WEEKENDLESS 39
ミラノで心はワイドオープン
それはある爽快感をとなった寂しさとでもいおうか。
アリタリアの機内のひとになったとき、すぐに浮かんできた感想であった。
アリタリア航空が経営破綻に陥って、エールフランス・KLMの傘下に組み入れられたのはわずか半年ばかり前のことだったが、そのニュースを聞いたとき、私はまるで自分の会社がそうなったかのような寂しさを味わった。それほどアリタリアは近いところにあったのだ。
私が初めてアリタリアの客になったのは、もう30年余り前のこと。当時ヨーロッパに行くには、えんえん20時間以上かけての南回りか、アラスカはアンカレッジで給油する北回りしかなかったから、日本から直接アリタリアに乗ることはあり得ない。だから、そのときは滞在していたパリの、しかもオルリーからローマに飛ぶ国内便のような感じで初のアリタリアに乗ったものだ。
そのわずか2時間ほどのフライトで、私はイタリア人のセンスの良さに驚かされた。エコノミークラスなので食事は粗末なものだったが、そこになんというか、他の機内食の追随を許さない微妙な感性が込められており、純白の中にさりげなく散らされた原色の見事な食器、カテラトリー。ナプキンひとつとっても大切に持って帰りたい気分にさせられる。
短い時間に大急ぎで回る機内販売にもセンスはあふれており、必要もないのについ購入してしまったパイロットコートは、ほとんど着用しないままいまも持っている。そのとき私は、イタリアについて勉強したい。イタリア語を覚えたいと、つくづく思った。オペラに夢中になるのはその直後のことだった。
といういきさつ、思い入れがあったので、アリタリアの破綻は、親友の訃報にも似た驚きだったし、もうあのセンスのいいフライトは味わえないのかといった寂しさもあった。
だから今回イタリアに出かけようというときには、どこの便にしようかと迷った。アリタリアはなくなったと思い込んでいたのだ。
だが、その話を友人のイタリア人にすると大笑いされた。エールフランス・KLMに吸収されただけで、アリタリアがなくなったわけではない。かえって強力な後ろ盾ができて、安全なフライトが保障されているという。
なんだ、ということで、これまで通りのアリタリアによるイタリア行きとなったのだが、それにしてもこのがら空きぶりはどうだ。ボーイング777のビジネスクラスには、36席あるはずなのに、私たちも含めてなんと7人しか乗っていない。エコノミークラスも、のぞいてみたところ6分から7分の入り。円高のご時世に若い連中がもっと押し寄せるかとも思うのだが、やはり私のようなそそっかしい心配症が多いのだろうか。
ここまで空いていると、乗務員も暇を持て余してしまうようで、少ない客になにかと話しかけてくる。そんなにワインばかり飲めないよ。最後には、空いている隣の席に坐って、自分のイタリアの故郷の素晴らしさを自慢するお嬢さんまで現れ、おしゃべりとワインですっかり疲れる旅になってしまった。
ミラノはマルペンサで、同じ便から降り立った日本人の中心は若い男女のツアー客だった。イタリアなんとか8日間、と書かれた大きなタッグをそれぞれスーツケースに貼り付けており、大声でボンジョルノ、グラッツェなどとイタリア語の練習をしている。元気なひとたちだ。
まっすぐミラノのホテルに向かう。めちゃめちゃとしかいいようのない運転ですっ飛ばすタクシーも、負けじと立ち向かってくるほかの車も懐かしい。イタリアは1年半のお久しぶりだ。
ドゥオーモにほど近いトリノ通りのアルベジオ(ホテル)アリストンも、だから1年半ぶりということで、やあやあしばらくだね、と常連ぶって声をかけると、英語でパスポート・プリーズ。フロントの男が変わっていた。
スーツケースの中身をぶちまけたまま、とりあえずごはん。ホテルから歩いて5分のピッツェリアAL50DA GEGGIOは、ミラノにいるときには、昼か夜、ふつかに1度は立ち寄る店で、このときも歩きながらメニューを決めていた。
ところがなんと、もう夜の8時過ぎだというのに、シャッターが降り、頭上のネオンも消えたまま。なんの貼り紙もなく、両隣の明るさに挟まれて暗く沈み込んでいるではないか。あんなに繁盛していたのに、えー、お亡くなりになったのか。またしても友をひとり失ったか。
急に寒さが身に沁みて、私はしょんぼりと肩を落とし、とぼとぼと歩き、ドゥオーモの横を歩き、円高ユーロ安で昼間は大賑わいのはずのモンテ・ナポリオーネ。その1本裏手にひっそりとあるやはりピッツェリアPAPER MOONの客になった。セカンドチョイスとして悪い店ではないよ。むしろこちらのほうが格としては上。
少し胃が重いのでピッツァはサン・フロマッジオにしたが、温野菜のアンティパスタもレンズ豆と小海老のサラダもブオーノ。なによりハウスワインはキャンティ・クラシコというのがうれしい。ついキャラフをもうひとつ。日本を出てから飲み続けだ。
