ストイックな
人間大改革
まずこの写真を見てもらいたい。
いかにもリゾート地のコ洒落た別荘の一室で、仲良しの夫婦が寛いでいる、そんな写真。
いいねぇ。
第一モデルがいい。
そこはかとない気品と余裕を感じさせ、そこに漂う暖かな愛情。
などと自画自賛するこの一点は、説明するまでもなく、私とみゆきの近況。というか、いまの私たちのありようを自然に、そしていくらかはわざとらしく表現している。
前回、紹介したように、これは友人のデザイナー、宮坂由美さんが、
「みゆきさんとテリーさんからイメージをいただいて、インスパイヤーされて立ち上げた新しいブランドです」
といってくれて生まれた「HAYAMA TIME」なる婦人服シリーズの第3弾。
葉山を舞台にいくつものシーン、いくつもの新作婦人服を撮影して作り出したカタログのラストシーン。
男性モデル(?)の私は、前回も前々回もそうだったように、ただ一点、ワンシーンだけの登場。
「婦人服の写真、カタログにただひとり登場する男性は、いちばん大切な、カナメのような存在なんです」
「前も、その前も、婦人服のカタログなのに、テリーさんに着ていただいた紳士ものが、ずいぶん売れているんですよ」
と、由美さんにおだてられて木に登った形だが、私としてはまんざらでもない出来栄えなのだ。
だから、こうしてしつこく「見て! 見て!」と出している。
嬉しそうに語っていて、ふと気がついたのだが、この写真、よく見るとなにやら象徴的な部分がいくつかあるではないか。
まずふたりのあいだにニョキッとそそり立つサボテンは、なにを表しているのか。
サボテンには、ふたつの丸い付属物。
JACK HAS A BAT AND TWO BALLS.
みゆきが素足を伸ばし差し出している左足の行方も,なにやら怪しげだ。
これは、写真のトリックで、みゆきの脚はもっと手前、私の右脚の上に置かれているのだが、ここではもっと微妙な個所に当てられているように見える。
その脚指を微妙に動かして、
「あなた、頑張ってね」
などといっているようではないか。
うーん、「さそり座の女」みゆきならやりかねないな。
私の、困ったような、戸惑う表情がおかしい。
そしてとどめの一文。
みゆきのうしろ、頭の上に書かれた英文には、なんと、
NEVER GIVE UP.
これは、由美さんが仕組んだものとも、カメラマン、ディレクターが図ったものとは思えず、まったくの偶然か、見るひとの考えすぎに違いないだろうが、私たちにとって、つまり「老いたる夫」と「まだ若い妻」の、心の、身体の寸描なのかもしれない。
などとにやにやしている今日このごろではありますが、実はこのカタログと前後して、私は自分の生活を、オーバーにいえば人生そのものを、大きく変えようとしているのだ。
そう。酒をやめた。
減らしたのではなく、やめた。
ぴったり、やめた。
きっかけは、九月中旬の血液検査だった。
近所の、ホリスティック医療を推進する女医さんに、私たちは定期的に診てもらい、いくつものアドバイス、治療を受けているのだが、七月のヨーロッパ・クルージングの旅や、そののちの常軌を逸する暑さなどもあって、しばらくさぼっていた。
久しぶりに訪れたとき、血液検査の結果を見た女医先生、ふーっと息を吐いて、
「このところ、というより、長いあいだ、調子に乗っていましたね」
実はこの先生に、お酒は控えめに、特にビールは飲み過ぎないように、と何度もいわれていたのだ。
それなのに、まったく調子に乗って、
「主食はビールだぜ」
などと、毎日浴びるようにビールを飲み、シメに、ワイン、焼酎。
なにか叱られるのは承知だったが、それにしても、
「これはただごとではありませんよ」
血糖値が異常といっていいほど高く、すでに進行した糖尿病。
肝機能もずいぶん弱っていて、肝炎、肝硬変も目に見えるほどだという。
付き添いで側にいるみゆきが、
「すぐ入院したほうがいいですか」
というのには、
「そこまでは、大丈夫でしょう。投薬療法も、ほかの内臓に大きな負担をかけますから、お酒を減らす。運動をする。筋力をつける。そういったことで、しばらくようすを見ましょう」
そして、
「極端なことをせずに、お酒も少し、ほどほどに、なら大丈夫だと思いますよ」
と、みゆきには少々不満なアドバイスだったのだが、この日の診察結果が私を変えた。
ドラスティックに、変えたのだ。
九月中旬のその日から、私は酒を断った。
「ミユキハウス」でも「テリーズバー」でも、一滴も飲まない。
「エスメラルダ」でも、周囲のひとが、
「どうしたんですか」
と驚くほど、野菜ジュースやハーブティ(!)。
酒を飲まないと不自然で、かえって迷惑をかける気がする「菊水亭」や「浜寿司」、フィッシュアンドチップスの名店「ガゼボ」などには行かない。
