小さなクリスマス
今日もまた犬の散歩の話から始めよう。
いまの私の生活が、毎朝の犬の散歩から始まっているので仕方がない。
散歩に出ようとして、狭い玄関ドアの前でプーリーとドゥージーにハーネスとリードをつけようとしていたとき、ふっと思いついてすぐ隣のシャワーとトイレのドアを開け、バスタオルや洗剤などをしまっている小さなキャビネットも開いた。
そこには、昨夜シャワーのあとで重ねたタオルの中から偶然発見した、1枚のバンダナがあった。
白地にグリーンの、ごく一般的な、どこにでも売っているバンダナだが、私自身それをいつ、どこで買ったのか、あるいはもらったのか覚えていない。
もしかしたら10年以上も前にアメリカで購入し、そのまま荷物に紛れ込んでいたものかもしれない。
その珍しくもないバンダナを三角に折って、なにをされるのか不安そうにしているプーリーの太い首に巻き付け、外に出た。
いつものように森戸海岸の長い浜を、山口治美さんと2匹の犬と歩く。
そこにはいつものイヌトモのみなさんがいる。
おはようございます。こんにちは。あーら、○○ちゃん。
おなじみの挨拶。
そんな中で、ふたりのイヌトモ夫人がプーリーのバンダナを見ていう。
「まぁ、クリスマスね。ぴったり、お似合いよ」
そう。私もうすうす気が付いていたが、バンダナのグリーンとハーネスの赤、それにプーリーの白っぽい身体が不思議にマッチして、見事なクリスマス・コーディネート。丸々とした体躯が、雪だるま風でもある。
そののちも、行きかう幾人かに、
「クリスマスですね」
「可愛いーっ!」
などといい続けられ、プーリーの奴、すっかりいい気分になったようだ。
その証拠にその日の夕方、2度目の散歩に出ようとすると、私の足もとにそのグリーンのバンダナをみずから咥えて運んできたのだった。
プーリーのバンダナは、次の日もその次の日も続き、たくさんのイヌトモに褒められたり、からかわれたりした。
中には面白がるあまり、プーリーとバンダナをいじりまくり、いろんな形にして遊ぶひともいて、写真のようなおかしなプーリーが次々に出現した。
これにはプーリーも、さすがに迷惑そうにしていたが、それでもまんざらでもなさげに、おとなしく写メに撮られていた。
プーリーにとっては、いいクリスマスシーズンになったようだ。
森戸の浜は犬たちにとって散歩天国で、天気のいい、暖かな午後には、端から端まで総勢20匹ほどの大小の犬たちが歩き回り、走り回っている。
その飼い主の多くが顔見知りで、ほとんどが治美さん経由の知り合いだが、親しく話しをするひともいる。
金井麻衣子さんもそのひとりで、いつも大きなゴールデン・リトリバーのハナちゃんを散歩させている。
うちの2匹の数倍はある大きなハナちゃんだが、
「この子はほんとうに臆病なんですよ。チワワみたいな小さな子に吠えられても、尻尾を巻いて隠れてしまうんです」
という。
その麻衣子さんが数日前にいった。
「今週末にワインの試飲会をしますので、いらっしゃいませんか」
金井麻衣子さんは、葉山に住む若奥さん。
ご主人はお勤めに出ているようだが、麻衣子さんは瀟洒な自宅の一部を使って「Pour Vous」という名でワインのセレクトショップを開いている。
みずから買い付けにいったり、ネットを駆使して調べて仕入れたりし、フランス、イタリア、スペインなどの赤白のワイン、スプマンテ、プロセッコなどを提供する小さな店で、ほとんどすべてのワインをBIOに特化しているのだが、そのおしゃれセンスの評判がよく、葉山に暮らす優雅なひとたちの人気を集めている。私もそのひとり。優雅なんだよ!!
