プーリーの革命と深まる謎
犬の散歩は、このところ日に2回となっている。朝は9時から、午後は4時から、それぞれ1時間。
すっかり寒くなったので、これでは午前も午後も散歩には向いていない。昼前後が最適だと思うのだが、ペットシッターの山口治美さんはこのほうがいいという。
うちのほかにもいくつもの散歩や食事、掃除などの仕事を抱えているので、時間を自由に変えることができないらしいのだが、
「プーリーとドゥージーだけでなく、テリーさんの散歩でもあるんですからね」
と、なんとなくいいくるめられてしまった。
「それに、午後の散歩のあと、エスメラルダの直行できるでしょう」
私の弱点をよく知っている。
というわけで、日に2回の散歩が続いているのだが、それに私が一緒に歩いているのには、2匹の性格の違いが大きく関わっている。
以前にも書いたが、プーリーもドゥージーも全くのマイペース。飼い主やもう片方に合わせようなどという気はまるでない。
外に出たら最後、自由勝手に走り回り、自分がリードで繋がれているのが気に入らず、そのリードに飛びかかり、噛みつき、引き離そうとする。
その姿は、飛び上がって宙返り、を繰り返し、ふざけて遊んでいるように見え、浜を歩いているひとたちの笑いを誘うのだが、リードを引いている側としては大迷惑。
逆にドゥージーはといえば、甘えん坊のくせに怖がり。いわゆるビビリ犬で、よその犬が近づいてくると、それが自分よりうんと小さな犬であっても、怖がって歩かない。
はるか遠くによそ犬が見えるだけで、もう動かない。
犬でなく、小さな子供たちが走り回ったり、はしゃいでいたりしても同じ。
リードを引っ張っても頑固に固まっているので、仕方なく私が抱き上げて、よそ犬や子供たちという障害物を通り過ぎなければならない。散歩のほとんどの時間が抱っこ、ということさえ少なくない。
以前は私ひとりでこんな厄介な散歩をこなしていたのだが、4か月ほど前から、治美さんに一緒に歩いてもらうようになった。
未紗が入院していたころは、私が病院に詰めていたので、散歩や掃除を治美さんに頼んでいた。
未紗が逝っても、私が引きこもりに入っていて、散歩はやはり治美さん、という時期がしばらく続いたが、プロの治美さんでも、うちの2匹の性格の違いには苦労していたようだ。
やがて私がいくらか自分を取り戻し、少しの時間なら未紗と離れていられるようになり、散歩にも付き合えるようになった。
そして日に2時間、浜を歩くことで、私の体調もよくなってきたのだ。
酒量は変わらず、というより以前よりさらに増え、休肝日もなくなっているのに、二日酔いがほとんどない。
治美さんにはシッター代を3匹分払わなければならないくらいだが、エスメラルダでの夕食代でチャラにしてもらっている。
そんな散歩の日々に、小さな、いや、プーリーにとっては革命的な変化が訪れている。
治美さんが、短いチェーンを買ってきた。犬の訓練士、調教師が使うもので、首輪として装着し、吠え癖、ダッシュ癖、駆け回り癖などを抑え、犬を自由に扱えるようにするという。
「トレーニング・チェーンとでもいうのかな。馬のハミのようなものなんだ」
治美さんは答えない。知らないんだ。無駄な質問でした。
プーリーがこんなもので変わるはずがないじゃないか、と思っていたのだが、チェーンの威力、恐るべし。
チェーン装着プーリーは、なんと治美さんのすぐ横を、治美さんの歩調に合わせてすたすたと歩いているではないか。リードに噛みついて宙返りしたり、ダーッと駈け出したりという暴挙は見られない。
ごくたまに抑えられていた本性が現れて、うーっ、ワン! となりかけても、治美さんがちょっとリードを引くだけで、すぐおとなしくなり、まっすぐ前を向いて素直に歩き始める。
プーリーが変わった。
感動のひとときであった。
次は、ドゥージーノビビリ、抱っこ、はなんとかならないものか。
治美さん、なんとかして。
「なんとかなったら、テリーさん、散歩に出なくなるでしょう。駄目です」
この山口治美さん、いま大きなことを始めようとしている。いや、もうほとんど始まっている。
もともと葉山に住んで、ペットシッターとして忙しくしながら、自分でも7頭もの犬を飼い、世話をしていたのだが、今度はそれをさらにスケールアップさせ、少し離れた横須賀市のこちらの外れ、秋谷というところにペットホテルを建てたのだ。
そこに自分の犬と預かり犬たちを暮させ、これまで以上に散歩、食事、掃除のペットシッティングを続けるという。
大丈夫かいな、とも思えるが、
「わたし、病気、できないですね」
といいつつも、
「アシスタントも探しますし、娘にも手伝ってもらいます。頑張るしかありませんから」
たくさんの客やイヌトモたちも応援してくれるという。
頑張りなさいな。おじさんは頑張らないけど。
この治美さんのことは、去年の秋にも書いた。
ひとりで暮らしている私が、部屋で倒れたり、突然死したら、誰も気づいてくれない。犬たちも飢えるよりない。
だから、いつも森戸海岸を犬と歩いている治美さんに、ワンギリでいいから日に1度電話をくれて、返しのワンギリがないときには、様子を見に来てほしい。
そんなお願いをするつもりだ、と書いたはずだ。
それが縁で、今日に至っているのだが、あのとき私は、治美さんのことを「N×治美さん」と書いた。本人がそういったから。
だが、いまは「山口治美さん」。
N×、が、山口、に変わっている。
うーん。謎は深まるばかりであります。