やがておかしき祭かな
遠くの海で発生し、遠くの空を通り過ぎて、いまや台風でさえなくなっている低気圧だが、その影響で、葉山の空はめまぐるしく変わる。
朝早くには激しい雨だったが、犬の散歩を諦めて、テレビでメジャーリーグの野球を眺めているうちに、窓の外の浜には残暑の太陽が降り注いでいた。
そんな中、ここ森戸神社にやってきたのだが、またいつ降り出すかわからない。つい先ほども、晴れた空から如雨露で降り注いだかのような雨が、空気を湿らせたばかり。
だが、天候の気まぐれをいっさい気にすることもなく、境内からは、次々に祭神輿が繰り出していく。
森戸、真名瀬(しんなせ)、あずま、といったそれぞれの町名を誇らしげに掲げた神輿は、
おーせ! おーせ!
わっしょ! わっしょ!
せーや! せーや!
独自の掛け声を揃え、大きな鳥居をくぐっていく。
私たちも、その後を追って境内を出る。
神社の前のバス通りは、この時間、もちろん通行止め。
道沿いの家々、商店の前、窓には、見物のひとの顔。
神輿はやがて浜に出る。
森戸海岸。
私たちが毎日、朝、夕に犬を連れて歩く浜。
その浜を、今日はいくつもの神輿が、練り歩く。神輿の向こうに、眩しい日差しを受けた海が広がり、振り向けば私の住む建物がたたずんでいる。
おーせ! おーせ!
わっしょ! わっしょ!
せーや! せーや!
海からの熱風が通り過ぎる。
森戸神社の祭りの盛大さは、かねてより知られていた。
だが、私自身がこうして参加、見物することになろうとは思ってもいなかった。
葉山に越してきたのは6年前のことだが、当初は、少し離れた一色というところに住んでいたことと、未紗が病弱だったため、この祭りに来ることはなかった。炎天下、ひと群れの中を歩くなど、考えたこともなかったのだ。
3年前、未紗が森戸近くの施設に入っても、私は一色の家にいたので、通行禁止の森戸に来ることはできず、諦めた。
ただ、未紗の入居後しばらくたって、祭神輿のひとつが、未紗の施設の玄関前の広場に来て、練ってくれるというので、前日、
「係のお姉さんに連れて行ってもらうんだよ。明日、どうだったか教えてね」
といいおいて帰ったのだが、翌日ケアマネージャーに尋ねると、
「見たくないから、いいです」
と、部屋から出なかったそうだ。
その翌年、つまり一昨年には、私もいまの部屋に移ってきていたので、歩いて施設に行き、神輿が来る時間に、未紗を連れて玄関先まで降りてみた。
幾人もの入居者たちに混じって、ベンチに坐って神輿を迎えたのだが、練ってくれた15分ほどのあいだ、未紗は神輿を見るともなく、力のない視線をただ漂わせていた。
そのころの未紗には、もう生きる力も消え始めていたのかもしれない。
施設から帰った夜、開け放った窓から、森戸神社境内の夜店のざわめき、仮設ステージかららしい歌声などが聞こえてきたが、出ていく気にもならず、私はただぐったりとしていた。
連日の施設通いと猛暑のせいで、軽い熱中症に罹っていたのかもしれない。
昨年の祭りのころ、私はひとりだった。
未紗を失って2か月余り、私は限りなくひとりだった。
自分を「引きこもり老人」と呼んで、必要のない外出は完全に控え、夏のあいだだけは、犬の散歩のついでに立ち寄る海の家、ノアノアでも、ただ黙ってビールを飲み、黙って帰る。
話し相手は、犬だけだった。
そんな私を見かねてか、ペットシッターの治美さんが、祭のTシャツを買ってきて、
「お祭りですよ。浜に出ましょう」
誘ってくれた。
仕方なく、犬と一緒に浜に出たが、祭から遠く離れたところを少し歩いただけで、帰ってしまった。
すぐ近くいても、森戸の祭りは、私から遠い存在でしなかったのだ。
だが、いま私は、私たちは、祭の中にいる。最中にいる。
みゆきさんとふたり、神輿のあとを追い歩き、日差しを浴び、雨を浴び、行きかうひとたちと声を掛け合い、笑い合い。
夜もまた、森戸神社にやってきた。
雨で少々ぬかるんでいてもお構いなく、夜店の小さな椅子に坐って、生ビールを重ね、たこ焼きをほおばり、焼き鳥を食らう。
いつもは犬の散歩ですれ違うひとたちが、ここでも行きかい、声をかけてくる。
これまで、挨拶以外に話したことのないひとたちも、みゆきさんがそばにいるためか、私にも笑いかける。
「みんな、テリーとお話ししたいのよ」
私はいま、生き返ってきたのか。