WEEKENDLESS 8
二大美術館、哲学の差を見た
ニューヨークに“帰ってきて”10日間が流れすぎたが、その間、本来の目的であった調べ物は、大学の図書館、資料室などで数時間、ふたりの関係者に会ってそれぞれ1時間ほど話をして、おしまい。あとの時間すべては旅人だった。あてもなく町を歩き、2年前まで自宅のように暮らしていた場所を訪ねと、いや、実はこちらのほうがこの旅の本来の目的だったのかもしれない。
旅というものはもともとそうしたものではないのか。はっきりした用件や目的があるのは出張であって、旅ではない。大した目的もなく人生を送ってきた私は、だからその意味で、生涯旅人、と思い込んでいるのだ。
そうした小理屈はさておいて、ニューヨークの二大巨頭といわれるふたつの美術館
。MoMA(近代美術館)とメトロポリタン美術館には、これまでも10回、20回ではきかないほど訪れたが、美術品の展示の仕方、さらには鑑賞の仕方において、これほど極端に異なっている例は、ほかには見当たらないだろう。美術館としての、哲学が対照的なほどに違っている。
MoMAは、私たちがニューヨークで暮らし始めた7年前には、現在の都心部、ミッドタウンにはなかった。もともとはあったのだが、大規模な改修工事というより全面的建替え工事のため、すべての所蔵美術品とともに、イーストリバーを渡ったブルックリンの地で仮住まいをしていたのだ。そこにも幾度も出かけてはいったが、やはり仮住まいの落ち着かなさ、早く観て帰らなければ、と感じさせるあわただしさだった。
そのMoMAが54丁目の現在の地、本来の場所に戻ってきたのは、4年前のこと。私はうっかりその日を忘れており、偶然前を通りかかって気がついたものだが、オープン初日のお披露目日で、一般客は入れない。
私は奇策を思いついた。その10年ほど前から、私はゴルフツアーの観戦、取材のためアメリカPGAのプレスメンバーカードを持っていたが、ニューヨークに移ったのを機に、それをさらにオフィシャルで広範囲にカバーする外国人記者章(フォーリン
・プレスメンバー)にアップグレードしていた。そのカードをMoMAに提示してみると、いうことなしのウェルカムで、バッグいっぱいの記念品までプレゼントされたのだった。PGAカードでは入れてもらえなかったはずだ。
といった楽しい思い出もあるが、古めかしい建物の多いその地にあって、日本人建築家の手によるガラスを多用した白亜の超近代建築は、広い中庭にはロダンの彫刻が立ち並び、エスカレーター横の吹き抜けにはグリーンのヘリコプターが吊るされており、と冒険心たっぷりなさまで、美術品以上に注目を集めていた。
そんな中を歩き回った私には、畳を縦につなげて7、8枚は並べたような、クロード・モネの巨大な『睡蓮』が、白い壁面があまりに広すぎて小さく見えてしまうのが
気になったりしたものだ。案の定、翌日のニューヨーク・タイムズには、モネの絵がバンドエイドにみえた、などとからかわれていた。
そんなことを思い出しながら今回もMoMAを歩いたのだが、落ち着きのなさは以前のまま。ここは、ほかと違って、古今の美術品を作家ごと、時代ごと、国ごとといった分け方をしない。その作品を提供した美術館ごとに、その名を関して展示してあるので、あちらこちらにピカソがあったり、ゴッホ(ヴァン・ゴーという)とポラックが並んでいたり、まとまりはまったくといっていいほどない。
そして、地方、外国からの観光客が、順路もなにも無視して歩き回り、名作、有名作の前ではにぎやかにフラッシュを光らせての記念撮影。たくさんいる係員も客のためにシャッターを押してやったりしている。美術館のテーマパーク化、とは、パリのルーブルをさして誰かがいった言葉だが、MoMAにはそれがさらに顕著に現れている。
このMoMAと正反対なのが、もうひとつの巨頭、メトロポリタン美術館だ。もちろん今回もすでに二回訪れているが、広さはMoMAの10倍はあろうか。西洋絵画ばかりではなく、古代ギリシャの彫刻から、有史以前のオリエンタルの遺跡出土品、マイクロネシア古民族の遺品、日本の襖絵からアフリカの現代絵画。種々雑多、玉石混交なさまは美術館ではなく博物館だ。ここはよくルーブルと比較されるが、それよりも全英博物館と比肩されるべきではないか。
そうした天文学的数々が、実に正確に、細かく分類整理され、あるべきところにあるべき姿で展示されている。私が全英博物館だというのは、この正確無比な姿と同時に、見せてやる、教えてやるという堅苦しいまでに漂う権威主義の香り。もちろんカメラなどとんでもない。私語も、制服姿の係員ににらみつけられる。
MoMAとメトロポリタン、どちらがいいかはいわないが、美術作品への接し方、考え方、あるいは展示の仕方など、考えさせられることも多い。
今回の旅の途中まで、ほかにもクリムト、エゴンシーレのウイーン近代画家を集めたノイエ(NEUE)美術館、カンディンスキー作品の多いグッゲンハイム美術館などにも足を向けたが、どこも美術館としての哲学は自分なりのものを持っているようだ。日本の美術館の多くには、まだ迷いが感じられる。帰国したら、いくつか回ってみよう。
それにしても、メトロポリタン美術館で見た特別展、ギュスターブ・クールベには疲れた。近代フランスのリアリズムは、どうも私には苦手だな。