季節の味覚
没落貴族の食卓
前回、「葉山 喜寿婚の浜」出版記念会と、私たちの結婚を皆さんに祝ってもらう「喜寿婚パーティ」に着て出る服を探しに、わざわざアメリカ西海岸まで出かけたみゆきが、
「こんなのは、どう?」
と次から次へと送り付けてきたカタログ写真、みゆき自身が着用に及んでそれをジドリか更衣室の鏡を映したものの、そのほんの一部を羅列してご覧に興じた。
私としては、みゆき自慢、
「どうだ、これが私の奥さんだよ。元トップモデルだったんだよ」
そんな思いもあったのだが、どうもみゆきにとっては少々意に反するものであったようだ。
「こんなにいっぱい写真を載せて、いやだー」
というのだ。
「テリーにだけ見せるはずだったのよ。ジドリだから、顔が膨らんで写ったり、全身のバランスが悪かったりするじゃないの」
いいと思ってしたことで、叱られてしまった。
元、とはいえ、プロのトップモデルとしてのプライドを傷つけてしまったようだ。
ごめんね。
と、謝ったあとですぐで申し訳ないが、今回も同じような写真をズラリと並べて御覧に入れる。
だが、ご心配なく。
今回はファッション写真でも、モデルの写真でもなく、おいしそうな料理の写真たちだから。
湘南に住む、自称「没落貴族」は、こういった食事を日常的に頂いているのだよ。
「魚勝 ワインの会」という集まりがある。
「魚勝」とは、逗子駅から10分ほど歩き、住宅街に入りかけたところにある料亭で、昔から近辺の著名人、政治家、小説家が馴染みにしている店。たとえば石原慎太郎ファミリーの姿などしばしば見られたものだ。
その「魚勝」の二階座敷で、折り紙付きの高級日本料理を食べながら、ワインのいくつかを楽しもうという集まり。
ワインは、やはり逗子駅近くのおしゃれなワインセレクトショップ「a day」を営む松尾明美さんという女性が、自ら探し出したたくさんのワインの中から、その日の料理にぴったりのものを数本ずつ選んで提供してくれたもの。
「春の終わりの季節料理にワイン、いかがですか」
と誘われて、みゆきとふたり、出かけた。
少し早く着き、二階座敷のテーブル席で、生ビールなどを飲みながらわくわくする気持ちを抑えていると、やがて、
「どうも遅くなりまして」
「しばらくですね」
次々にひとが集まってくる。
全部で十人ほど。毎回少しずつ顔ぶれは違うが、いずれも逗子、葉山、鎌倉あたりに住む魅力的なひとたち。
料理、ワインももちろんだが、このひとたちに会っておしゃべりするのも、この集まりの大きな楽しみのひとつなのだ。
料理から行こうか。
前菜 |
筍 木の芽和え |
わかさぎ昆布巻 |
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三色花見団子 |
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ひし餅玉子 |
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蚕豆 |
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焼物 |
葉山の筍焼き |
煮物 |
春キャベツと鳥ひき肉の博多蒸し 巻ゆば |
揚物 | 帆立貝と水菜のかき揚 岩塩 |
食事 |
鯛茶漬 香の物 |
デザート |
ひとくち さくらムース |
まず、
このそれぞれの料理に、明美さんチョイスのワインが添えられる。
桜の花のようなスパークリング。
甘酸っぱい香りが春を運ぶアルザスの白。
大人の女性の笑顔のような馥郁たる香りの赤。
爽やかな春の高原に吹く風にも似た軽い軽いロゼ。
さらには、いくつものハーブの香りの入り混じったアンコール曲のような赤。
こうした料理を味わい、ワインを口に含み、ひとびとは静かに、そして豊かに語り合う。
十人ほどの客なので、話がひとつにまとまることはないが、それぞれが邪魔することもなく、むしろひとつに重なり合い、混ざり合うハーモニーのように部屋に流れる。
写真を見ながら、ひとりひとりを思い出してみよう。素敵なひとたちだ。
長谷川老人は明美さんのパパ。
いつもにこにこ。娘のすることがうれしくて仕方がない。
ときに大きな声を出してしまい、明美さんに叱られたりするのが可愛い。
岸野さんは、湘南では知るひとぞ知る趣味のひと。
元日本航空の偉いさんなのだが、定年後は各地の優雅なお祭り、催し物などに主役クラスで参加し、さらにはご自分のフェイスブックに、衣装華やか、フリフリ、ひらひらな熟年女性と共にステップも鮮やかな社交ダンス、サルサを披露するなど、まさに悠々自適なシニアライフ。
