なにもしない。誰もいない。
なにもしない日々が続いている。
連日信じられないほどの暑さなので、高齢者には熱中症の危険性が高いといわれて、外出を控えていることもあるが、未紗が逝ってからというもの、なにもする気にならない。どこに行く気にもならない。
終日部屋にいて、プーリーとドゥージーを左右に置き、キャビネットの祭壇の未紗の写真を見上げ、見降ろされ、している。
そんな日々。
夕方、いくらかは暑さが去っていく5時半ごろ、ペットシッターの女性がやってきて、一緒に浜に散歩に出る。
このころには元気いっぱいの海水浴客たちも少なくなっていて、待ち構えていた近所の犬たちもどっと繰り出してくるので、顔見知り犬とすれ違い、並んで、あるいは前後してのサンセットビーチというわけだ。
去年の夏は、私ひとりが2匹を連れての散歩だったのだが、今年からペットシッターの山口さんが一緒。
なぜかといえば、未紗が入院していた4カ月間、私が散歩に連れ出せないことも多かったので、山口さんに頼んでいたのだが、私にあり余る時間ができてもお願いを続けている。
あ、そうだ。ずっと前にこの場に書いたことだが、ひとり暮らし老人の私が、いつ突然死するかわからないので、1日1回、ワン切り電話をかけてきて、1時間以内のワン切り返事がなかったら見に来てほしい、ということを頼んだ女性だ。山口さん自身、ペットシッターとしてばかりでなく、自分でも6匹もの犬を飼っているので、日に数回は森戸海岸あたりを散歩させている。
山口さんとふたりで散歩させるようになって、なぜ最初からそうしなかったのかと思う。
うちの2匹は、生まれてすぐから一緒に育っているのに、やはり犬種の違いからか、性格も動きも対照的だ。
プーリーのほうはフレンチブルドッグそのもので、ともかく活発。狭い部屋の中でも端から端まで走り回っているし、散歩に出ても、いっときたりともじっとしていない。ブーメランのように、長いヨーヨーのようにダッシュ・アンド・リターンを繰り返す。
一方のドゥージーはこれまたダックスフントの特性か、ちょこちょこと短い足で歩くのだが、気が向かないと坐りこんで歩かないし、前から大きな犬が来たりすると、抱っこしてくれるまで動かない。
だから本当は、こんな2匹をひとりで歩かせるのは難しいのに、それを叱ったりなだめたりしながらやっていたわけだ。山口さんが来てくれるようになってほんとうによかった。
山口さんは、もう大学生の娘さんもいる女性なのだが、根っからの犬好き。だから6匹も自分犬を飼っているし、森戸海岸ばかりではなく近隣の飼い犬たち全員にも慕われ、懐かれ、その飼い主たちにも信頼され、頼られている。
浜の端から端まで、まだ残っている水着の男女たちの中をふたりと2匹で歩き、あるところ近くまで来ると、2匹の目の色が変わってくる。
それまで勝手気ままに走り回っていたプーリーも、いやいや、というか、しょうがないな、といった感じで歩いていたドゥージーも、リードをぐいぐい引いてある目的に突進し始める。
そのときには、近くにほかの犬がいようが、ビキニのおねぇさんに、
「キャッ、可愛い!おいで、おいで」
と声をかけられようが、一切振り向きもせずにまっしぐら。
そう。ノアノアめざし一目散、なのだ。
ノアノア(NOA NOA)は、私の部屋のすぐ前にある海の家。
去年の夏、つまり森戸海岸の初めての夏から、私たちが毎日立ち寄る場所になっている。
私たちが入ってどこかのテーブルに着くや、なにもいわないでも2匹用の水飲みボウルと、私の生ビールがやってくる。
ここのところこの席に山口さんも参加してくれるようになったが、彼女の仕事はここまで、次のお客犬の散歩のためにバイバイと去っていく。
といっても、20分もしないうちに、ほかの犬を連れた山口さんが目の前を通っていくことも少なくない。つまり私のビールが続いている、ということでもある。
私はまだ飲み続けていたいのだが、犬たちのおしっこの我慢が限界近くなってくるので、仕方なくノアノアを出る。出たその場の砂浜で、あるいはこともあろうにノアノアの立て看板に向かって、2匹は放出。私は気がつかないふりをしてその場を離れる。これも日課のひとつだ。
部屋に帰って、2匹に用意してある食事を与え、私はシャワーを浴び、軽いつまみ程度の食事と、またまたビール。
テレビに向かって、ということは未紗の祭壇に向かって、夜の時間を過ごす。
今日もなにもしなかったな。