WEEKENDLESS 4
歌舞伎、大名跡の東西共演
やっと間に合った。千秋楽に跳びこむように駆けつけた歌舞伎座であった。
いうまでもなく歌舞伎公演は、毎月一ヶ月通しで行われる。だから私としては、その月の空いている日を見定めて出かければいいわけだが、2月には歌舞伎座の月例公演のほか、新橋演舞場で市川海老蔵の七変化の大狂言がとり行われ、それを満喫するということがあった。だから、2月は2度の歌舞伎を楽しんだことになり、そのために3月はうっかりしていたといえるかもしれない。
だが、うっかりですむような話ではなかったのだ。
なんといっても250年近く前、江戸に市川團十郎、上方に坂田藤十郎という大看板が誕生して以来、初めて歌舞伎座の板のそろい踏み。江戸歌舞伎と上方歌舞伎の創立者ともいえる東西の大看板の初共演。これを見逃しては末代までの恥、とオーバーに騒いでもいいほどの話。250年だよ。250年。
なぜこれほどの長きにわたって共演がなかったか。話は簡単だ。坂田藤十郎という名前が初代限りで消滅し、あとを襲う役者がいなかった。共演しようにもできない相談。それだけの話。それが、中村雁治郎、ご存知でしょう、前参議院議長の扇千景の旦那で中村玉緒のお兄さん。いまや人間国宝。このひとが231年ぶりに山科屋・坂田藤十郎の名を復活させた。そこでようやくこの歴史的な共演が実現したということなのだ。
能書きはさておき、だ。
千秋楽といってももちろんいつもどおり昼の部と夜の部の分かれており、昼の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」のうち「陣門・組打」にも團十郎と藤十郎は出てはいるが、あくまで團十郎の舞台であり、藤十郎は顔見世程度。見るべきはやはり夜の部の「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」の「道行より押戻しまで」の部。
踊りものとしてあまりにも知られた安珍清姫の「娘道成寺」。恋の恨みから道成寺の鐘に火をつけて死んだ清姫の亡霊、白拍子花子が次々に舞を舞い、最後に鐘の中に飛び込んで大蛇
に化身するというストーリー。
それだけの話ではあるが、看板に“坂田藤十郎喜寿記念”とあるように、77歳になった藤十郎が1時間もの長丁場を踊り続ける。そこで最後に團十郎が登場し、成田屋・市川家の十八番の押し戻しの荒業で応じる。まさに東西の激突。巨人阪神戦なんてものじゃない。
歌舞伎座では私の定席と自分で決めている2階の1列19番、最前列から、それこそ身を乗り出すようにしてくらいついた1時間ではあった。
これほどの名優の舞台に私ごときが感想を述べるのもなんではありますが、藤十郎のいかにもまったりとして、融けて崩れんばかりのたおやかさに、團十郎のバタ臭いほどのけれん味。どちらかといえばのミスマッチが不思議な味わいを醸し出してはいた。というのは少々苦しいいいかたで、はっきりいってしまえば、これはあくまで記念公演、なん年かに一度の東西交流。そう考えるべきなのだろうか。昼の部の「一谷嫩軍記」に藤十郎がちょいと顔を見せたお返しに、團十郎がこちらはいささか派手な押し戻しをお見せした。そういうものではないのかな。
しかし、ま、要するに、観ておいて損のない舞台ではありました、ということだ。 それにしても幕間(まくあい、と読んでね)に地下食堂で食べた花かご膳、意外にもおいしかった。意外にもというのは、これまでの数ヶ月、あまり感心しなかったからだが、春の到来ということもあるのだろうか。 
4時半の歌舞伎座に備えて、昼過ぎから銀座に出ていた私たちは、ちょっとこじゃれた店でランチでもと、銀座通りを歩いてみた。車で生活していると、なかなか銀座の、特に昼間の銀座は歩く機会が少ない。いいチャンスなので話題になっているブランド・ファッション店舗をチェック。ブルガリ、ディオール、カルティエ、エルメス。ミラノでもパリでもニューヨークでも、幾度も訪れた店ばかりだが、それがこれほどの近くにまとまっているのはやはりすごいことだ。近いうちに本店に行くのに、と思いながらついカードを取り出してしまう私でありました。

ランチは、最も新しくオープンしたというジョルジュ・アルマーニのアルマーニ・カフェにて、軽いパスタにバロッロのグラスワイン、それにペルグリーノ(水です)。 このアルマーニ・カフェは世界中にあって、ミラノ、フィレンチェなどのほか、ボストンにも、なんとカリフォルニアはサンディエゴに近い郊外型のショッピングモールにもある。そのいずれにも数回は訪れているのが、わたしの自慢のひとつでもあります。たいしたことではないな。