昨年末に私たちも聴きに行った「逗子文化プラザ渚ホール」という大きなホールでの、恒例の「逗子第九演奏会」。ベートーベンの「第九」が演奏されたが、その第三楽章「合唱」を「逗子第九合唱団」が歌う。
いずれ地元のアマチュア集団だろうと多寡をくくって聞いていた私たちは、男女百人近くの実に見事としかいいようない大合唱に心奪われたものだ。
この合唱団のバリトンで、中心的な存在が岸野さんだった。
隣は、原田幸子さん。
岸野さんの古くからのお友達で、
「奥さまと間違えられますけど、岸野さんにおきれいな奥さまがいらっしゃいますのよ」
楽しそうだ。
お隣は、中村夫妻。
ワイン好き、オリーブ好きのご夫婦。
イタリア、フランス、スペインに、オリーブを訪ねてしばしば旅しているうちに、ミイラ取りがミイラになったのか、みずから日本に広大なオリーブ農園を開いてしまった。
これもまた、趣味の極致であろう。
亀田勝さんは、「栃木屋」という豆腐屋さんのご主人だが、こちらの豆腐もまた趣味感覚にあふれている。
チーズ味、というより、チーズそのもののような豆腐も、材料はなにかと迷わせてくれるほど赤く、それでいて爽やかな味わいの豆腐もあり、おしゃれな料亭、レストランなどでの人気を博している。
この集まりの最初に、小皿に盛られた白い豆腐が供されたが、オリーブオイルと塩だけのその豆腐は、信じられないほど透明感にあふれ、これならワインにも日本酒にも申し分ないと、感動させられたものだ。
最後に別枠で紹介するのが、大庭ひろこさん。
ドールハウス、というものをご存じだろうか。
19世紀、ヨーロッパの中流クラスの市民層で、女児に与えられた玩具の一種。
一定の縮尺、一般的には12分の1のサイズで、精巧に作られた家、建物、部屋で、内部の家具調度、照明、食器に至るまで細かく精緻に作られる。
12倍にしたら、そのままひとが住めると思える、まさにリリパットの世界だ。
1970年代に日本に入って来たが、これを日本にもたらしたひとが、大庭ひろこさん。
ドールハウス制作の第一人者、というより、先駆者。
日本中のほとんどすべてのドールハウス制作者が、大庭ひろこさんの弟子筋にあたるそうだ。
ひろこさんは、みゆきの以前からの知り合いで、私も一、二度はお会いしたことがある。
このひろこさん、私たちに向かって、いや、部屋のみんなに向かって、大きな声で話す。
「佐山さんは、わたしと同い年なのよ。それでみゆきさんは、うちの娘と同い年なの。すごいわねぇ」
なにがすごいんですか。
「没落貴族」の集まりともいえる「魚勝 ワインの会」ではありました。
「魚勝 ワインの会」から少し季節が流れたある夜、私たちは葉山の一軒の和食料理店を訪れた。
ほんの少しの季節の動きでも静かに変わっていく和食なので、「魚勝」ののちの料理を味わいたいという思いから、私たちが選んだのは、ふたつに分かれている私と、みゆきのどちらの家からも近い、というよりちょうど中間に位置する「まさきち」なる店。
ホテルの2階にあるこじんまりした店だが、その名は広く湘南一帯に広まっている。
若き料理人、「まさきち」さんが、ほとんどひとりで魚をさばき、盛り付け、飾りつける。
奥の調理場では、奥さんが黙々と煮物、焼き物などを整えている。
この小ぎれいな「まさきち」に、私は数年前からときどき訪れているが、みゆきにはなぜか敷居が高かったらしい。
私と知り合ってしばらくしてから、
「一度行ってみたい」
というので案内したところすっかり気に入って、それから幾度か、ふたりで高級和食を楽しんだものだ。少し硬くなって。
そのころふたりは、ひとつテーブルに向き合って坐っていたが、いま思うとどうやらみゆきにはそのことがいくらか不満だったらしい。
やがて私たちは結婚したのだが、結婚を決めてすぐのころ「まさきち」を訪れた。
そしてみゆきは、例によって聞かれもしないのに奥さんにいうのだった。
「わたしたち、結婚するんですよ」
奥さんは、
「あら、おめでとうございます」
といってくれたが、その次に行ったときには、ふたつの椅子は同じ側にぴったりと並んでセットされていたのだった。
この日も、椅子は並んでいた。
おしゃれな前菜に続き、新玉ネギのスライス山盛り。
「このごろ飲みすぎだから、血液をきれいにしなければね」
続くカツオのたたきにも、野菜がたっぷり。
「カツオは肝臓にいいんでしょう」
みゆきは、すっかり私の管理者になっている。
以前、
「テリーの身体は、わたしが護る」
といってくれたことが思い出されたひとときではありました。