WEEKENDLESS 46

わが偏見、いまだ改まらず   

あと2カ月足らずで3年間を過ごした世田谷から、誕生したばかりの21世紀の街トヨスに移る。まだ移転の準備などほとんどなにもしていないようなものだが、それでもなにかと気ぜわしいものだ。
 気ぜわしさのわけのひとつは、世田谷でやり残したことがたくさんあるからではないだろうか。世田谷には、アメリカに移住する前の10年間、さらにその前の3年間、違う場所だが暮らしていたから、延べにすれば16年間も世田谷区民だったわけだが、それにしては知らなすぎる。住んではいながら街に溶け込もうとはしていなかったからかもしれないが、いまだにその3つの場所以外のところでは道に迷ってしまうほどだ。
 これではいけない。昔と違って、今度世田谷を出てしまえば、2度とこの街に住むことはないのだから、この2カ月のあいだ、せめて世田谷を知るようにしよう。そう思ってこのところ毎日のように外食しているし、意味もなく車を動かして区内を眺め歩いている。
 インターネットで世田谷美術館をヒットしてみたのもそんな焦りからだったに違いない。砧公園の端っこにある世田谷美術館には、アメリカから帰って間もないころに1度だけ訪れたことがあるが、併設のレストランがクラシックな洋食屋さんといった印象で気分がよかったことくらいしか覚えていない。美術館でなにを観たかも忘れているのだから、よほど印象が薄かったに違いない。
世田谷美術館 ところがインターネットに現れた情報によると、いま「イギリス美術展」の最中だとあるではないか。「イギリス美術」、この言葉は、まるで新鮮な驚きにも似て私の心を捉えた。そうか、こういう手もあったのか。
 美術館好きで、都内の美術展には必ずといっていいほど顔を出すし、旅に出るとその町の美術館は絶対に欠かさない。そこで私が見て回るものは、フランスの画家による作品であり、イタリアのそれであり、稀にスペイン、オランダ、さらのもっと稀にアメリカ。もちろん日本人画家の作品もあるが、イギリスとなるとゼロといってもいいほどだ。
 もちろんイギリスには幾度となく出かけているし、20年ほど前ゴルフに関する文章を多く書いていた時期には、全英オープンの観戦などで年に1、2回は必ず旅していた。当然のように美術館にも行った。ロンドンのナショナルギャラリーには3回行ったかな。3か所に散らばっているテイトギャラリーは3つとも行っただろうか。
 だが、そんなときでも私が立ち止まって眺める作品は、たとえばナショナルギャラリーではベラスケスなりレンブラントであり、テイトギャラリーではミロ、ダリ、ピカソであった。つまりイギリス人画家ではない。イギリスにもヤン・ファン・エイクやミレイ、ターナー、ロセッティなど優れた画家がいたことは承知しているが、いかんせん関心が湧かない。そうした画家の作品の前は通り過ぎてしまうのだ。
 これはもう偏見としかいえない。どうしてこんなことになってしまったのか。
 なんとなく義務のように出かけた世田谷美術館で、そのわけがわかった気がした。
  2階の広い展示場には、ターナー、コンスタブル、ホックニー、ゴールズワージーなど、知るひとぞ知るイギリス人画家の作品が並んでいたが、はっきりいってしまえば、やはりつまらない。私にはつまらなく感じられた、といわなければならないかな。
世田谷美術館 この美術展の正確な名称が「十二の旅:感性と経験のイギリス美術」となっているように、美術展全体のテーマが「旅」であることもつまらなさの理由かもしれない。旅がテーマなら、当然地方の風景、海や山、川を描いた作品が多くなる。
世田谷美術館 風景画がつまらないといっているのではない。同じ田舎の景色を描いても、フランスやイタリア、スペインの画家の作品には、もっと華やかさや新しさ、冒険、実験、挑戦、野心、美意識、そういったさまざまな要素が秘められて、いや、表されている。イギリスの風景画にはそれが感じられない。確かに写真のように正確に、自然の厳しさ、大きさ、のどかさは描かれているが、それだけ。
 アングロサクソンとラテン。民族の違いなのだろうか。ジョークの好きな国民といわれながら、イギリス人のジョークがおもしろくもないのも、同じことだろうか。根が真面目すぎるんですな。19世紀から20世紀初頭くらいまでのアメリカ美術がつまらないのは、出自がイギリスだったからか。
 しかし、くそ真面目でユーモアがないという点なら、わが日本人も引けをとらないはずだが、日本人画家の多くがフランスで修業したり、フランス美術の影響を強く受けたりしたせいか、その弊害から免れていることはうれしいことだ。それだから永遠にフランス美術を追い越せないともいえようが。
世田谷美術館 そう思って世田谷美術館を去ろうとしたとき、そこに貼られたポスターで 同じ世田谷美術館だが、少し離れた分館で向井潤吉の作品展を開催していることを知った。それを見て私は、ああそうか、と大きくうなずいたのであった。
 イギリスの風景画に向井潤吉。そうか。いま世田谷美術館はこの線で攻めているのか。
 自分の勘の確認のため、その足で世田谷は弦巻の分館に向かう。
世田谷美術館 勘は正しかった。向井潤吉展のテーマ、サブタイトルは「生きている民家」。昔ながらの日本の田園風景。そんな中に100年も建ち続けているような藁ぶき、萱ぶきの農家。写真のように、草木の1本ずつ、雲のひとすじずつが正確に几帳面に描きこまれている。
世田谷美術館 立ち止まることなくすーっと歩き終え、展示場を出た。
 イギリス絵画、アングロサクソン気質、日本人かたぎに対する偏見。フランス、イタリア美術への偏愛。フランスかぶれ、イタリア・ミーハー。私のそうした“悪い癖”は少しも直らなかった。
 あと2カ月でお別れする世田谷のひと、世田谷美術館のひとって真面目なんだな。きっといいひとなんだろうな。

世田谷美術館