感謝、感動のとき
感動が止まらない。
うれしさが続いている。
喜びが広がる。
素晴らしい日曜日だった。
葉山の森戸海岸に面したおしゃれなフレンチレストラン「ラ・プラージュ」に、おしゃれな大人の男女、30人余りが集ってくれた。
私とみゆきのために。
「おめでとうございます」
の言葉が、繰り返し、繰り返し、歌うように重なる。
誰もが笑顔だった。
みんなが、私とみゆきを祝ってくれた。
『テリーとみゆきの
喜寿婚パーティ』
と、勝手に名付け、たくさんのひとを招いたのは、私たちのこの日、このときをみんなに祝ってもらいたかったから。
少し前に出版した、私とみゆきのなれそめから愛し合い、結婚にまで至ったいきさつを描いた『葉山 喜寿婚の浜』の出版記念会と、私たちの結婚の改めての披露、報告を兼ねたパーティ。
「ラ・プラージュ」の素敵な料理と、シャンパン、ワイン、ビールなどを、そして私とみゆきの開けっぴろげで、恥ずかしさもない幸せぶりを楽しんでもらいたい。
司会者もなし。式次第もなし。主賓、来賓の挨拶もなし。
お昼ご飯を一緒に食べる気分でいらしてください。
そんな気軽なパーティにしようと思っていたのだが、それでもほとんどのひとが、さりげなくはあっても、センスのよさが光る装いで来てくれた。
始まりの挨拶で、私は、
「皆さんに見守られて、応援していただいて、ここまで来られました。
ありがとうございました」
心からの言葉であった。
私と並んで立つみゆきも、涙ぐんだ目で、深く頭を下げていた。
みんな、喜んでくれたと思う。
楽しんでくれたと思う。
自分のことのように。
一緒に写真を撮ってくれ、手を握ってくれ、笑いかけてくれた。
何人かのひとが、私の著書「葉山 喜寿婚の浜」を購入して持ってきてくれたので、一冊ずつにサインをした。
サインには、名前のほかにこのひと文字を書いた。
幸
謝
私の心であった。
以前、みゆきがいったことがある。
「わたしたちが幸せになることで、周りのひとたちも一緒に幸せになってくれたらどんなにうれしいでしょうね」
そのとき私は、そんな傲慢なことを、と感じたものだが、このパーティの中に立っていると、みゆきの言葉、みゆきの願いがわかる気がする。
私たちは、みんなにも幸せを運んでいるのだろうか。
その思いに対する気恥ずかしさ、照れくささもあって、私はあいさつで、また余計なことを口走ってしまった。
「みゆきがアメリカから帰ってきて、葉山に暮らすようになってから、皆さんに支えられ、守られ、励まされしてきました。
そんな、皆さんのみゆきを、私がさらうように独り占めしてしまい、すみません。
と同時に、こんな気持ちもあります。
ザマミロ!」
ザマミロ、といわれたひとたちは、みんな笑ってくれた。
パーティの日から少しの時間が流れた。
だが、私たちの心の感動、喜び、幸せは少しも失せてはいない。
むしろ、じんわりと、温かく、柔らかに広がっている。
みゆきはせっせとお礼のメールを送り、向こうからも、改めて祝福、パーティの素晴らしさの便り。会場で撮った写真の数々が送られてくる。
そうしたひとたちを改めて思い浮かべてみて、私たちは改めて思う。
なんといいひとたちばかりだろうか。
妬み、僻み、反感など、まったく感じさせることのない、心の底から喜んでくれる。羨んでくれる。共に笑ってくれる。
私とみゆきの、ひとを見る目の正しさ。人選の妙。そして、それに応えてくれたひとたちの心の大きさ。感性の豊かさ。
結婚にしても恋愛にしても、なによりも大切なことは、
価値観の共有
美意識の共有
だと思っている私たちにとって、パーティに来てくれたひとたちに、その基本は満たされている。
ほとんどのひとが、海外生活を経験し、美術、音楽など、なにかの創造作業に携わり、趣味とし、教養としている。
このひとたちと、多くのときを持っていたい。
多くを語り合いたい。
席を共にしたい。
年に1、2回、このひとたちを誘って、このパーティのようなときを設けようか。
場所は同じ「ラ・プラージュ」でもいいし、毎回移してもいい。
昼でも夜でもいい。
おいしいものを食べ、飲み、いろんな話をする。
悪いけど、そのときには会費制にしてね。不足分は持ちますから。
いいじゃないか。
やろ、やろ。
私とみゆきは、勝手に盛り上がっていた。
その集まりの名前はどうしようか。
「葉山 没落貴族の会」 ではどうだろう。