遠い花火、近い花火
こんなことにも喜びを感じるのは、私たちのいまの日常が本当に平和なのか、ほとんど満ち足りた日々であるか、なのかもしれない。
期待も、予想もしていなかったことが、かえってその満足感を大きくしているようでもある。
ある暑い日の夕刻、私たちはプーリーのリードを引いて浜を歩き、その途中で「ノアノア」に立ち寄った。
ここのところスーちゃんは散歩に参加しない。
以前にも書いたことだが、すでに老境に差し掛かっている、というより明らかな老犬のスーちゃんは、長く歩くことが難しくなっている。
まれに、今日は体調がよさそうだと思って浜に連れ出すと、それこそ、行きはよいよい、で、帰り道では息が切れ、脚が動かず、5メートルも歩くと坐りこんでしまう。
そうなったら、リードを引こうが、声をかけて励まそうが、道のまん中だろうが、もう動かない。
大きな身体なので、みゆきの力では、いや、私でさえも抱き上げることは不可能だし、もし抱き上げれば、うーっ、と怒って嚙みつきかねない。
そういったことが続いたので、このところスーちゃんの散歩は、せいぜい「ミユキハウス」の近所をゆっくり回る程度になっている。
そんなわけで、プーだけを連れて「ノアノア」に寄ったのだがなにかようすがおかしい。
海水浴客が一段落したそんな時間帯らしく、「ノアノア」のフラットは閑散としている。ひとカップルが喋っているくらいで、あとは従業員ばかり。暇を持てあましている様子だった。
だが、おかしなことに、いくつかのテーブルを囲んで並んでいる白い椅子のほとんどが、学校か集会場のように海に向かって揃えられている。
そう気がついてみると、「ノアノア」の前面の浜にも、そうして海に向いていくつもの椅子、チェアが並んでいるではないか。
入っていいものか迷い、どうしたの? 尋ねてみると、
「鎌倉の花火大会です」
予想外のこと、思いがけなかったこととは、このことなのだ。
鎌倉の由比ガ浜で打ち上げられる、毎年恒例の花火大会は、数日前に行われる予定だったのだが、今年に限り中止、とされていた。
その中止発表で、思ったほど寄付金、協賛金が集まらないから、といわれ、あの鎌倉でさえそんな時代になったのかと、しーんと寂しい気持ちになったものだが、それが数日遅れで今夜実行されることになった。
「知らなかったんですか。浜に椅子を出してくれって予約がいくつも来てるんですよ」
うーん。
知っていたら、かえって来なかったかもしれない。
どうせ「ノアノア」も前の浜も見物客でいっぱいになるだろうと、自室のベランダでの花火見物に切り替えていたに違いない。
だが、いまの「ノアノア」も、浜もがらんと静まり返っている。
これをラッキーといわずしてどうするか。
私たちは、よっしゃよっしゃ、と「ノアノア」の最前席、海に向かって開いたテラスカウンターに並んで坐ったのであった。
儲け、もうけ。
鎌倉の花火大会は、広い湾を挟んでの対岸なので、静かなお祭りだ。
次々に大きな花火が打ち上げられるが、パーッと大輪の花が開いても、さらに数秒たって、どこか遠くからのようにパーンと静かな音が聞こえてくる。
暗くなってから埋め尽くした感のある浜の椅子の群れからも、大きな歓声は響かず、シルエットの中からパラパラと拍手が上がる程度。
なにか、夢の中のシーンのように、幻想的でさえあった。
「よかったね」
単純に喜び合う私たちではありました。
鎌倉の花火大会が、なぜこれほどうれしかったかというと、実はその1週間のちに、今度は葉山の花火大会が行われたからでもあった。
葉山のそのイベントには、まさに地元ということもあって私たちは充分に心の準備をしていた。
「ノアノア」の席も、前の浜も、当然大入り満員だろうから、最初から予約などせず、
「うちのベランダから見るほうが、よっぽどきれいだぜ」
などと憎まれ口を叩いて、ついでに、
「土用の丑の日の翌日だから、ベランダで「ひつまぶし」でも食べようっと。「ノアノア」にはないだろ」
ザマミロ、などともいっておいたのだ。いやな客だ。
葉山の花火大会は、私にとって8回目になる。
初めの2回は、葉山に越してきてすぐのことで、御用邸近くに建てた家にいたので、御用邸横の一色海岸。海の家「ウミゴヤ」で見物した。
3回目と4回目は、亡妻の介護で大変だった時期なので見ていない。花火どころではなかった。
その後、いまの森戸海岸に移ってきたが、5回目はやはり介護中で、6回目は、妻を亡くして引きこもり老人だった時期なので、見ていない。マンションの窓を固く閉ざして、耳をふさぐ思いで音だけを聞いていた。
そして7回目。
私は、部屋のベランダにキャンバスチェアを並べて、花火大会をようやく眺めた。
隣には、みゆきがいた。
だから、今年の花火は、私とみゆきにとっては、ようやく2回目ということになる。
私とみゆきは、新しい人生を送り始めて、2年目の夏を迎えたのだ。
「ノアノア」には、憎まれ口を叩いたこともあって、寄らないつもりだったが、いつもの夕方の散歩の途中ではまだ時間も早く、「ノアノア」にはまだ花火客はおらず、店の前でトーモロコシ、ソーセージ、やきとりなどの小さな出店が準備中。
店の椅子は、当然全席予約席だろうが、その時間はまだガラガラ。
「入っちゃえ、入っちゃえ」
と、誰の許可ももらわずに上がり込み、例の最前列、テラス席、に坐りこみ、
「とりあえず生ビール!」
「ノアノア」のオーナー、ショウちゃんも、店長格のゴリさんも、犬大好きなガブちゃんも、誰も文句をいわず、
しょうがねぇなぁ
という感じでビールを出してくれる。
私たちは調子に乗って、まだ売り物にはなっていない出店のトリカワイタメなども取り寄せ、我が物顔。
こんな常連客をなによりも嫌う私だったはずなのに。
ま、人間は変わるものなんです。
花火大会前の「ノアノア」に、なぜ長居をしたかといえば、私たちの足元にいたプーが予想外の活躍をしたからであった。
店にも浜にも、まだ花火客はいなかったが、海水浴の名残客はいくらかいた。
そんな女の子たち、子供たちが、テラス席の足もとから顔を出しているプーを発見していろいろかまってくる。
足もとなので、私もみゆきも見えない。
なにか騒ぎがしているな、と覗いてみて初めて、プーが遊んでもらっている。遊ばれていることに気づく。
思わぬ遊び仲間に、プーは大興奮。
ついには、転げ落ちるようにテラスから飛び降り、浜の端でおもちゃになっている。
それほどプーが人気を集めているなら、もう一杯ビールを飲まないわけにはいかないではないか。
部屋に戻り、シャワーなど浴びてさっぱりして、私たちはベランダに出た。
みゆきが準備してきたうなぎの「ひつまぶし」などを小さなテーブルに並べ、友人からもらった山口の銘酒「獺祭」の、そのスパークリングを開けた。
花火が始まり、鎌倉とは比べ物にならない大迫力、大音声、大歓声が、ベランダに押し寄せてきた。
怖がって大変かな、と思っていたプーは、まったく気にする気配もなく、私たちの足もとに坐ってうとうとしている。
先程の「豪遊」で、疲れてしまったのか。
うなぎは、77年の生涯のうち、つい2か月前に初めて食べた。みゆきに食べさせられた。
「獺祭スパークリング」も、みゆきの古い友達が送ってくれたもの。
最晩年になって、私の人生は新しく輝いている。