが炸裂したのか、というのは冗談だが、続いて耳をつんざくばかりのボワーン!と響いたのは大きな拡声器の暴発か。
ベッドから飛び起き、私を押さえつけていた2匹も跳ね飛ばされるようにベッドを降りた。というか、落ちた。
彼らもなにが起こったのかわからず、どうしたらいいのか困っているようすだった。ワンとも鳴かない、吠えない。
それでも大音声は続き、それが大きな太鼓と大きなラッパの響きであることが分かった。
応援団というか鼓笛隊というか、そんなグループがいま活動を始めた、といったところらしい。
窓辺に寄って、といってもわずか3歩の距離だが、ブラインドのあいだに指を入れて、隙間から外の様子をうかがう。モノマネ裕次郎のあのスタイルだ。
窓の外は森戸海岸。
森戸海岸の砂浜で、そのときなんとふた組の応援団が、それぞれ海に向かって太鼓を打ち鳴らしホーンを吠え鳴らしていた。
あまりの大音声で、窓のすぐ下で、しかも私の部屋に向かって叩き、吠えているのかと思っていたのだが、なんと彼らはベランダから30メートルは離れている波打ち際に、こちらに背を向け、海に向かって打ち鳴らしているではないか。それなのにこの大音声。もしこちらに向かっていたなら、ガラス窓は破れ、ベランダは崩れ落ち、中の人間は壁に叩きつけられ? そんなことはないか。
ベランダに出て詳しく眺めてみると、同じようなスタイルの応援団がふた組、左右に離れて活動している。
ガクラン姿の男たち20人弱。その前、つまり海側にノースリーブ、ミニスカート、アンヨ丸出しのオネェちゃん、じゃなかった、チアリーダー、日本でいうところのチアガールたち。 そのうしろ、左右に大きなホーンや大小の太鼓を抱えた楽団員たち。
そして一番海側に、ひとりだけこちらを向いた、鉢巻、ガクランの応援団長。大きく足を広げ、白手袋の両手を上下左右に振り上げ、降りおろし、たぶん「フレー、フレー!」と叫んでいる。
「フレー、フレー!ワセダ!」
そして、
「フレー、フレー!ホーセー!」
そう。早稲田大学と法政大学の応援団が競い合っている。
なにを応援しているのか。ただ応援ぶりだけを競っているのか。
彼らが向いている海の、はるか沖合に目を転じてみてわかった。
明るく晴れた海の先、富士山が遠くにかすむ沖合に、純白のセールをめいっぱい張ったヨット、ディンギーが30隻、40隻と浮かんでいる。あまりに遠いために動いているのか、浮かんでいるのかわからないが、そのヨットの群れに、彼らは応援のパワーを送り続けているのだった。
どうやら大学対抗、いまは早稲田VS法政のヨットレースが行われているらしかった。
ベランダから眺めているだけでもなかなか楽しい眺めではあったが、
「おれたちも行ってみるか?」
声をかけると、プーリーとドゥージーは、うんうん、と頷いた。行ってみたいよ。
2匹を連れて浜に出た。
いつものように少し離れた場所で浜に入ったので、遠くからわが住み家に近づいていくことになる。
そうしてみると、早稲田と法政のほかに、成蹊、日体大、専修、国横浜などのヨットも並んでおり、それぞれに学生たちは取りついているのだが、応援団の姿はない。あとからやってくるのか、この日のレースはないのか。
いつもわが部屋のすぐ前にいる日大は、この日だけ場所を譲ったのか、ずいぶん離れた砂浜で地味に船の手入れをしていた。
私たちが到着したころには、もうレースは遠くに行ってしまったらしく、応援団はそろそろおしまい、クールダウンといった感じになっている。
それでもまだ解散しているわけではないので、前を突っ切っても大丈夫かな、と気後れしたまま近づいていくと、法政の、白いユニフォームの女の子のひとり、
「わっ、可愛いーっ!」
プーリーに向かって叫び、団を抜けて駆け寄ってくるではないか。おいおい、大丈夫か。
プーリーはたちまち数人の応援団員に囲まれた。中には鼻下にひげを蓄えたガクランもいる。
プーリーは迷惑そうに、それでも得意そうに学生たちに撫でられ、構われている。
そんな男子学生のひとりが、私にいった。
「朝早くからお騒がせしました」
大学対抗のヨットレースで間違いなかった。
毎年この日を機に夏が始まり、10月、再びのときを最後に夏は終わるという。
「全然お騒がせじゃないよ」
私はいった。毎日でもやってくれよ、と。
だが私が狙いをつけた、脚の形のいい女子応援団員、チアリーダーは、プーリーのはるかうしろで尻込みしているドゥージーに関心を奪われていて、私の言葉を聞いてはいなかった。
「突然死」について書くつもりで、その予告までしたのに、この話になってしまった。やはり、そのテーマは書きにくいのかな。書きたくないのかな。でも、次回には、うーん、書くかな。