旅の絵と共にお送りする
年寄りの病気ばなし
年寄りは、病気の話が好きだ、といわれている。
男でも女でも、年寄り同士の話を聞くと、まさに自慢しているとしか思えない病気の話が延々と続く。
私は、そうした話題には極力加わらないようにしているし、自分には関係ないとさえ思っている。
だが、最近、どうもそうはいっていられない状況になってきたようで、遅まきながら自分が年寄りであることを、はっきりと、しみじみと実感している。
だから今回は、堂々と、というほど気張ったものではないが、病気の話をすることにした。なぜなら、年寄りだから。
その前に、ここのところ三か月近くこのページの更新をさぼっている。
六月末に、
「旅に出ます。」
と書いて、それ以来のご無沙汰。
「旅に出ます。」
と書いた以上、帰ってきたら、あるいは旅の途中からでも、その旅のレポートをするべきなのだろうが、旅そのものが、ほとんど船の上。
公海上をクルージング中だったので、インターネットが使えない。
いくつかの港に降り立ったとき、その地のWi-Fiを使えばできないことはなかったが、そんな時間は到底取れないし、船の上でも毎日毎夜がパーティ、晩餐会、コンサートなどアトラクションの連続で、部屋でパソコンに向かう余裕がなかった。
だから、帰国してからゆっくり、と思っていたのだが。
ということから、おもむろに病気の話に移っていく。うまいねぇ。
病気の話が続くわけだが、それだけではあまりにつまらないし、病気の写真を、といわれても困る。
だから、ここに連ねる写真は、クルージングの写真。
文章と写真の、どうしようもないギャップも、合わせてお楽しみに。
旅、というのは、いわゆる豪華客船の旅、というもので、まず成田からデンマークのコペンハーゲンに飛び、翌日豪華客船『ザイデルダム』に乗船。約2週間の船の旅が始まる。
終日クルーズののち、エストニアの古都タリン。
翌日は、ロシアのサンクトペテルブルクに降り立ち、エルミタージュ美術館、世界遺産のピヨートル大帝・夏の宮殿を二日間かけて回る。
そこからほとんど対岸といってもいいフィンランド・ヘルシンキ。
南に下ってスウエーデンはストックホルム。
またまた終日クルーズののち、ドイツ・バルネミュンデ港に入り、バスでベルリン日帰り。
次の日は同じドイツのキールに入港し、古い港町を一日中歩き回った。
おしまいにコペンハーゲンに戻り、市内を歩いて回り、夕刻飛行機に乗る。
こうして帰国して、さてパソコンに、と思っていたのだが、そんな私に病魔は牙をむいたのであります。
と書くと『たけしの家庭の医学』風だが、実際、文章どころ、レポートどころではなかったのだ。
ああ、ようやく病気の話ができる。
突然胸が、うっ、と詰まって息ができなくなる。
胸の真ん中が激しく痛む。
なんの前触れもなくそれはやってきて、胸に両手を当て、うーんと唸ったまま、三十分は動けない。
旅の前から、この症状は出てはいたのだが、クルージング中はぴたりと収まっていた。
なんだ、治ったんだ。
と油断していたのだが、帰国してすぐにこの、うっ、は戻ってきた。
前より痛み、苦しさは強い。
この病魔、もしかしたら、海外嫌いなのか。
近所のかかりつけのHクリニックに駆け込んだ。
話を聞いた女性医師は、逆流性食道炎だと思うが、胃カメラによる検査が必要だ。うちには胃カメラがないので、ほかのクリニックを紹介します、といい、教えられたのは、私が以前、葉山に移って来た八年余り前から罹っていたNクリニック。
しばらくです。ご無沙汰しました。
そして、数日後に胃カメラの結果を見たN医師、
「食道にも胃にも、ただれも傷もありませんよ」
同じフィルムを見たH女医も、
「おかしいですね」
首を傾げる。
しばらく応急処置のような薬をのみながら釈然としない日々を送っていた私だが、あるときはっと思い当たった。
このような胸焼けを英語では、ハートバーンというではないか。
ハートは心臓だ。心臓が焼けているんだ。
私は全国的に有名な葉山の「ハートセンター」に赴いた。
紹介状なしの私は、初日、三時間待たされた末に、今日は無理です。
翌日は、予約済みだったからすんなり診察を受けたのだが、これがまた懇切丁寧。
まずは疑いの掛けられた食道炎、胃炎の検査からだが、この病院、他院の診断を丸呑みしない方針らしく、同じ検査、つまり胃カメラから始める。
ただれは当然発見されないので、私の気にしている心臓の検査に移る。
ベッドに横になって、胸、手足、いくつものパッチを貼って心電図。
どこもおかしくないですね。
もっと詳しく診ましょう。
と、二十四時間心電図、なるものを撮ることにする。
いくつものパッチのコードをつないだ薄い計器の袋を腹部に張り付けて、今日はお風呂や運動は休んでください。
その夜、蜘蛛の巣にかかった哀れな昆虫のようにして寝た。
結果は、
「どこもおかしいところはありませんね」
それでどうなったか。
どうにもなっていません。
当初ほどではないにしても、いまも私は、突然の、うっ、に、胸を押さえて唸っている。
帰国して少し経った頃、顔の、顎の上や、左頬、さらには左の耳たぶあたりに、ぽつぽつと発疹のようなものが広がってきた。
数年前に、顔ではないが、首筋、胸などに同じようなポツポツができて、皮膚科に診てもらったら、皮下脂肪が汗などにふさがれて、中で悪さをしている。ニキビのようなものだ、といわれ、いい年をして、などと思いながら塗り軟膏をもらって塗布しているうちに直っていた。
そんな経験があるから、軽い気持ちで、葉山に開いた新しい皮膚科クリニックを訪れた。
夏休みなので、母親に連れられた小さな子供たちでごった返している。
待合室で、そこいらを駆け回ったり、ソファベンチの飛び乗ったり飛び降りたりするチビたちを、母親にわからないように睨みつけたりしながら待って、ようやく通された診察室で、私を一目見た美人の女医は、こともなげにいうのだった。
「あ、これは帯状疱疹です」
タタタタ、タイジョウホーシン!
