葉山 喜寿婚の浜
約4か月のご無沙汰でした。
このページの、最後の文章は、昨年から今年にかけての年末年始の記録。
餅つきの会に出かけたり、逗子のホールにベートーベンの「第九」を聴きに出かけたり、カフェレストラン「エスメラルダ」で年越しそば、といってもユニークな洋風ラーメンともいえるものだったが、それをワインとともに味わったりした。
まだまだあった。
小高い丘の上にある光徳寺で除夜の鐘を撞き、さらには海辺に戻って森戸神社での初詣で。
年が明けて、みゆき手作りのお節料理に屠蘇、という、あまりにも当たり前の、珍しくもない年末年始をレポートし、それ以来更新を休んでいたのだが、この最後の文章は次のように締めくくられていた。
『数枚の年賀状が届いた。
中の一枚に、みゆきは悲鳴を上げるほど喜び、写真に収めた。
宛名は、
佐山 透 様
みゆき 様
喜寿婚の年はこうして開かれた。』
そう。私とみゆきは今年、新しく夫婦としての新年を迎えたのだった。
いくつかのタイトルを変えながら、約10年間にわたってこの文章を続けてきたが、これまでのタイトル『老人と海』にしてから5年。その後半の約2年間、私の身の上に起こった様々なできごと、心の流れ、動きなどを、テーマに合わせて選び、加筆、補筆、削除、整理を重ね、それを一冊の本にした。
10年近い闘病生活、施設暮らし、病院の集中治療室を経て、この世を去っていった未紗を、葉山沖の海に花びらの渦巻きとともに散骨し、惜別と鎮魂の日々を送っていた私の前にひとりの女性が現れた。
みゆきイザベル
みゆきイザベルと私が、いかに近づいたか、心を通わせるようになったか、いかなる喜び、迷い、ためらいがあったか。
そして、私の喜寿の年に夫婦として結ばれるようになったか。
そのいきさつを、できごとを、心を、
『葉山 喜寿婚の浜』
(展望社 刊)
のタイトルで上梓した。
まだ発売から1週間だが、特に湘南地方のひとたちの多くが手に取ってくれているそうだ。
この出版について、みゆきの以前からの友人知人。アメリカに住んでいたころのひとたち。日本に帰ってきてから仲よくなったひとたち。さらにはアメリカに行く前からの古い友達。そうしたひとたちに宛てた、ほぼ定期的、年に数回の個人的なメールに、みゆきはこのように書いている。
「そうしているうちに、新婚の二人にとっては子供のような「素敵な命」が生まれたのです。
『葉山 喜寿婚の浜』
なんと素敵で なんとやさしく なんとおしゃれな 大人の恋
「愛し合うことに年齢はない」という佐山透(テリー)が、私という女と出会い、少しずつ友情が深まり、ついに愛し合い結婚に至るまでを描き綴った本が完成しました。」
どうか読んでくださいね、というみゆきの気持ちが現れている一文ではないか。
みゆきのこの手紙を、こちらにも移すよ、というと、みゆきは身をよじっていう。
「すごーい。わたしたち、作家夫婦ね。曽野綾子さんの家みたい」
というわけで、何度もいうが、本が出ました。
みゆきは自分のことのように、いや、自分のことなのだが、大いに喜んで、ふたりで出かけるレストランやカフェ、喫茶店には必ずこの本を持っていき、パンフレット、ちらしを何枚か置いてくれるように頼み、
「テリー、サインして」
いいつけるのだ。
みゆきにとって、新婚と新刊が重なった、最も弾む日々なのだろう。
私にも同じことがいえる。
新しいタイトル『湘南 没落貴族』の初回は、タイトルの説明もなく、自著の宣伝、紹介で終わった。こういうのをテレビ的には「お知らせ」という。
お知らせしました。
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「葉山 喜寿婚の浜」 佐山 透 著