心のひだに愛を詰めて
「HAYAMA TIME」の話から始めよう。
宮坂由美さんという高名なデザイナーが葉山に移ってきて、私とみゆきの友達になってくれ、その私たちをイメージの中心に据えて、さらには私とみゆきをモデルに起用してのカタログも作り、葉山に住むおしゃれな女性向きの新ブランド「HAYAMA TIME」を立ち上げた。
発表、展示、予約の会が、私たちの本拠地でもあるカフェレストラン「エスメラルダ」で行われ、大成功のうちに「HAYAMA TIME」は立ち上がり、出帆した。
というここまでの話は前回感動を持って紹介したが、その数日後のこと。
由美さんが「ミユキハウス」に遊びに来てくれた。
ふたりの女性は、もうすっかり仲良しになって、プライベートなことまで話し合う間柄なのだが、それでも由美さんはみゆきのピアノを聴いたことはなかった。
それはやはりおかしいね、ということで、みゆきがピアノをお聴かせするという形の招待、訪問だった。
そのとき私は、少し離れたマンションの一室、いわゆる「テリーズ・バー」にいて、一緒にピアノを聴くことはなかったのだが、みゆきがいくつかの曲に続けて、ショパンの「イ短調のワルツ」を引き終わったとき、由美さんはひとりだけの聴き手として、目を潤ませて拍手し、そしていったそうだ。
「素敵な曲ねぇ。この曲には高貴な紫のドレスが似合うわね。目の前にその姿が浮かんでくるわ」
デザイナーらしいユニークな言葉で感動を表してくれたのだった。
そして、みゆきの心にもひらめきが走った。
「そうですか。ちょっと待ってくださいね」
というなり、二階に駆け上がり、10分後に降りて来たときには、全身鮮やかな紫のドレスに包まれていた。
「今度のリサイタルに、いまのショパンを弾くつもりだったの。このドレスを着て弾くことにしました」
そして、改めてショパンの「イ短調のワルツ」を弾いた。紫のドレスで。
ひとりのピアニストとひとりの聴き手を、感動が包んだ。
この話をあとで聞き、
「いいなぁ」
という私に、みゆきはこともなげにいう。
「今度のリサイタルに来れば? そのショパンにそのドレス。ほかにも何曲か弾くわよ」
「ミユキハウス」に背を向け合うようにして、「グランダ」という大きな建物がある。ホテルのような、病院のような外見だが、実はここ、高級老人ホーム。
入居の費用も、月々の経費も並大抵ではなく、しかも人気があるために入居希望者が順番待ちをしているという施設なのだ。
その「グランダ」で、みゆきが3年ほど前から、月に一度ピアノのリサイタルを開いている。
もちろんボランティアで、老人ホームの入居者相手なので大作といわれる曲やハードなものは避け、心休まる曲ばかり、といった穏やかで優しい1時間を作っているという。
「テリーも来れば? 入れるわよ」
とはいってくれるのだが、老人ホームに私が行けば、まさに入居者そのものではないか。いやいや、と遠慮していた。
それが、由美さんおすすめのドレスで、みゆきが感動的なショパンを弾くといわれれば、愛する夫としては、ぜひ行かなければならない。
そう決めると、みゆきはいう。
「テリーが来てくれるって、緊張するわ」
これまでも、いくつものコンサート、リサイタルに付き合ったではないか。
恋人として、夫として。いや、マネージャーとして、付き人として、かな。
老人ホーム、というので、それなりの客ばかりかと思っていたが、中には車椅子のひともいるものの、みなさんしっかりした足取り。話す言葉も物腰も穏やかで品がある。
ケアマネージャーの誘導で、ピアノを取り巻く形に配置された椅子、ソファに座り、ピアニストの登場を待つ。
私は、うしろの目立たない場所にそっと坐っていた。
全員が揃ったところで、担当の職員のアナウンス。
「では、ピアノのリサイタルを始めます」
そして、奥のドアに向かっていったのだ。
「佐山先生、お願いします」
部屋の隅の私は、思わず返事をして立ち上がりそうになる。これまでの人生で、幾度となく呼ばれた名前だった。
そうか、「佐山みゆき イザベル」。これがみゆきの「本名」なのだった。やった!
