WEEKENDLESS 49
春の日の“猫な”一日
すーっと風が入ってきた気配に目覚めると、寝室のドアが音もなく小さく開いていた。いつも隣にいるひとは朝早く病院にでも出かけたらしく、家の中は静まりかえっている。
半分眠っていたのでなにが起こったのかわからなかったが、やがて足元にふわりとした重みを感じて、あ、やられたかな、と心のうちに身構えた。猫が自分でドアを開けて入ってきて、ベッドに飛び乗ったのだった。
ミンミンはすっかり年を取っていて、かなりの認知症も来ているようだ。しばらく前、朝ベッドにやってきたのはいいが、そのままその上で粗相をした。それ以来寝室に入れてもらえない哀れなミンミンだったのだが、今朝はドアがきちんとしまっていなかったのだろう。
身構えた私だったがミンミンは別にベッドを掘り返すでもなく、ただ私の胸の上に移り、そのまま丸くなって目を閉じた。ほっとするのはいいが、おかげで私は動けない。ミンミンが起きるまで付き合って寝ていなければならない。
ミンミンは、軽かった。あまりにも軽くなっていた。それが私を悲しませる。小さくなったなぁ。いまは、もう3キロもないだろう。いや、2キロを切っているかもしれない。以前、アメリカで測ったときには38ポンド、10キロ近くあって、胸や腹にどすんと乗られると、衝撃と重みで息もできないほどだった。14歳という年齢で仕方がないのだろうか。
そう。ミンミンがやってきたのは14年前、私たちがカリフォルニアはパームスプリングスに住んでいるときだった。生まれて間もないころでテニスボールのように弾んでいたし、パジャマのポケットにすっぽりと納まるほど小さかった。いまの小ささと違って、生き生きと香り立つような、眩しいほどの軽やかさ。正しくはノルウェイジャン・フォレスト・キャットという種類だが、つまりはアメリカ猫恐るべし。どんどん大きくなり、倍々ゲームで育って、日本からの客が巨大猫と恐れるほどに成長したものだ。
当時のミンミンのようすをここに昔の写真でご覧いただくが、こうしたミンミン成長物語は「ハミングバードの庭で」という著書(飛鳥新社刊)にも、その他のエッセイなどにも詳しく書いたし、ミンミン宛てに日本からファンレターが届いたことさえあった。
つまりミンミンはパームスプリングス、ニューヨーク、東京と、14年間ずっと共に暮らしてきた家族であり、ミンミンのいない日常など考えることさえできないし、今度トヨスに移るにあたってもミンミンの部屋は当然確保されることになっている。
1時間ほどそうしてじっと寝ていたが、ミンミンはいっこうに目覚めようとしない。スースー、プスプスという小さな寝息の邪魔をしないようにそーっと両足を抜き取り、ベッドから出て、ミンミンを起こさないために着替え一式を抱えてリビングルームに脱出した。
一日中本でも読んでいようと思っていたのだが、気分を変えて出かけることにした。ミンミンのおかげで少し悲しい思いをしたせいで、今日のテーマは「猫」で行こうと考えたのだ。
電車で新宿に出て、伊勢丹デパートに向かう。
5階の小さな催し物部屋で、その場に即した小さな美術展が開催されていた。
「猫の王国美術館」と題されたここにはわずか30点足らずの作品、それも20号ほどの小品ばかりが展示されているのだが、作者は直江真砂さん。大阪出身、女子美出の、猫の絵を描く女流としてつとに有名なひとだが、過去に多くの画家たちが描いた、写実的であったり、可愛かったり、怖かったりするものではない。世界的、歴史的に広く知られた世界の名画を、モデル、主人公を猫に置き換えて描くという実にユニークな作品集なのだ。
例えば「牛乳を注ぐ女中」といえば、フェルメールのあまりにも著名な絵だが、ここではその女中の顔が猫に変わっており、それでいてこんな女中さんがいたな、と思えるリアリティがある。
「ムーランルージュのラ・グリュー」はロートレック。この踊り子もシルクハットの遊興紳士も猫に変身。ラファエロ「椅子の聖母」も、マリアもイエスも猫。ルノワール「草を持つ少女」も、ブリューゲル「農民の踊り」も、浮世絵の写楽「二世大谷鬼二の奴江戸兵衛」の大づらも、みんなみんな猫ねこネコ。
賛否はあるだろうが、私はこのような洒脱な、ともすれば悪ふざけに堕しかねない危険な冒険が嫌いではない。ずっと以前、雑誌で真砂さんの猫の絵を観て、その感想をある雑誌に書いたこともある。それを覚えていてくれたのか、あるいは受付のノートに書いた名前で気づいてくれたのか、いないと思っていた真砂さんがわざわざ挨拶に出てきてくれてかえって恐縮。だが、1点も買わずに失礼したのはわれながら図々しい。だって、こうした猫の絵、今度の住まいには合いそうもないんだもの。
朝のミンミンの悲しみがすっかりなくなって、私はまた電車を乗り継いで文京区千駄木まで出張った。千駄木、根津、谷中。このあたりは谷根千やねせんとまとめてよばれ、東京では知るひとぞ知る猫の名所。といって、江戸川河川敷のように心ないひとたちが子猫を捨てていくなどという民度の低さではなく、暖かく、優しく、きれいに飼われ、育てられている猫がたくさんいる、大正昭和の香りがいまも濃く残っている地域なのだ。
なんとなくアコーデオンの調べが流れてくるような千駄木に着いてとりあえず入ったのが喫茶「乱歩」。江戸川乱歩が生前通い詰めたという古めかしい喫茶店。30年ほど前に来たことがあるかな。埃っぽさ、煙草臭さ、湿っぽさが懐かしい。コーヒーの味わいはまさに昭和の「純喫茶」であった。
人通りの少ない住宅街の道をのんびり歩く。駄菓子屋、豆腐屋、花屋。駐車場の車の屋根には首輪をつけた猫がお昼寝。そうした中に猫がらみの店というか家というか、そんなのが散らばっている。
まず「ギャラリー猫町」は、急な石段を上がる普通の民家だが、猫をテーマの陶芸、絵画、写真などを展示している。別に売る気配もなく、ただ見せるだけという、いかにも猫好きな小さなギャラリー。
「ねんねこ家」は猫を模したアクセサリー、小物を扱う、これは小さな商店。猫柄、猫型の食器などを売っている店もすぐ近くにあった。
猫の気配を全身に感じながら谷根千を歩き回ったが、結局ここでもなにも買わなかった。相手もさほど熱心に売りたいようすでもない。これでいい。猫好きたちは、こうやって気持ちが触れ合うだけでいいのだ。わからないだろうな。
せっかくここまで来たのだから、と、少し歩いて弥生町。東大裏にひっそりとたたずむ「竹久夢二美術館」に足を運んだ。ここには何回も来ている。
見事なほど客のいない美術館。自分の足音に気を使いながら、絵を観るでもなく、書簡に目を落とすでもなく、窓から流れいる日差しの中、眠たい1時間を過ごした。
結局今日は、なにもしなかった。
世田谷の家に帰ってみると、ミンミンはリビングのテーブルの下に場所を移して、やはり眠り込んでいた。その姿は、小さく、悲しい。