ツバメに感謝、子犬に感謝
愛させてくれて、感謝
エスメラルダのテラス席。毎日、私がしばらくのときを過ごす場所だが、その天井の一角にツバメが巣を作りそうだ。
このところ、季節の移り変わりを知らせるように数羽のツバメが、浜近くの家々の軒並み低く泳ぐように舞っていたが、新しく巣作りをする場所を探していたことは、すぐに見てとれた。
エスメラルダや隣のサンドイッチ店のテラス席の奥深くまで入ってきて、壁飾りやボールトに止まってはすぐに離れたり、そこいらをつついてみたり、忙しく新居作りにトライしていた。
そしてこの夜、ふと見上げると、天井近くに矢ケ崎オーナーが取り付けた小さな棚に、1羽のツバメが止まっていたのだ。
そこに巣を作り始めたのでなく、まるで置物のように小さな体をさらに小さくして、じっと身をすくませている。
どうやら、巣の場所を探して飛び回っているうちに夜を迎えてしまい、帰るに帰れず、そこに留まっているようだ。
朝になって、連れツバメもやってきて、そこに新しく巣を作ってくれればいいのにな。
エスメラルダとしては迷惑なことかもしれないが、その棚に作られた巣が、やがて数羽ものヒナツバメに溢れかえり、ピーピー鳴き騒ぐ光景を待っていたい。そう思った。
そのツバメたちのために、巣の下にあたる席のひとつくらい犠牲にしてくれる矢ケ崎オーナーであってほしい。
私たちが葉山に越してきて、その2回目の5月、私が「ゴヨーテー」と呼んでいた我が家の玄関の軒下に、ツバメが巣を作った
そのうち卵を産み、卵を温め、やがてヒナたちが生まれた。
毎日毎日、ツバメを驚かさないように、巣を覗き見て、5羽のヒナたちの成長を見守っていた。
あるときは、小さな、まだ羽も生えていない、虫けらのようなヒナが玄関マットの上に落ちていたのを、そっと拾い上げ、脚立を使って巣に戻したこともあった。
そのヒナは、当然駄目だろうな、と思っていたが、巣の中のヒナは、5羽全員無事に大きく育ってくれたのだ。
親ツバメより大きな顔になったヒナたちは、まるで歌舞伎役者の隈取のようなその顔をそろえて、親から餌をもらおうと、元気いっぱいに騒ぎ立てる。
そのようすを写真に収めたところ、そのユーモラスで迫力あふれる絵を、未紗が大いに気に入って、たくさんの友達に送りまくっていた。
そして施設にはいってからも、この季節になると、水彩画、絵手紙などにそのツバメたちを描いてみんなに見せていたものだ。
エスメラルダの天井に、あの姿が再び現れるだろうか。
イタリアにウンベルト・サバという詩人がいた。
イタリアといってもヴェネツィアよりももっと北、アドリア海の奥に面した小さな町、トリエステのひとだが、そのサバの詩に次の一節がある。
きみは似ている、春に
帰ってくるツバメに。
でも、秋には行ってしまう。
ただ、きみに、あの芸はない。
きみが、ツバメとおなじなのは、
かろやかな、身のこなし。
それは、老いを感じてもう長い
このぼくに告げてくれる、ふたたびの春。
(訳・須賀敦子)
長い詩の一部だが、この詩のタイトルは、
『妻に』
となっている。
未紗は、もう帰ってこない。
朝起きると、ひとり寝のベッドには、プーリーとドゥージーが乗っている。
私を中にして、川の字、といいたいが、サイズのバランスが悪く、とても「川」とはいえない。
左右に2匹がいる図を上から見ると、「リッシンベン」かな。
ときには、なんというのか。「状態」の「状」の字の左の偏。
2匹はだいたい爆睡中。2匹とも気持ちよさそうにいびきをかいている。
私の好きな時間帯。
身動きも取れないが、2匹の重みを、ぬくもりを感じ、心の中で呼びかける。
ありがとう。
そう。感謝の思いだ。
愛させてくれてありがとう。
愛とは、感謝の心。このごろそう思うようになった。
未紗との暮らしが、40年以上続き、未紗の死がなければ、さらに続いていたことを思うと、お互いが感謝の念を抱き続けていたからだろうと思う。
愛させてくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。
まだまだ明るい夕刻、プーリーとドゥージーを連れて浜に出る。
浜を歩いていると、1匹の子犬に出会った。
プーリーと同じフレンチブルドッグだが、4分の1ほどの大きさ。まだ生後4か月だ。
このフレンチ赤ちゃん、たまらなく可愛い。
前に会ったのは1か月前だったが、もっともっと小さかった。これでも、ひと月で見違えるほど大きくなっている。
名前はなぜか、サルちゃん。
わけは聞いたはずだが、忘れた。
ともかく可愛い。
自分よりはるかに巨大なプーリーにもまるで物怖じせず、追いかけて匂いをかぎ、タッチを繰り返し、ときには小さな声で、ワン、と吠える。
プーリーは、どうしていいかわからず、困り果てている様子だ。
ドゥージーをサルちゃんの前におろしてみた。
ドゥージーは、こんな小さな相手にも、怖がって、固まってしまう。
サルちゃんは、それにも構わず、ドゥージーにも次々に「遊ぼうよ」攻撃をかけてくる。
このサルちゃんもまた、「愛されるために」生まれてきたに違いない。
連休に入って間もなく、あるイベントに出かけた。
前回紹介した「葉山芸術祭」のひとつで、
葉山DAY
は、葉山町の、福祉文化会館、を借りて行われる催し物で、午前の部は地元選出の政治家、評論家による時局講演会。
そして午後は、「葉山における芸術資源」と名付けて音楽、文学、美術、建築の、それぞれ演奏、朗読、講演。
私が目的としたのは、その中の音楽。
琴とヴァイオリンによる、宮城道雄作曲「春の海」。
ピアノで、ショパン「ノクターン」。
やはりピアノで。ドビッシー「水の反映」。
この難曲「水の反映」を弾くのが、わが友、プローみゆきさん。
暑い日差しの中、濃紺のブレザーなどを一着に及んで、開演前の練習から駆けつけたわけだ。
騒がしい連休中の葉山にあって、静かな、そして愛に満ちたひとときではあった。
誰かを、愛していたい。