由美さんのひらめきから選んだ紫のドレスのみゆきは、これまで何度も書いたことだが、やはり限りなく美しい。
みゆきの指から流れ出る曲たちも、やさしく、美しい。
一曲ずつ、静かな声で、愛する人に語り掛けるように、短い解説を加えながら、みゆきのピアノは続いていく。
Georgiana | ダリオ・マリネッリ |
Dawn | ダリオ・マリネッリ |
エリーゼのために | ベートーベン |
Adagio | バッハ |
「前奏曲 Op・28-7」 | ショパン |
イ短調のワルツ | ショパン |
別れのワルツ | ショパン |
「イ短調のワルツ」のときには、この紫のドレスを選んだいきさつを語り、ちゃっかり「HAYAMA TIME」の紹介、宣伝もさしはさむ。
ここにいる老婦人たちなら、お似合いだと思う、と、私も声に出さずに応援。
リサイタルのあと、数人の入居者たちとお茶をする。
みゆきを囲んだひとたちに、隣の席の私を、
「主人です。ものを書くひとです。『葉山 喜寿婚の浜』という本を出したばかりなんですよ。若く見えても、もう喜寿になりました」
そして、『葉山 喜寿婚の浜』のパンフレットをテーブルに広げる。
こっちの宣伝までしてくれて。
「グランダ」の係のひとにいえば、書店から取り寄せてくれるという。5冊は売れたかな。
みゆきの人生は、いまやピアノ人生だ。
ピアノのないみゆきは、考えられない。
仕事としては、「ミユキハウス」でのレッスン。
大人から子供まで、「みゆき先生」のお弟子さんが通ってくるし、みゆきが出かけていくこともある。
そして、「グランダ」は月に一度の割のボランティア・リサイタルだが、年に数度、本格的なリサイタル、コンサートを開く。
私が付き合い、手伝っただけでも、葉山福祉文化会館での「はやまDay」コンサート。
旧伏見宮別邸で、サキソフォンと共演もあったが、基本的にはみゆきのコンサート。
同じ場所で、みゆきの音楽学校時代の4人の仲間と開いた「おしゃべりな鳥たち」こんさーと。
湘南藤沢のショー・ホールでのソロ・リサイタル。
規模の大小はあっても、そのすべてに全身全霊で向かっていくみゆきには、一種の使命感のようなものを感じる。
レッスンはともかく、そうしたリサイタル、コンサートは、ほとんど無収入。持ち出しに近いことも多い。
だがみゆきは、いう。
「わたしのピアノで、ひとびとに幸せを贈りたい」
「心のひだに愛を詰めて、アコーディオンのように愛を奏でていたい」
この心やよし、とするから、私もいうのだ。
「みゆきは綺麗でいて、ピアノを弾いていればいいよ」
そうした暮らしを続けるくらいは、私にできるから。
そのみゆきが、いままた新しい企画を進めている。
舞台は私の「テリーズ・バー」のあるマンション。
建物の1階のおしゃれなレストラン「ラ・プラージュ」は、昨年私がみゆきの指にゴールドの指輪を飾った場所でもあるが、その「ラ・プラージュ」で、
シーサイドサロンコンサート
を開こうとしている。
きっかけは、夏の終わり、マンションのオーナーたちのバーベキューパーティーだった。
昨年のそのパーティにもみゆきは参加していたが、そのときは私の友人、パートナーとしての立場だった。
今年は晴れてオーナー夫人として、堂々としたもの。
準備の段階から参加して、ほかの奥さんたちに交じって野菜を切ったり、皿を並べたりしていた。
バーベキューが進み、皆さん昼間のビール、ワインも適度に回ってきたころ、幾つかに自然に別れたグループのひとつに、みゆきがいた。
話に花が咲いているようだった。
この話の中から、コンサートの企画は生まれた。
マンションのオーナーのひとりに、鈴木直子さんというピアノの先生がいて、同業、同身分ということもあって、
「こんないい環境でピアノを弾きたいわね。みんなにお聴かせしたいわね」
「そうね。聴いてもらいたいわね」
「なんとかできないかしらね」
そこに、古くからのオーナーのMさん登場。
Mさんは、そうしたイベントなどが大好きで、
「じゃ、私が理事会にかけて、なんとか実現に努力しましょう」
といってくれた。
そして、Mさんが理事長、理事会、管理会社を説得し、みゆきもなんと、理事会に呼ばれて、鈴木直子さんと共に説明に当たったのだ。
理事会は一致して賛同。応援してくれることになった。
みゆきは、オーナー夫人として1年目で早くもリーダーシップをとることになった。
みゆきの「ピアノ愛」、恐るべし。
私の大きな誇りでもあり、喜びでもある。
ベートーベン | 「エリーゼのために」 |
リスト | 「愛の夢」 |
ショパンのワルツ | |
フォーレ | 「月の光」 「マンドリン」 |
ドビュッシー | 「アラベスク」 |
など他数曲 | |
演奏者 | 佐山みゆきイザベル(ピアノ) |
笠原身奈子(ソプラノ) | |
鈴木直子(ピアノ伴奏) |
シーサイド葉山は、クリスマスの前に催される。