やるといったら、やるんだよ。オレは。
女医先生の虎の威を借りて、いやいや、私の身体を思って、
「お酒をやめなさい」
といっていたみゆきも、私のあまりのストイシズムに、
「テリー、偉い!」
「テリー、ありがとう!」
などと感動してくれ、私も、
「自分のためというより、ぼくたちふたりのためだから」
などと、イイコぶっていたが、なーに、実際は大したことではないのだ。
一滴も飲まない。
そのことが、気持ちはともかくとして、まったく苦痛ではないのだ。
私には、そうした依存性、習慣性、禁断症状などというものが、ほとんどないらしい。
もう三十年余りも前の数年間、私は小説や評論、ノンフィクションなどを多作しながら、男女(ほとんど男子)のゴルフツアーを共に回り、プロゴルファーたちと共に歩き、共に語り、それをゴルフ評論、観戦記、解説、といった形で発表していた。
そんなとき,酒はもちろん毎晩のことだったが、かなりのヘビースモーカーでもあった。
そのころ吸っていたのは「パーラメント」という青いパッケージ、20本入りの煙草だったが、毎週ツアー練習日の火曜日か、プロアマディの水曜日、「パーラメント」十箱入り、つまりワンカートンをふたつ、バッグに突っ込んでプレスルームに現れる。
そして、そこに与えられている机の引き出しに入れて、一週間が始まる。
この姿は、若い記者たちのあいだでも有名で、真似をする若者もいた。
この2カートンは、日曜のツアー最終日にはまずなくなるが、その他にホテルや、プロゴルファーたちと出かける夜の街では、また別の「パーラメント」を買っていたのだから、チェーンスモーカーに近かったのだろう。
そんな煙草がなぜやめられたのかといえば、あるときツアー同行中に風邪を引いたのがきっかけだった。
ゴルフコースのクラブハウスだったか、練習ラウンドのホールからホールへと歩く途中だったか、当時は仲良しで、なんでも話し合う間柄だった青木功がいった。
「佐山ちゃん、どうしたの? 咳ばっかしてるじゃん」
私が、
「風邪ひいちゃって。大丈夫だよ。うつさないから」
というと、青木功、こともなげにいった。
「咳がいやなら、煙草、やめりゃいいじゃん」
その言葉は、衝撃だった。
あ、そうか。
煙草をやめればいいんだ。
私は煙草をやめた。
半分残っていた「パーラメント」は、並んで歩いていたカメラマンのバッグに放り込んだ。
そのときから、一本も吸っていない。
周囲の連中は、私が本当は苦しんでいるだろうと思って、目の前でわざと、煙を吹きかけてきたり、
「ああ、うまいなぁ」
プハーッ!
と、大きく煙を吐き出したりしていたが、私は全然平気だった。
「パーラメント」投げ込まれたカメラマンが、
「忘れ物ですよ」
と、わざとらしく手渡そうとしても、
「あ、ありがと」
と、それを近くのごみ箱に投げ入れる。
もしかしたら、と、念のために「禁煙パイポ」なるものを買ってみたが、まるで必要なく、そのままごみ箱入り。
周囲は、つまらなそうだった。
そんな「過去の実績」があるので、今回の禁酒など、
屁でもない、のであります。
酒を飲まなくなっても、いつも、長い時間みゆきと一緒にいることには変わりはないが、みゆきも、最初は私に合わせるつもりだったようだ。
みゆきとの時間は、酒との時間だったといってもいいほど、ふたりでずいぶん飲んできた。
「ミユキハウス」でも「テリーズバー」でも、次の日に空き缶、空き瓶を捨てに出るのが恥ずかしいくらいだったが、それが
なくなって、かえって物足りないほど。
「エスメラルダ」でも、みゆきは私に合わせて、ジュース、ハーブティ。
「わたし、テリーに合わせて、これまでお酒を飲んでいたのよ」
といっていたが、しばらく前、ちょっと高級な焼き肉店を訪れたときに、
「いいんだよ。ビールでもワインでも」
といってやると、
「ほんとう? 本当にいいの? ほんとうに?」
と幾度も念を押して、ようやく生ビールを注文した。
私がウーロン茶を飲む前で、生ビールを嬉しそうに飲むみゆきを見て、私まで嬉しくなるのであった。
これから約一か月して、次の血液検査がある。
私の血糖値や肝機能は、驚くほど改善しているはずだし、その結果と、女医先生の判断で、少しなら飲んでもいいとなるのはまず間違いないだろうし、大人として、ディナーの席にワインくらいはあったほうがいいだろう。
それに、来月はみゆきの誕生日もあるので、シャンパンくらいは開けたい。開けなければならない。
だから、ストイックすぎるのもどうかとは思うのだが、私としてはこのまま酒抜きの日々でもいいとも思っている。
それで、みゆきが喜び、私も健康になるのならば、それがなによりもいい。
どうなるか。
次の結果待ち。