その麻衣子さんに誘いを受けて、断るわけがない。
ふんわりとあたたかな午後、大きめなバッグを肩に、「Pour Vous」に出かけた。
歩いて10分あまりか。いつもなら車で行って幾本ものワインを積んで帰るのだが、試飲会なのでそうはいかない。
バス通りから少し入った、こぎれいな家々が立ち並ぶ住宅地の中ほどに「Pour Vous」はある。
玄関ドアから入るとそこはすぐにカウンターで、すでに数本のワインとグラスが並べられている。
カウンターの先が金井家のリビングルームで、そこで休んでいたハナちゃんが私を見て元気よく吠えながら走ってきた。走ってきたものの、怖がり屋さんらしく1メートル前で止まってワンワン。
この日のテイスティングは3本らしい。
いずれも赤で。右からフランス、イタリアはトスカーナ、そしてアオスタの産。
少し口に含んで、口内で転がして、香りと味わいを感じる。
麻衣子さんの説明と私の感性が一致したり、ちょっと合わなかったりしたが、私はトスカーナとアオスタの2種を選んだ。フランスは、爽やかすぎる。軽すぎる。
トスカーナの「PACINA」は、ラベルにシエナの地名がある。それなら本来はキャンティに属するワインだろうが、必ず防腐剤を入れなければならないという方針に反してBIOのまま出しているため、キャンティを名乗れないのだという。
それはそれでなんの問題もないのだが、ひと口含んでみて驚いた。
はっきりいって、品がない。
優雅、風格、まろやかさ、フルーティなどといった言葉と大きくかけ離れて、野趣溢れるというか、獣臭いというか、ワイルドというか。
カリフォルニア、ナパ・ヴァレー。ボン・ジョビのひとつにWet Dogと呼ばれる赤があったのを思いだいた。
「わたしたちからすれば、少々かけ離れたワインでしょうね
麻衣子さんは、お嫌ならいいんですよ、といった気配でいうが、私の心はこのワインに傾いていた。
「ジビエに合いますね。自宅でジビエが無理なら、スパイスやハーブをたっぷり使った肉料理。下品にモツ料理。豚足なんかにもいいかもしれない。ゴルゴンツォーラの皮の部分と合わせてみたい」
これ、ください。
そしてもう1種。アオスタ州の赤で、その名も「VALLEE D‘AOSTE」。
これはトスカーナほど衝撃的ではないが、やはりワイルド系。
もしクリスマスに、格好をつけたお嬢さんとでも食事ということになったら、この1杯で衝撃を味合わせてやるのも面白い。もしそういうチャンスがあれば、ですよ。
そのときトスカーナでは、ショックが多すぎるだろうな。
というわけで2種のワインを購入したのだが、帰るときに麻衣子さんがいった。
「みゆきさんも、このトスカーナがとっても気に入ってくださいました」
えーっ! あの美と気品と芸術のミューズの、プローみゆきさんが?
帰宅して、写真の未紗にこの日の重なる驚きを報告していて、またひとつ思いついた。
未紗にもクリスマスの飾りをしてやらなければならない。
未紗の写真を下ろし、しまってあったネックレスを取り出す。
ネックレスというよりチョーカーというのか、いくつもの色とりどりの装飾石を連ねたアクセサリー。昔風に「首飾り」というほうがぴったりする。
それを首にではなく、写真の顔をなぞるように掛けた。
未紗が、恥ずかしそうに微笑んだようだ。
このアクセサリー、ソニア・リキエル・デザイン。
2年前、未紗が施設に入って最初のクリスマスのころ、数着のシャツ、セーター、ブラウス、ロングなワンピースなどとともに、銀座のソニア・ショップで買ってきたものだ。
施設にいる限り、このようなおしゃれをすることはあり得ない。
一生、身に着けることはないだろう。
それを承知の上での、私からの贈り物だった。
未紗は、その品々をベッドに並べ、ありがとう、といった。
あとで聞くと、施設の従業員の女性たちにも見せびらかしていたそうだ。
若いころからソニア・リキエルが好きな未紗だった。
パリに行くたびに、サンジェルマン・デ・プレのソニアのショップに必ず寄って、いくばくかの買い物をした。
パリの、ノエルの夜にも行ったかもしれない。
だからいま、そのソニアで未紗を飾る。
Joyeux Noel!
Merry Cristmas!