寂しい気持ちはどこかに行ってしまったが、さすがに眠くなって、いま来たこの道、帰りゃんせ、と歩いていると、またまた。なんと、だ。さっきはシャッターを降ろしていたAL50DA GEGGIOが、暖かそうな光を路上にあふれさせているではないか。ドアのガラス越しにのぞいてみると、数組の客が楽しげに食事をしているのが見える。狐につままれるとはこういうことか。9時過ぎからオープンというはずはないから、さっきのはなにかの間違いか。思わずドアを押してしまった。
ブオナ・セラ。大きな声が飛んできて、顔なじみの元気なマンマが遠くから手を振って、空いている席を知らせてくれる。
ああ、またワインの数杯がわが身に流れ込んでいく。

しかし、あれほど大量のワインにもかかわらず翌日の目覚めはきわめて爽快。 朝食のあとスバヤク外出してはみたが、まだどこも開いている時間ではない。
キーンと空気は冷たいが斜めの日差しはほのかに暖かい。シャッター商店街を避けて裏道をくねくねと歩いてスフォルツェスコ城に向かう。開きっぱなしの城門をくぐると、広い敷地が公園となっている。突当りが市立美術館。ミケランジェロの未完の偉作ロンダニーニのピエタで知られているが、今回はパス。もう幾度も観たし、第一まだ開いていない。
石造りの城壁の内側に沿って行くと、特に陽当りのいい、風の通らない一角があり、その石のベンチに坐ってひと休み。
つもならそうしていると、どこからともなく猫たちが寄ってくるのだが、今日は来ませんね。悪い予感が走る。スフォルツェスコの野良猫たち、まさか駆除されてしまったのではないだろうな。半年ほど前にニューヨークに行ったとき、シティホール公園のリスたちがすっかりいなくなってしまっていたのを思い出した。
だがその心配は外れた。猫たちが歩きまわるにはまだ少し時間が早かっただけらしい。城壁のあいだをのぞき見ると、柔らかい陽だまりの中、数匹の猫たちが丸くなって朝のうたた寝と決め込んでいる。日本から持ってきたキャットフードをひと握り、石のくぼみにそっと置いて、少し離れてみる。なまけものの猫たちがのっそりと起き上がってときならぬご馳走に集まってくる。
その猫たちが食べ終わって舌なめずりをして去るのを待って、同じ場所に次の一握り。すると今度は別の猫グループがやってくる。私は離れたところで見守る。そうするうちにたちまち1時間ほど経ち、持ってきた大きなカリカリの袋はからっぽになっていた。2、3日のちにはこちらのスーパーマーケット、スーペール・メルカートでキャットフードを買ってきてあげよう。イタリア製はお口に合いませんか。
そろそろ開きだした商店街を戻り、スカラ座の前に出てみる。いきなりオペラというわけにはいかないし、そんな時間でもないので、隣のスカラ座美術館にでも入ってみようかと思ったのだが、建物のファサードは白い工事布に包まれていて、現在改装中。この美術館はスカラ座と通じていて、うまくするとボックスシートに潜り込んで、リハーサルのようすをこっそり見ることもできるのだが、残念。スカラ座に限らず、イタリアのオペラハウスはどこもかしこも改装工事ばかりやっている。
と、空振りではあったが収穫はあった。ポスターを見ていて、翌日、1日だけの特別公演でオペラ「ドン・カルロ」が行われることを知ったのだ。
大急ぎでガッレリアを抜けて、ドゥオーモの地下にこっそりと隠れるようにあるスカラ座ビリッテリア切符売場に走った。
だが、同じ考えのひとが多いとみえて、売り出し3日目だというのにもうソールドアウト、にべもない。明日の正午に来て並んだら、18枚ある当日券が手に入るかもしれませんよ、セニョール、だと。
もともと予定になかった話だし、イタリアに来る前まで日本で集中的にオペラを観たのだから、ま、いいか、と気を取り直し、それではブレラ美術館でも歩き回って、あの正面近くのAL TORENO DI MEZZANOTTEでランチにしようか。リストランテではあるが、昼飯なら安上がりだろう。そう考えてふたたびガッレリアを通り抜ける。
ガッレリア中央、四つ角あたりが黄色い声で騒がしい。10人ばかりの若い日本人男女が群れている。
あーっ、プラダがある! ヴィトンもあるわよ! うっそー!
同じアリタリアから降りたイタリアなんとか8日間の連中だった。みんな、疲れもないようすで生き生きはつらつと輝いている。
そばを通り抜けながら、私はすっかり嬉しくなっていた。
そうそう。君たち、思い切り楽しみなさい。イタリアはいいよぉ。
君たちもおじさんみたいに、やがてイタリアなしでは生きていられなくなってしまうかもしれないよ。
私のイタリアの旅は、始まったばかり。
明日は朝からスカラ座のビリッテリアに並んでやるぞ。