命に係わる大、大、大奇病ではないか。
「多くは胸や腹部に現れるのが、顔に出たということですね」
体の左右どちらかだけに現れるのが特徴です、といわれてみると、顔の左にしか出ていない。
帯状疱疹は、子供のころに患った水疱瘡のウィルスが、大人になって現れる病で、若者にも当然襲い掛かるが、体力の弱った高齢者には特にしばしば見られる。
だから、
「よくあることですよ」
といわれてもねぇ。
ウィルスを退治するという錠剤をもらい、
「一週間ほどで治ります」
半身半疑で帰って来たのだが、一週間のちに再びその皮膚科に。
「ああ、治ってますね」
「治ってないじゃないですか。かさぶたみたいなのはいくつもあるし、耳の上がピリピリ痛いし」
「かさぶたは自然に取れますし、ピリピリは後遺症の一種で、まもなく収まります」
さらに十日ほど、ピリピリは消え、かさぶた痕はわずかに残るがそれほど目立つものではない。
ま、治ったんでしょうね。
今年の夏は、異常に暑かった。
まさに命に関わる暑さだといわれ、特に高齢者は熱中症を警戒して、不要不急の外出は控えるようにと、毎日テレビが叫んでいた。
そのこともあって、昼間はほとんど部屋にいて、本を読んだりテレビを見たり。
プーリーの散歩は、早朝五時半くらいと、日が落ちて涼しくなってからの二回。夕方の部は、そののちに海の家でのビールへと続くのだが、そんな日常で、私は二十四時間中二十二時間はエアコンの下で生きていた。
そんな夏も間もなく終わろうかというころ、両脚、特に左太ももに強い痺れが襲い掛かってきたのだ。
初めのころは、ジーンとくすぐったいほどの痺れだったのが、やがて激しい痛みに変わり、わーっと叫び、脚をおさえてのたうち回る。
深夜から明け方までこれが続くので、当然寝不足。
なにかまた、わけのわからない奇病か、と思っていたが、みゆきが、
「エアコンに当たり過ぎじゃないかしら」
テリーズバーとみずから呼ぶマンションにひとり住む私と違って、古い木造家屋で、暑さこらえて住んでます、のみゆきはそのせいか、かえって元気いっぱい。
毎日あちこちと飛び回り、日に一度は、手作りの料理を携えて私のもとへやってくる。
そして部屋に入るたびに、
「ああ、寒い、寒い。プーリーが可哀そうよ」
私より、プーリーを気遣っている。
「クーラー病よ、きっと。ゆっくりお風呂に入るとか、 ああ、テリーんちはシャワーだけか。だったら、毎日足湯をしてみたら」
そういわれて、翌日私は、昔よく通っていた整骨院を、久しぶりに訪ねた。
クーラー病とは、つまり冷やしすぎ。血行障害ではないか。
血行障害なら、足湯などではじれったい。
鍼、エレキ、マッサージで、手っ取り早く治らないか。
ピンポーン!
大正解。
その夜には、もう痛みも痺れもなく、ぐっすり眠れたのであります。鍼を打った日にはアルコール禁止、といわれ、それを守ったせいかもしれない。
これから週一には、整骨院に通うことにした。いつまで続くか。のど元過ぎれば、の予感は大いにあるが。
というわけで、年寄りの病気ばなしは、これにてひとまず終わり。
胸やけは、頻度は減ったものの相変わらず続いているが、脚の痺れはほとんどなくなった。
顔の顎には、うっすらと痕が残っているが、気にするほどではない。
北の海のクルージングの写真と共に、お送りした病気ばなし。
いくつかの不調が一度に現れたのは、多分このクルージングの疲れのせいかもしれないし、ただトシのせいかもしれない。
だが、みゆきが自分のフェイスブックや、友達へのメール、ラインで、クルージングがいかに楽しかったか、素晴らしかったか、フォーマルな夜の連続が、いかに感動的であったかを、繰り返し書きまくっているのを見ると、私もうれしくなる。
疲れなど、軽い病など、どうでもいい。
みゆきが喜んでくれるだけで、幸せを感じてくれるだけで、大いに結構なのであります。