響け「歓喜の歌」
「Freude,schoner Gotterfunken,Tochter aus Elysium~~」
「フロイデ シェーネル ゲッテッルフンケン トホタル アオス エリィジウム~~」
自分でもなにをいっているのか、なにを書いているのかさっぱりわからず、みゆきのいうままここに書き写しているのだが、画面を覗き見たみゆきが、
「ウムラウトがないわよ」
そりゃそうだろう。ドイツ語にはまったくの文盲の私だから、どうやったらウムラウトが打てるのかさえもわからない。
「シェーネル」と「トホタル」のふたつの「O」の上にチョンチョンとウムラウトが付くそうだ、ということで勘弁してほしい。
わかるひとは、これを見ただけでわかるだろうからいいが、私のようにわからないひとのためにあえて解説すれば、これはベートーベンの「第九交響曲」の第四楽章、つまりかの有名な「合唱」の、その中でも特に知られ、愛されている合唱曲「歓喜」(「喜びの歌」)の冒頭の部分。
私が「ミユキハウス」にずっといるようになり、ふたりで交互に、あるいは一緒にスーちゃんの介護をするようになった。
といってほとんどみゆきがさまざまな世話をし、私はそれを見ているか、離れた場所にある薬品やガーゼ、シーツなどを持ってくるなど、アシスタントに回っているのだが、それでもみゆきは幾度も幾度も、心からいうのだ。
「テリーがここにいてくれてほんとうに助かるの。前のままなら、わたし、いまごろ倒れていたかもしれない」
自分がそれほど役に立っているとは、面映ゆい気分だが、確かにそうかもしれない。
それまでは、みゆきは一階のピアノの部屋で、スーちゃんの横に敷いた和布団に並んで寝ていた。
スーちゃんは眠っているときはいいのだが、感覚のない下半身がじれったいのか、それともわれわれにはわからない痛み、痒みがどこかにあるのか、しばしば起き上がろうとして前脚をバタバタ、ガリガリ動かす。
または、起き上がろうとして頭を持ち上げるのだが、すぐにバタンと倒れこむ。布団やマットの上ならいいが、固い床に頭をごつんとぶつけたりすると、介護人としては気が気ではなく、スーちゃんの重い身体を持ち上げて向きを変えてやらなければならない。
それとは別に、床擦れもできているので2、3時間に一度はこれも向きを変える。
ということで、隣で寝てもほとんど眠ることはできない。
昼には数時間私が来て、その間、みゆきは2階で休むことができるが、介護以外にも、ピアノのレッスンや、自分の稽古、おさらい。掃除洗濯から、台所仕事。ライン、メール、電話での各種用事。
しなければならないことは山ほどあって、身体を休めることはまず不可能だった。
そんな日が続いて、日に日に窶れていく。いつも肩を落として、ふーっとため息をついている。
そのみゆきを案じて、前回も書いたようにペットシッターの治美さんが、私のプーリーをしばらく預かってくれるといってくれたのを、地獄で仏、ありがたくお願いすることにして、私がずっと「ミユキハウス」に滞在することにした。
昼間、ふたりともそれぞれ自分の用事を片付けながら、スーちゃんの面倒を見るが、夕食を終え、風呂にも入り、ワインも傾けたあと、みゆきは2階の寝室に、私はピアノの側のスーちゃんベッドに並んで布団を敷いて寝る。
効果はてきめんだった。二日もするうちに、みゆきの顔色は目に見えてよくなり、動きもてきぱきとし、笑顔が多くなった。
「あー、よく寝た!」
と、伸びをしながら起きて来て、要領よくスーちゃんの世話にかかる。
その間私は、布団を畳んだり、ゴミ出しに出たり。
「ミユキハウス」での日々が、激変し、私たちは楽しく、笑いながらの「介護生活」が送れるようになった。
みゆきは、ことあるごとに「テリーのおかげ」を口にし、「ありがとう」を繰り返す。
だがね、ここだけの話、私は大したことをしているわけではないのですよ。
並んで寝ているスーちゃんは、昼のあいだ、充分に介護を受けているからか、夜は意外におとなしく眠ってくれている。
ときに頭や前脚を動かそうとするときも、私がちょっと手伝って動かして、よしよしと撫でてやれば、そのままおとなしく寝てくれる。
みゆきが、大変でしょうというほど、私は大変ではないのだ。
みゆきに較べて、神経が太いのか、鈍いのか。
こうして私たちの、平和で穏やかな日々は続いているが、そうした介護のあいだに、みゆきが突然高らかに歌い出すことがある。
「フロイデ シェーネル ゲッテッルフンケン トホタル アオス エリィジウム~~」
それを聞いた私は、さっと立ち上がり、スーちゃんベッドの側の、庭に続くガラス戸を半分開く。
そう、スーちゃんのおむつの取り換えや、排便ヘルプの際の空気の入れ替え。
「カンキ」―「換気」を行うのであります。
「カンキ」-「歓喜」-「歓喜の歌」―「合唱」-「第九」-「ベートーベン」。
お粗末さまでした。
おーい!座布団ぜーんぶ取っちゃえ。
このような日常を、恩人の治美さんに伝えると、治美さんも、
「こちらも大丈夫ですよ。プーちゃんもドゥーちゃんも元気ですよ。ほかのワンちゃんともうまくやってますよ」
と、プーリーの初詣での写真、ドゥージーの誕生日の写真などを送ってくれた。
私たちがいかに安心な毎日を送っているか。
あるとき、昼間の外出から帰ってきて、食べてくると思って、自分だけの昼食を終えたみゆきが慌てて何か作ろうとするのを制し、
「いいよ、いいよ。自分のことは自分で」
と、私が残り物のざるそばに、ベーコンの刻んだもの、納豆、刻みネギ、ゴマなどをのせ、イタリアン・ドレッシングをかけて、ついでに卵黄をひとつ乗せて、
「テリー式カルボナーラだ!」
威張って食べようとすると、みゆきが急に笑い出した。
腹を抱えるというのはこういうことなのか、と思えるほど、みゆきは笑い続けた。
笑いながら、むせながら、なにかいっているのだが、なにをいっているのかわからない。
さんざん笑って、もう私が呆れ返って「テリー式カルボナーラ」を食べていると、みゆきはなおも笑いながら、苦しい息でいった。
「テリー式っていうなら、「テリーオナーラ」じゃないの」
自分でおかしくて、また笑い続ける。
平和ですね。
スーちゃんは、横になったまま、大きな目を見開いて、私たちを見ている。
バカじゃないのか、といっていた。
だが、私たちは知っている。
この平安が、この笑いが、決して長く続くことがないのを。
そのときが、確実に近づいていることを。
私もみゆきも、知っている。覚悟している。