40年余り昔
前回シーサイド葉山の昔話を書いたが、その文章のおしまいにちょっと不思議な絵が突然現れた。
ひとりの男が寝そべっている、絵というかスケッチというか、そんなカットだったが、なんの説明もないので奇妙の感じたひともいたと思う。
実はあれは未紗の描いた絵なのだ。
といっても、このページやほかの場所で未紗の絵を見てくれたことのあるひとには、これまたおかしな印象を持たれるかもしれない。明らかに作風が違うではないか、と。
そう。その通り。実はあれは未紗が大昔に描いたもの。
作風が変わったのではなく、あのようなデッサン風、クロッキー風なものも描いていたということ。いまのようなちょっとメルヘン風なイラストやカットは、おもに週刊誌などに私が書いていた文章に添えるために描き、どこにも発表するつもりのない場合には、ああした絵も描いていたのだ。
それがなぜ今ごろこのページに現れてきたかといえば、未紗が施設に入ったことで、私がその施設に近いこのシーサイド葉山に移ったことが原因。
移転に当たり多くのものを処分、整理したが、その片付けの中、書棚の奥に赤い表紙の見るからに古めかしいあのスケッチブックを見つけた。
へえ、こんなものがまだあったんだ。と、驚くやら懐かしむやら、思わず仕事の手を休め、床に坐りこんで見直した。
そして当然、未紗にも見せに施設に持っていったのだが、未紗も昔そんな絵を残していたことなどすっかり忘れていて、
「なに、これ」
などといっていたが、ページをめくるにつれてそれらを描いた時代が思い出されてきたらしく、そばに私がいることも忘れたように長いあいだ自分の絵を見つめていた。そして、ぽつんとつぶやいた。
「あのころ、ねぇ」
スケッチブックには30枚ほどの絵が収められているが、数点を除いてすべて未紗が私を描いたものだ。ぼんやりしている私。喫茶店で休んでいる私。煙草を吸っている私。どこかの観光地、古寺の境内らしきところを歩いている私。
その中に数点だけだが、明らかに雰囲気の違う人物絵は、逆に私が未紗を描いたものが入っている。
中のひとつに未紗が日時を書きこんだ絵があって、72年1月とある。
1972年。
そうか。あのとき私はまだ31歳だったのか。
パリの教会で数人の友人に囲まれて結婚したのが、翌年の11月だったので、そのときは赤坂のリキマンションの一室で、あまり多くには知らせずに暮らしていた。
そしてそんな中、真冬の京都、北陸を旅した。
私たちはそのころからいまにいたるまで、旅先で記念写真を撮ることは少ない。一応カメラは持っていって、たまには写すこともあるし、このページを始めた数年前からは、これに載せるための写真は撮るようになったが、よくある記念写真。どこか観光地で、カメラの正面で真面目くさった顔をアップでパチリ。そのためバックがなにかわからない、というような写真は撮らない。
京都、北陸の旅には、このようにカメラと一緒に1冊のスケッチブックを持っていった。そしてお互いを描いた。そういうスケッチブックなのだ。
40年以上、このスケッチブックはずっと私たちと一緒にいた。
パームスプリングスにも、ニューヨークにもいた。
トヨスから葉山にもやってきた。
そして今、未紗の部屋にいる。
未紗が長い時間をかけて眺めたあと、今度は私が未紗のベッドに並んで坐り、肩を並べてページをめくった。
ふたりとも、無口だった。
これからしばらくこのページの中で、ここに紹介しなかった絵が、意味もなく現れるかもしれない。40年余り前、この老夫婦にもこんな時代があったんだな、と思ってもらえれば、少しうれしい。