羽仁未紗 VIVA OPERA 12
「マダム・バタフライ」「トゥーランドット」に並ぶプッチーニオペラの3大傑作のひとつ。3大ヒット、といったほうがいいのかもしれないし、人気的にはトップでさえあるかもしれない。
例えば音楽学校、研修所のようなところの卒業公演、発表会などで上演されることの圧倒的に多いのがこの「ラ・ボエーム」だ。それは、ほかのふたつや他の作曲家の作品と違って、19世紀末とはいえ舞台がパリの下町、安下宿とくれば、出演者たちのすべてが普段のままの衣装でいいし、時代考証の必要なややこしい舞台設営もいらない。つまりお手軽に上演できる作品だからということがいえよう。
いや、もちろんさすがプッチーニ。貧しい芸術家とやはり貧しいお針子との悲しい結末の恋という普遍的な悲劇である上に、ルドルフォとミミが出会うシーンでの「冷たい手を」や「わたしの名はミミ」、死を前にしたミミが歌う「さようなら」などひとの胸をうつ素晴らしいアリアも随所にちりばめられていて、女心を捉えずにいられない。
しかし、イタリアにいるプッチーニがなぜその時期に、わざわざ現代(当時の)パリを舞台にした悲恋ものを書かねばならなかったのか。ここに、そのころ社会問題とまでいわれたある風潮があった。
革命からのときも流れ、パリの大改造も進み、当時のフランスには、パリ一極化ともいうべき流れがあった。地方の貴族、豪族、金持ちの息子たちは、立身出世を目指してわれもわれもとパリにやってきた。
当然ひとりかあるいは何人かでアパルトマンを借りて学校などに通っていたのだが、そこが若い男たち。女性なしでは生きていけない。といって学生の身では、夜な夜な歓楽の巷というわけにはいかず、そこいらの手ごろな女性相手に欲望を満たすことになる。
そうした若い、将来のエリートたちの相手になったのは、これもまた地方からパリに上がってきてはいるが、学問やキャリアを求めてではなく、単に生活のための、田舎の貧しい農家の娘たち。パリというあこがれの地を知ったばかりに、パリに出さえすれば幸せに、お金持ちになれると夢見て上京してきた。
実際は、パリで急速に増えた紡績工場、町工場の女工さんでしかなかったのだが、この若さだけが取り柄の女の子たちが、情熱を持て余している男の子たちのお相手となるのはいとも当然だった。
このような女工さんたち、女の子たちは“グリゼット”と呼ばれた。直訳すれば“尻軽な女”となるのだからひどい話だ。
こうしてお手軽な女の子とパリの青春を楽しんだ若者たちも、卒業すれば故郷に錦を飾るわけだが、グリゼットたちはもちろん連れて帰ってなどもらえず、早い話がポイされる。捨てられるだけならまだ次があるかもしれないが、中には身ごもった挙句に置き去りにされる女性もあとを絶たずにいた。社会問題だったというのはこの理由による。
目ざといプッチーニが目をつけたのは、こうした時代風潮だった。
といって、エリート若者と尻軽な女、では話にならない。そして生まれたのが、貧しい芸術家とやはり貧しいお針子の悲劇。都会の片隅の、若者たちの性の乱れを、プッチーニはきれいな“神話”へと変えて見せたのだ。 
初演以来、このオペラを支え続けたのが、ここの登場するような若い男女であったことはいうを待たない。

