新しい生命の力を

またふたりで出かけた。

新しい生命の力をだが、いつものように、食事だ、音楽だ、美術だ、買い物だ、と違って、いくらかの緊張感を持ってのお出かけ。

私には、この先なにが待っているのだろうか、という、いささかの不安があり、みゆきさんには逆にこれから起こること、始まろうとしていることへの期待。成り行きを楽しんでいるような、弾んだ気分が感じられる。

「おにぎり作ってきたから、向こうか、帰りの電車で食べましょうね」

遠足気分でいる。

私は、遠足どころではない。

刑場に引かれる咎人のように、とはいい過ぎに決まっているが、この日の目的は整体医院。治療、施術を受けるのは、私ひとり。みゆきさんは、付き添いというか、幼い子供をクリニックに連れていくママのようなものなのだ。

 

葉山からバスで新逗子へ。京急。上大岡で乗り継いで、東京は品川。

うらうらとあたたかい品川の広い道に沿って10分ほど歩き、

「ここよ」

大きなビル群に挟まれた、思いがけず小さな建物の2階に、
むつう整体

の看板を掲げた医院はある。

エレベーターを上がり、「むつう整体」のドアを開けるとそこはすぐに診療室。

黒いユニフォームの施術者というか、アシスタントというか、若い男女が数人立ち働いており、その間に患者らしいひとたちが、あるいは坐り、あるいは立ったまま施術を受けている。

それほどのひとがいながら、そこにはざわめきはなく、しんと静まりかえった透明な気配が漂っている。

背を押されるように、受付に向かうが、なにもいわずにいる私に代わってみゆきさんがすべて説明する。

「電話でお話ししたひとです。今日はお試しというか、どういった整体かを知ってもらうためにお連れしました」

そう。

みゆきさんが、ほぼ強引に私を連れてきたのだ。

 

新しい生命の力をここ数年間、私は慢性の肩こり腰痛に悩まされている。

自分では、40肩かもしれないなどとふざけているが、本心はそれどころではない。なんとかならないものかと、街の整骨院、整体、マッサージなどに通ってみたものの、一時的にはよくなっても、すぐにぶり返す。

もう一生このままかな。それほど長くない先だから、それでもいいか。

そんな気持ちにもなってきていた。

会うたびに、肩が凝る、腰が痛い、といってばかりの「老いたる恋人」に、みゆきさんは、ここ「むつう整体」のことを話した。

 

20年も前、アメリカに行くはるか前のこと、まだ小さかった子供たちの育児や、ある悩み事を抱えて睡眠不足、不眠症に苦しんでいたとき、紹介されて半信半疑で訪れたのが「むつう整体」。

効果は抜群だったという。

不眠症はたちまち治り、健康を取り戻したみゆきさんは、それ以来ここに通い続けている。アメリカに住んでいた8年間にも、年に1、2回日本に帰るたびに足を運んでいたという。

「なにも特別なこと、激しいことをするわけじゃないの。身体のゆがみを直して、全身をまっすぐにして、正しい生命力というか、自然治癒力を強める」

全身に正しい「気」を通して、体の中の悪い「気」を外に吐き出す。

いわば、いま流行りのデトックスのようなものだろうか。

「だからテリーにもぜひ行ってほしいの」
という。

「騙されたと思って行ってほしい。もし気に入らなければ、1回でやめればいい。ね、行って。行こう」

私のために、という目でいわれると、断れるはずがない。

「だいたいぼくはね、「気」なんてものを信じていないんだよ。みゆきも知っているだろう」

といいながら、

「じゃ、1回だけね」

というわけで、やって来ました「むつう整体」

 

新しい生命の力をカーテンで仕切られ、中に小さなベッドが一つあるだけの部屋で着替えさせられる。
「時計、アクセサリー、眼鏡は全部はずしてください。身体を締め付けている下着、靴下も」

