祭り
夏の終わり、秋の始まり
「ノアノア」やいくつもの海の家がなくなり、森戸の浜はがらんと静かに、そして寂しくなった。
もうしばらくして、本格的な秋を迎えると、いくつもの大学のヨット基地が連なり、学生ヨットマンたちの声や、風にバタバタ、ざわざわとはためくセールの音で賑わう週末が続くようになるのだが、いまは短い間隙の心地よい寂しさが漂っている。
そんなとき、部屋のベランダの窓から海を眺めていると、わずか30メートルほど先の浜に数人の男たちが集まり、なにやら作業をしている。
砂にいくつかの穴を掘り、そこに杭を打ち、葉のついたままの長い青竹を植えるように立てている。
そう。彼らは鳥居を立てているのだ。
その姿を見守り、男たちが帰ったあとに残る鳥居の屹然とした姿を眺めると、そうか、その季節になったのか。湧き上がるような、それでいてなにやら寂しげな感傷が湧いてくる。
祭りの季節がやってきた。
森戸神社 秋の例大祭
去年もこの時期、同じような場所に鳥居は立てられた。
二日間の祭りは、小雨交じりの中行われたが、私がみゆきとふたりで迎えた初めての祭りだった。
森戸神社境内の宵宮の屋台でビールを飲み、たこ焼きを頬張り、私にとってほとんど初体験ともいえる日本の祭りを味わったものだ。
一昨年も同じ部屋に住んでいたので、祭りはすぐ近くで行われたが、ペットシッターの治美さんに誘われるまま浜に出たものの、ほんの10分もしないで引き返した。
もともとそうしたひとの集まりというものが苦手なうえに、祭りを楽しむ気分にもならなかった。
私は「引きこもり老人」でしかなかった。
だが、昨年は喜んで参加した。
みゆきという存在が、私にそうさせた。
スイス人とのハーフに生まれ、敬虔なクリスチャンの家庭に育ちながら、こうした祭りのように、多くのひとが集まり、それぞれに楽しみ、交流する場が大好きなみゆきだったので、私を半ば強引に祭りに誘い出したのだった。
私も喜んででかけ、ひと群れに入った。
みゆきが、私にそうさせる、大きな存在になっていた。
去年の祭りから1年。
私とみゆきの上に、ずいぶんといろいろなこと、といっても方向性はひとつだったが、人生上最大ともいえる変化、展開が繰り広げられた。
いうまでもない。
忘れていたはずの、諦めていたはずの、愛というもの、ひとを愛するということの、新たな目覚め。
そしてその深まり。
「いろいろあったけど、これほど深くひとを愛したことはなかった」
というみゆきの言葉を信じ、終わったはずの人生を、改めて始めようと決めた私は、残りのすべてをみゆきに預け、残りのすべてのときをみゆきと生きようと決めた。
1年。
私たちは教会で結婚し、ふたりそろって葉山町役場に赴き、数十人のひとたちに祝福されるパーティを開き、その「愛の軌跡」、「愛の形」を一冊の本に描き、これまたたくさんのひとたちに読んでもらった。
私たちふたりは、この1年のあいだに、固く、深く結ばれ、ひとびとに認められ、微笑みを持って迎え入れられている。
長く、短く、そして深い1年間であった。
その祭りが、またやって来た。
まだ早い夕刻、街に、といってもすぐそばのバス通りに出てみた。
祭りはまだ始まっていないが、少し離れた森戸神社からは、テンツクテンツク、祭囃子が流れ聞こえてくる。
その祭囃子に魅かれるように、数人の若い女性がそぞろ歩いている。
浴衣姿であった。
通りの上には、いくつもの祭り提灯が揺れている。
まもなく、いくつもの町内が「子供神輿」を繰り出してくるはずだ。
「わたしの生徒さんも何人も参加するのよ」
みゆきが、嬉しそうにいっていた。
祭りは、二日間にわたって行われる。
初日は宵宮。
神社境内での神事と屋台の賑わい。
昨年は、小雨の中ではあったが、私たちは屋台に出かけた。
結婚を決めたばかりのころだったが、私たちのことはすでにたくさんのひとたちの知るところとなっていて、夜店のぼうとした灯りの中、幾人ものひとに声をかけられた。
私には、顔くらいなら、という程度の知り合いだったが、みんなみゆきには嬉しそうに話しかける。
みゆきがいった。
「みんな、テリーと話したいのよ」
周囲に少しは心開くきっかけになったかもしれない。
私はあのころから、みゆきによって変えられていた。
今年の宵宮でも、幾人ものひとに声をかけられた。
私には誰かわからないひともいたが、できるだけにこやかに対応した。
どうやらみゆきのおかげで「いいひと」になってきたのか。
浜で知り合い、この1年ほどで親しくなったT夫妻とは、たこ焼きを挟んで昔話。
私よりいくつか年長のTさんは、出版界、音楽界でその名を知られたひとなので、50年(!)前の話題の合うこと!
ふたりのところに近づいてきた中年女性は、私の本を買って読んだ、といい、
「おふたり、いいですねぇ。素敵ですねぇ」
といいながら、
「実は、私と主人も2回目同士なんですよ」
ビールで酔ったらしく、嬉しそうに笑っていた。
「わたしたち、多くのひとたちに幸せを贈っているのね」
みゆきは、この言葉をときどきいう。
そんなとき私は、そんな傲慢な、と思うのだが、この祭りのときには、そうかもしれない、と感じるのだ。
アメリカに、
「いつも笑っている幸せなふたりの、1マイル四方のひとたちも幸せになる」
という言葉があるそうだが。
「お若いですねぇ」
幾人にもいわれた。
私が、「葉山 喜寿婚の浜」なる本を出し、「喜寿婚」という言葉を広めたこともあり、実年齢がばれているわけだが、それよりいくつも若く見えるのは事実だろう。
あることを思い出した。
40年も前になるだろうか。
アラン・ドロンが来日したときに、インタビューと、記者会見の司会、通訳をした。
ある記者が質問した。
「アラン・ドロンさんの、若さの秘密はなんですか」
つまらない質問だが、仕方なく訳した。
アラン・ドロンが答え、私が伝えた。
「恋をしなさい」
いま、私たちは、恋をしている。
二日めは、本宮。祭りの本番。
午後、各町内が繰り出す神輿の数々が、葉山の町を練り歩く。
私たちも、祭りのTシャツを着こんで神輿を追って歩いたが、別々の町内のシャツ。
私は「森戸」、みゆきは「あずま」。
「テリーズバー」と「ミユキハウス」が違う町内にあるからだが、なに、別々にふたりが買ったに過ぎない。
練り歩いた神輿たちは、最後の森戸の浜に揃って繰り出し、あの鳥居をくぐり、ちょうど私の部屋の前を練り歩き、最後に「真名瀬(しんなせ)」の神輿が、担がれたまま海に入っていく。
クライマックス!
わっしょ、わっしょ!
そーれ、そーれ!
男たちは、磯の波を蹴立てて、どんどん海の中へ。
私たちは、浜でそれを見ていた。
「去年も、一昨年も、見に来たけど、この「海入り」は、ピアノのレッスンが入っていて
見てないの」
みゆきは、感動に涙ぐんでいた。
いい祭りであった。
これから、秋は深まっていく。