遠い記憶の中の住まい
盛夏のような暑い日だった。
本当なら熱中症を警戒して、涼しい室内で静かにしていたいところだが、この日ばかりはそうはいかない。
買い物のふりをして、というか、ペットボトルの水だけを買って、そのコンビニの駐車場にさりげなく車をおき、私たちは「加地邸」に向かった。
コンビニの前から始まる細い道を入っていくと、すぐに急な登坂。
道、というより階段だ。
急坂に立ち並ぶ家や、もう盛りを過ぎたアジサイの植え込みなどを抜け、さらに細い路地を行くと、そこにいきなりといった感じで古めかしい、広壮な建物が現れる。
加地邸
5月の連休のころに、葉山の町そのものをテーマにしたイベント「葉山芸術祭」が行われ、多くの芸術家、施設がそれぞれの場所で、それぞれの作品、それぞれの出し物を披露した。
その一環として、幾人かの芸術家が、自分の家なりスタジオなりを一般に開放し、自由に見学させる、参加させる「葉山アートウォーク」という企画があった。
そのときからは大きく離れたが、この日の「加地邸」もそのひとつ。締めくくり、ともいえる。
だから、「葉山芸術祭」で出会ったひと達の多くが参加するはずだし、中でも「アート茶会」に素敵な作品を提供していた真砂秀朗さん、夢の中に住んでいる画家、はるなマリアさんが、ここにも作品を飾っている。
私たちが、炎天下でも参加しないわけにはいかないではないか。
靴を脱いで上がる「加地邸」は、エアコンも扇風機もないのに、ひんやりとした静けさに包まれており、そんな空気の中、それぞれ自由に、各部屋をめぐって歩く。
なにを見る、というのではなく、「加地邸」そのものを見るのだが、それでも各部屋にはいくつもの芸術作品が展示、飾られている。
真砂さんの、水の気配を爽やかに描いた絵の部屋も、古い友人、南辛坊親子の写真を、窓からの風に揺れる旗のような布に写した部屋。
そしてもちろんはるなマリアさんの世界がそのまま移ってきた、メルヘンあふれる小部屋。
幾人もと挨拶を交わしながら、それでも私たちは静かな「昔の世界」を味わい、楽しんでいた。
この「加地邸」は、明治、大正、昭和と続き、三井物産、大正海上火災などの重役を歴任した実業家、加地利夫が、アメリカの建築家、フランク・ロイドの片腕として帝国ホテルなどの設計、建築に携わった遠藤新に、1928年、依頼して葉山の地に作った「別荘」。
だが「別荘」に対比する「本邸」が、東京・白金に建てられたのは、その3年のちと知れば、いかにこの地を優先したかがうかがわれる。
「加地邸」は、古民家、戦前の別荘などの多い葉山にあって、それでもやはり異彩を放っている。
古いソファに身を休めてぼんやりしていると、そこに名探偵・明智小五郎が姿を現しそうな、そう、江戸川乱歩の世界があった。
「加地邸」を辞し、あの時代には絶対になかった民家のあいだを抜け、階段を降り、ようやく広い道に出たころ、私はみゆきにいった。
「江戸川乱歩の世界みたいだったね」
みゆきは、そうね、と答えながら、その表情には、心がどこかに飛んでいるような、なにか遠い記憶がよみがえってきはじめているような、そんな透明さが感じられた。
みゆきの父は、以前も紹介したように「マックス・エッガー」。
スイスのひとだが、ヨーロッパ各地で盛んに活躍し、後年は日本を舞台に数多くの演奏会を開き、多くの弟子を育て、その名声を確立させた世界的な名ピアニストだ。
そうした父と、日本人の母との間に生まれたみゆきだが、両親はその名声ゆえに世界各地に出かけていくことが多く、ひとりでお留守番、も少なくなかった。
そんなときにみゆきを見てくれ、守ってくれ、育ててくれたのが祖母、おばぁちゃんだった。いまみゆきは「オオバァバ」と呼んでいるが、いまは亡きその「オオバァバ」が暮らしていたのが、東京・飯田橋の「江戸川アパートメント」だったのだ。
みゆきは、なにかあると「江戸川アパート」で祖母と一緒の時間を送り、そうでないときには祖母がエッガー宅に来て、みゆきのために、普段はまず食卓に出ることのない日本風のご飯。焼き魚、混ぜご飯、お味噌汁などを作ってくれる。
「あの食事はすごくおいしかった。いま私が和食も大好きなのは、あのころのおかげね」
とみゆきはいう。
子供のころ、祖母と暮らした「江戸川アパート」。
長じて、モデルになり、自立して借りた部屋も「江戸川アパート」のすぐ近く。
なにかあると「江戸川アパート」に食事をしに、「オオバァバ」とおしゃべりをしに行っていた。
「今は建て直してすっかり変わってしまったけど、あのころの江戸川アパートは、今日見た加地邸にそっくりだったのよ」
「加地邸」はみゆきの遠い原体験を蘇らせてくれたようだった。
みゆきは、5年前に日本に帰ってきて、湘南のどこかに住もうとし、いろいろな家、マンションを見て回ったが、葉山のいまの家「ミユキハウス」に出会ったとき、ひとめで、
「ここだわ!ここしかない!」
と決めたそうだ。
そのときは、直感、ひとめ惚れに似た感情だったようだが、その心の底には「江戸川アパート」の記憶、ノスタルジーが流れていたのではないか。
ずっとのちになって私が、
「(いまは借家の)この家を買い取って、大幅なリノベーションをしようか」
といったところ、みゆきが、
「こんな素敵な家を直してしまうの?」
悲しげな表情になったのを覚えている。
「ミユキハウス」には、いくつもの「江戸川アパート」が生きている。
いくらか古めかしい間取り。
プーリーのすべり止めにカーペットを貼ってしまった床板。
各部屋にはドアではなく、引き戸。
そして、「江戸川アパート」から持ってきたものではないが、いくつかのアンティークなランプ。文机。
黄昏どき、そんなランプに灯をともし、黙って眺めているとき、私たちは静かな平安に包まれる。
話は大きく変わるが、
旅に出ます。
いわゆる、豪華客船の旅。
2週間、日本の梅雨も、面倒な毎日も、み~んな忘れて、豪華客船のおしゃれで優雅な日々。
どこに行くかは考えて決めた。
私たちはそれぞれに世界各地を旅し、あるいは暮らし、してきたので、どこに行ってもその昔の記憶、思い出が蘇ってくるはず。苦い思い出であったりするかもしれないし、楽しかったならそれなりにセンチメンタル・ジャーニーになるかもしれない。
だから、ふたりとも、行ったことのない、行ったにしてもほんの素通りだったところ。
そう考えて選んだのが
「北海、バルト海クルーズ」
デンマーク・コペンハーゲンまで飛び、そこから客船に乗り、エストニア、ロシアはサンクトぺテルブルグ、フィンランド、スウェーデン。
帰りの航海でドイツ。そしてデンマークに戻るという日程。
世界から余裕なるひとたちが集うといい、私たちの、というよりみゆきの語学力が大いに発揮されるはずだ。
ドレスコードもかなりきついようだが、それを逆手にとって、楽しく気取って、楽しくおしゃれしたいと思う。
なにしろ、私たちの、新婚旅行、なのだから。