WEEKENDLESS 7

ただいま、ニューヨーク

 ニューヨークはやはり一筋縄ではいかない街だ。
 太平洋を飛び、北アメリカ大陸を西から東へと大またぎ、13時間のフライトののち降り立ったJFK国際空港は、違うところに着いたのではないかと思えるほどの寒さだった。タクシー乗り場に並ぶ旅人、帰国者たちは上着の前をきつく合わせ、前のひとの背に身を隠そうとしていた。
 だから私たちも、その夜はリバーサイドカフェでのウェルカムディナー、と勝手に決めていたスケジュールを急遽変更。ホテルのそばの小さなスパニッシュレストランでの軽いタパス料理で済ませた。
 翌日も、午後いっぱいはコロンビア大学の資料館で過ごしたもののまっすぐにホテルに帰り、やはり近所のベトナムレストラン。寒くて遠くに出かける気にならない。
 しょうがないから、明日はホテル近くのメーシーズでダウンのコートでも買うか、と思って迎えたその翌日。街に出てみると昨日までとはまったく違う。行き交う男女の多くが、Tシャツにジーンズ、あるいはだぶだぶのショートパンツ。せいぜい軽いジャケッツといった装いではないか。持ってきた中でのいちばんの厚着をして出た私たちは、あわてて着替えに帰るありさまだった。
 というわけでメーシーズはやめて、6番街を歩いてセントラルパークにやって来た。
セントラルパーク 小さなフレンチブルドッグを連れた老夫婦。ベビーカーを押す若い男女。ヘッドフォンを聴きながら駆け抜けていく黒人ジョガー。上半身裸で自転車を走らせる中年男。
 そうした空気の中を歩き、ベンダーで購入したアーモンドを木陰のリスたちに投げ与え、私はようやくニューヨークの風を味あうことができたのだ。帰ってきてよかった。

セントラルパーク あの子とは違うだろうな

 ニューヨークはマンハッタン。2年前までの5年間暮らした街。生涯旅人を自認し、ふるさとなど持たないはずの私にとって、あえてふるさとといいたい街、それがニューヨークであり、パリであり、ミラノ、ヴェネツィア。決して日本ではない。だから、ニューヨークやパリには、行く、とはいわずに、帰る、という。
 ふるさとは、心の中にある。どこで生まれたか、なん年住んだか、ではない。
 10年暮らしたカリフォルニアのパームスプリングスから、ニューヨークに移ってきたのは7年前のこと。カリフォルニアの10年が長い旅行だったのと同じく、ニューヨークも旅先の街だった。そのまま5年間暮らしたが、旅先だったことに変わりはない。
 最初の3年間は、世界で一番とんがった街といわれていたトライベッカ。私が来る半年前、すぐ近くの世界貿易センタービルに2機の航空機が突っ込み、街じゅうがまだ怒りと悲しみに呆然としていた。私たちも幾度となくグラウンドゼロを訪れて溜め息をつき、セント・ピーター教会のベンチに坐ってテロ爆撃の写真を眺めた。
new york ニューヨークの4日目に、グラウンドゼロを訪ねてみた。
 2年前に始まった工事はまだ続いている。いま、工事フェンスを取り囲んでカメラを向けている観光客たちは、あの爆心地の壮絶さも、いや、その前に空に伸びていた2本のWTCビルの姿さえも知らないだろう。 new york
 私は予定していたリバーサイドカフェのディナーを取りやめた。ブルックリンのその店から眺めるWTCビルのライトアップされた姿がなくなって悲しいから、もう行かない、といっていたニューヨーカーの友人の言葉が思い出されたのだ。
ここに5年住んでいた シティホールの前庭を抜けて、移民局ビルの前の“111(ワンイレヴン)WORTH”という10階建ての白いアパート。その505号室に私たちは3年間暮らし、そこからオペラやコンサートやジャズや美術館に出かけ、パリやミラノにも飛んでいた。俺たちは世界一カッコイイ、と思っていた。
 そのころはしばしば食事に寄っていたチャイナタウンは“時局柄”パスして、隣のリトルイタリアも通り抜け、ノリータのヴェジタリアンの店でランチ。
 4番街を北上、ユニオンスクェアの横を抜け16丁目を右に。煉瓦造りの古いアパート群の先に開けるのがスタイヴサントパーク。義足のピーターと呼ばれたオランダ時代の悪代官、ピーター・スタイヴサントの名を残した公園だ。そんな名を残すなよ、といいたいがこういうところがアメリカ人のおかしさだ。自らの悪行を恬(てん)として羞じない。自分たちの先祖が侵略掠奪虐待虐殺した先住民の言葉、地名を平気で残す。
 このデリカシーのなさが、アメリカという国を支えてきたのだろう。そろそろおしまい、という気もしないではないが。

スタイヴサントパーク


 スタイヴサントパークの隣にひときわ大きい9階建てのごつい建物。ラザフォードプレースというアパートで、20世紀最初の名建築といわれたここに、私たちの後半の2年間の棲家があった。4階の廊下から入って3階、2階と縦に広がる不思議な間取りで、オー・ヘンリーやマーク・トゥエンも近くに住んでいて、という。トライベッカのシャープな雰囲気とはまた違った、古いニューヨーク生活がここにはあった。
 2年前と変わらない建物に入ってみると、3人いるドアボーイのひとりが私を覚えていてくれた。
「やあ、テリー、帰ってきたんですか」
ふざけて訊いてみた。
「俺たちの部屋、まだ空いてるかい」
老いたるドアボーイは答えた。
「残念です、テリー。このアパートは全館コンドミニアムになったんです。レンタルはしなくなった。でも、近くに私の知っているいいアパートがあるから、紹介しますよ。いまから行きますか」
 ほんとうに、そうしたくなった。