新しい「聖家族」
眠っていても、朝方の4時くらいには目を覚ます。
トイレに行くのだが、そのときナイトライトにぼんやり浮かぶ室内には、必ずプーリーの姿がある。
プーリーと同じ部屋で寝るのは、私がこの「ミユキハウス」に移ってきて以来。というより、「ハルホテル」にロングステイしていたのが、ようやく私のもと、「ミユキハウス」の住人(?)になってからのこと。
本来なら、かつてのスーちゃんのように、1階のリビングルームの、ピアノの下のクッションで眠ってほしかったのだが、長らく寂しい思いをさせたことへのすまなさと、まだ珍しい「ミユキハウス」のあちこちを探検されて、なにかしでかされるのが怖いのとで、2階に連れて行き、寝室のドアを閉めて眠らせることにしたのだ。
プーリーにとっては、慣れない環境だったろうが、久しぶりとはいえ私と同じ部屋で眠れることの安心感からか、初日からカーペット、クッションでぐっすり眠ってくれた。
おかしいのはその寝姿で、座布団のように投げ出してあるふたつの大きなクッションの下に、頭だけ潜り込ませて、「頭隠して尻隠さず」状態。それで隠れたつもりなのか、肌寒さが紛れるのか、熟睡しているプーリーを起こさないようにそっとトイレに行き、またベッドにもぐりこむ。
だが、その私の動きがプーリーのなにかを目覚めさせるのか、しばらくするとクッションから出て、私のベッドのそばに来てじっと見上げる。
仕方がないので、上掛けシーツや毛布、ベッドカバーなどを、
「はい、はい」
と持ち上げてやると、プーリーはそれが当然のように飛び乗って、ベッドの中に入ってくる。
並んで寝る形なのだが、プーリーはどんどん中にもぐりこみ、私の横腹に身体を押し付けるようにして、ようやく眠りにつくのだ。
ついいままでも眠っていたのだから、ベッドの中でもたちまち深い眠りに入っていく。
私はそんなプーリーの丸くて大きな身体に手をかけ、手を乗せる形で、自分も残りの眠りに入ろうとするのだが、もう、なかなか眠れない。
プーリーの上下するお腹と、プシューッというような寝息を聴いて、今日することなどを考えているうちに本当の朝を迎え、
「おっはよー!」
ドアが開き、まだパジャマ姿のみゆきが入ってくる。
ベッドにいる私にチョンチョンと挨拶はするが、それは形式的なもので、みゆきはさっさとプーリーを抱き上げて階下に降りていく。
2階の、私の寝室には、プーリー用のトイレがあることはあるのだが、まだ慣れていないのでよほど我慢のときしか使わない。
だから、朝イチにしなければならないことは、プーリーを庭に出して、朝のおしっこをさせることなのだ。本格的な散歩は、まだあと。
そして私も起き出して、こうして私たち3人、いや、ふたりと1匹の一日が始まる。
プーリーで始まった、というか、プーリー中心に始まった一日は、やはりプーリー中心で続く。
私とみゆきのふたりが家にいて、食事をしたり話し合ったり、みゆきのピアノを私が本を読みながら聴いていたりという、ごく日常的な時間帯には、プーリーも側にいる。
いまはもうつけていないストーブ前の小さなクッションか、スーちゃんが使っていた、ピアノ下の大きなクッション。
私がカウチに寝そべって本を読んでいるときは、当然のように一緒に上がってきて、私の脚のあいだで、風呂にでも入るかのように丸くなる。
ピアノの生徒が来るときは、もちろん私は2階に上がるが、プーリーは1階にいて、生徒たちのお相手。
初めのころは、お客が来るとコーフンして、甘えて吠えたり、じゃれかかったりしていたが、いまでは平然としていて、
「気にせずにどうぞ」
と、亭主面
生徒たちも、ほかの客たちも、可愛い、可愛い、といってくれるので、プーリーのやつ、ここのところちょっと増長気味だ。
可哀そうなときを過ごさせたのだから、と、甘い顔をしている私たちが悪いのかな。
しかし、甘やかしているのは私だけなのかもしれない。
満足なしつけもしていないプーリーなので、本来ならわがまま放題。
気が向いたらべったりとくっついて離れないのに、こちらから、おいで、おいで、しても、フンと横を向くか、聞こえないふりをする。
散歩でも、私の横を並んで歩くような「正しい犬道」でなく、自分が行きたい方に、行きたい方に、ぐいぐいリードを引いていくし、引き戻そうにも、ガニ股を踏ん張って頑張り、ウーッと怒る。
そんな姿を、道行くひとたちが面白がって、
「かっわいいーっ」
などとはやし立てるので、プーリーはますます頑張る。