スッポンポンにされちゃったよ。

それから、備え付けのパジャマに着替え、センターに縦にラインを引いたネットの前に立たされ、正面、横と、体のゆがみをチェックされる。

この「むつう整体」の代表者であり、この療法の創始者でもある木村仁師が、ネットの前に立ち、

「アール3、エル2」

などと数値を伝え、黒シャツのアシスタントが控える。

ベッドに戻り、黒シャツと木村師が身体のゆがみを正す。

といっても、街の整骨院などと違って、骨をコキンと鳴らしたり、イタタタとされたりすることはなく、高めの、なにやら仕掛けのある枕に横向きで頭を乗せ、

「しばらく動かないでください」

という程度。

このようすをみゆきさんがカメラに収めていたのだが、あとで、

「女性のアシスタントさんにいわれちゃったわ。あのひと、みゆきさんが動くと、そのほうに顔を向けて、すぐ動いちゃうんですよ。困りますって」

 

そののち、再びゆがみのチェックをしてベッドに戻り、

「1時間ほどゆっくり休んでください」

これでおしまい。

カーテンの隣から、軽い寝息が聞こえる中で、私は眠れなかったが、どこかにすーっとはいっていくような、妙に快適なときを迎えていた。

みゆきさんが木村師と話す小さな声が聞こえてくる。

 

「むつう整体」の、この療法というか施術は、正しくは「イネイト療法」という。

この日の施術のあと、木村師に聞いた話と、持ち帰った説明資料を基に紹介しよう。

 

新しい生命の力を人間とは、本来自然の存在であり、持って生まれた生命力がある。

誕生し、成長し、成人し、また新たな生命を生み出す。

風邪を引いてもほとんどのひとが自然に治り、傷を負っても自然にふさがる。これが自然治癒力であり、生命力。

これを「自然なる力(イン・ネイチャー)」の派生語で「イネイト」という。

 

「イネイト」は脳幹から発生し、骨髄を介して全身の各機関に伝達されるが、背骨にゆがみがあるとその伝達は妨げられ、健康レベルが低下し、さまざまな不調が現れてくる。

そこで木村師が開発したスーパーアディオという、脳幹と同じ波動を持つ道具を共鳴させ、背骨の1番目と2番目の骨、上部頸椎を調整し、体のゆがみを整える。

私にも与えられた高い枕が、このスーパーアディオだったのだ。

 

「今日の1回だけでも効果は出ますよ。しばらく期待していてください。身体のあちこちが変わってきます」

必ずしも気分のいいものではないが、という。

汗をかいたり、下痢をしたり、手足に軽い痺れが走ったり。

「それが、身体の中の悪いものを吐き出している証拠なのです」

私の場合、翌日から妙にくしゃみが続くようになり、この年で花粉症か、と思ったが、みゆきさんにいわせると、それがイネイト効果だそうだ。

ほんとうかな。

 

未紗がいなくなってからというもの、いつ死んでもいい、と思っていた。

だって、生きてたってしょうがないじゃないか。

未紗とふたり、40年余り生きてきて、おしまいのほぼ10年間は未紗の闘病、私の介護のときだったが、それでもふたりは満ち足りていた。充分に生きてきた。

だから、もういい。

いつ死んでもいい。

 

新しい生命の力をしかし、いまは、この1年、この半年、

もっと生きていたい。

そんな気持ちに変わってきた。

みゆきとなら、生きていてもいいんじゃないか。楽しいんじゃないか。笑っていられるんじゃないか。

そのために、新しい生命力が得られるのなら、それを手にしようとするのは、いいことではないか。

自分の残りの人生が、どれほど幸せなものになるか。

みゆきのこれから先を、しあわせなものにしてやれるか。しあわせな人生を残してあげられるか。

それを考えるようになったのだ。

 

帰った翌日、ハクション、ハクションの合間、私は「むつう整体」に電話をかけて、次の予約を取った。次の次も取った。

 

 新しい生命の力を

 

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