高価なチャールス・ショウ
プローみゆきさんが帰ってきた。
10日間のアメリカの旅だった。
グリーンカードの更新のためだったが、3年前まで住んでいたカリフォルニアの町で、昔からの友達や音楽仲間に会い、ホームコンサートを開いたり、バーベキューパーティを催したり、美術館を訪ねたり、充実した日々だったことは、送られてくるメールで伝わっていた。
だが、みゆきさんのいない森戸の海はやはりそこはかとなく寂しい。
浜で出会うイヌトモたちも、
「みゆきさんどうしてるかな」
「いつ帰ってくるんでしたっけ」
と何度もいい合っていたものだ。
そのみゆきさんから、
「いまサンフランシスコの空港です。羽田には深夜に着きます」
とのメールが来て、なんとなく自分の長い旅が終わったような気分になったのは、我ながらおかしい。
朝、浜に出ると、数匹の犬たちとその飼い主たちが砂浜に集まっていた。
イヌトモの輪。
その輪の中にひときわ大きな犬と、すらりと背の高い女性の姿が際立っている。
みゆきさんとスーちゃん。
走っていきたいのをこらえて、わざとゆっくり近づく。
たくさんの犬がいて、ドゥージーが怖がって歩こうとしないので、ひょいと抱き上げた。
私たちに気づいたみゆきさんは、
「あらーっ、テリーさん」
大声でいって群れから抜け出し、私をドゥージーごと大きくハグしてくれた。
「お帰り。楽しかったようですね」
「ただいま帰ってきましたよ」
しばらくそうしてから、みゆきさんは手にしていた細長い紙袋を、
「お土産です。中を見てみて」
手渡した。
袋の形からワインの類が入っているのは明らかだったが、そのワインボトルを半分ほど取り出してみて、ワオ! 思わず叫んだ。
チャールス・ショウ(Charles Show)。
「懐かしいなぁ。わざわざ買ってきてくれたんだ」
みゆきさんはにこにこ笑っている。
改めてお礼をいう。
「こんな高価なものをすみませんね」
みゆきさんも、
「ほんと。大出費でしたよ」
いってから、ふたりは大きく笑い合った。
周囲のひとたちに、その笑いの意味は分からない。不思議そうに見ている。
私とみゆきさんだけの秘密なのだから。
私が未紗とふたりでアメリカに渡ったのは、25年前。そうか、もう四半世紀にもなるのか。
プローみゆきさんが家族とともにアメリカに越したのは、そのさらに10年余りのちのこと。
北と南に遠く離れていたが、同じカリフォルニア。といってももちろんお互いにその存在を知る由もなかった。
そのカリフォルニアのいくつもの町に、トレーダー・ジョーズ(Trader Joes)というスーパーマーケットのチェーンがある。
一風変わったスーパーで、他所にないような品々が揃えられていて、ファンは多い。
そこで私が見つけたのが、チャールス・ショウというワインだったのだ。
大したワインではないんですよ。
飲んでもさほどおいしいわけではない。
よその家に招かれても、持っていけるほどのものではない。
問題は、その値段。
赤も白も、なんと1本、2ドル50セント。
私たちの滞在中に幾度か値上げがあったし、いまでは4ドル程度らしいが、それでも驚くべき安さ。
コスト・パフォーマンス以前のプライスだろう。
だから、当時のカリフォルニアの家には、客に出せる高級、中級のワインとは別に、毎日がぶがぶと水のように飲めるチャールス・ショウが必ず置かれていた。
ニューヨークに移っても、隣のニュージャージー州にトレーダー・ジョーズがオープンしたと聞き、2時間車を走らせて定期的に買い求めた。
1度の買い出しで、6ケースは買ったから、アメリカの15年間でどれほどのチャールス・ショウが私の中を通過したかしれない。私の血はチャールス・ショウでできていたのだ。
後年、みゆきさんと知り合い、お互いにカリフォルニアに住んでいたことを知ったとき、雑談の中でトレーダー・ジョーズとチャールス・ショウの話をして、ふたり大喜びした。
それを忘れずにわざわざトレーダー・ジョーズに立ち寄ってくれたのだった。
まったく1本4ドルもする高価なワインをありがとう。
もったいないからすぐには飲まないことにして、ボトルのまま未紗の祭壇に飾った。
未紗も、笑っていた。
翌日も2月とは思えない、のどかに暖かい日だった。
浜でみゆきさんに会う。
いつもの日常が戻ってきた。
散歩の途中で立ち寄る防波堤のコンクリートに、みゆきさんはスーちゃんを足もとに、私はドゥージーを膝の上に、もうひとりプーリーのリードを握ってペットシッターの治美さん。
3人と3匹は陽だまりの浜でなんということのない時間を送っていた。
みゆきさんのアメリカ話。
私の昔話。
治美さんは、留守中にお泊り、お預かりしていたスーちゃんがいい子だった話。
そんな井戸端会議(イヌバタ会議)にもう2匹が加わった。
Kさんという、たぶん歯医者さんに連れられた2匹のチワワ。
昨年から浜で見かけていたチワワで、いつもフリフリの可愛いドレスを着ていたが、あのころは1匹だけだった。いつのまにか倍になっている。
「これがソラで3歳。こっちがウサで6か月。美人姉妹です」
Kさんが親バカぶりを発揮する。
まったくひと怖じしない美人姉妹で、我々の足もとをおそろいのドレス姿でチョロチョロ動き回っている。
あまりにも小さいので、30倍もあるようなスーちゃんも、10倍ほどのプーリーも、ほかの犬が苦手なドゥージーも、呆れ返ったような感じでただただ見つめている。
そのうちみゆきさんが、お姉ちゃんのソラをひょいと胸の前に抱き上げた。
絵になる姿だった。
「ラファエロの『聖母子像』みたいだな」
我ながらうまいことをいう。
私もウサを抱き上げた。
私の膝にはすでにドゥージーがいるので、その上にウサを乗せる形。
軽い!
体重などまるでない羽根のかたまりのように、ウサはドゥージーの背に乗っていた。
ドゥージーは少し固くはなっていたが、怒りもせずにじっとしている。
「テリーさんがほかの犬を抱いたのを、初めて見ました。案外優しいんですね」
治美さんがいう。
案外は余計だろ。
森戸の浜は平和に続いている。
もうすぐ春ですねぇ。