そんな人生を送って来たんですよ。プーリーは。
だが、そのプーリーが変わろうとしている。いや、ほとんど変わった。
新しいママ、みゆきのせい、じゃなかった。みゆきのおかげだった。
「わたしがプーリーを厳しく鍛え直すわ」
そう宣言したみゆきは、積極的にプーリーの面倒を見るようになった。
水もドッグフードもみゆきが与えて、飲み終わるまで、食べ終わるまで、側についていてあげる。
始めはトイレもよくわからなかったプーリーを、その気配を感じると、トイレまで連れて行き、うまくできたときはオーバーなほど褒めて、小さなおやつ、ご褒美をあげる。
私のころには、ドッグフードの量が多すぎたり、私が食べているものを、ほい、と食べさせたりしていたせいか、お腹を下し気味のことが多かったが、食事係がみゆきになってからは、コロンコロンとしたいいウンチがでるようになった。
散歩のときにそんなウンチをすると、みゆきはまたも、
「あらぁ、素敵なウンチねぇ。プーちゃん、偉い、偉い!」
恥ずかしいほどに褒めて、ご褒美。
おしっこやウンチがうまくいっただけで、これほど褒めていいものでありましょうか。
私など、誰も褒めてくれないよ。
「わたしが鍛え直す」
といったとき、かなり厳しくするのかと思っていたが、見ているとみゆきがプーリーを叱ることはまずない。叩いたりすることは一切ない。
相手にはわからないとは思うのだが、それでもプーリーの頭を持って、顔を寄せて、話して聞かせる。
わからないとは思うのだが、それでわかるのかもしれない。
わかってきたようだ。
プーリーは、確かに、少しずつではあるが、「いい子」になってきた。
みゆきのいう「厳しさ」は、「やさしさ」のことであった。
と、みゆきを褒めてばかりいてもなんなので、ひとつの実例を挙げよう。
散歩のとき、特に散歩の初期の段階で、プーリーはしばしば気が狂う。
特に、リードをつけて玄関なり門なりを出てすぐ、気が狂ったプーリーは、ワンワンとやかましく吠えたてながら、自分に繋がっているリードに噛みつくのだ。
噛みついて、がっしり咥えて、噛みちぎろうとするかのように頭を振る。
これは以前からのもので、私ひとりが浜を散歩させているときにもしょっちゅうやられた。
そのころはどうしていいのかわからず、頭を押さえて落ち着かせようとしたり、面倒なので抱き上げてしばらく歩いたりした。
ひとに聞いても、ペットの本を読んでも、みんないろいろなことをいっている。
犬が、構ってほしいといっているのだから、一緒に遊んでやればいい、といわれても、狂っている相手とどうやって遊ぶのか。
厳しく体罰がいい、というひともいて、ポカリとしたこともあったが、プーリーはますますコーフンして、狂気が激しくなる。
ペットシッターの治美さんにも、この気が狂う原因はわからないようで、
「フレンチにはよくあるんですよね。スイッチが入ったら仕方がないですね」
待つしかない、というのだった。
だから「ミユキハウス」に来てからも、プーリーは、同じように気が狂って、私たちを困らせていたのだが、みゆきは、
「そのほかの時間はいい子なんだから、仕方ないわよ」
と、だから可愛いのよ、というようなことをいう。
実際、私たちは、大いに困っていたのであった。
こればかりは、みゆきの「やさしい厳しさ」も通用しないようだった。
ところが、ところが、ですよ。
プーリーの,この狂気を抑える方法を発見したのだ。
私が、だよ。私が見つけた。
家を出たとこですぐ、早速、プーリーのワンワン、グルグル,ガオガオが始まった。
狂気の表情でリードに噛みつき、食いちぎるほどに首を振り、引っ張り続ける。
そのとき私は、プーリーの身体にかかっている、フレンチブルドッグ用のがっしりしたハーネス、胴ベルトをぐいとつかみ、そのまま持ち上げたのだ。
プーリーは、重い鞄のように持ち上がり、脚が利かないので、だらしなく宙に浮かんでいる。
「プーリー。恥ずかしいなぁ」
「恥ずかしいだろう」
「みっともないな」
いろいろからかってやる。
ぶら下げられたまま、どうしようもなく、情けない顔をしていたプーリーだが、しばらくそうしていて地面に降ろしてやると、ぶるぶると身体を揺すって、そのまま歩き出した。
なにごともなかったように、お澄ましして。
それからの散歩は、「いい子」の散歩だった。
私の、歴史的な発見によって、プーリーは、ますます「いい子」になった。
いつまで続くだろうか。