WEEKENDLESS 34
「カルメン」は代役の代役、結果オーライ
オペラを観ようと思うとき、つまりチケットを購入する時、その選択の条件に、もちろん演目がトップに来る。次にどのオペラ劇団か、だれが歌うのかとなってくるのだが、上野の文化会館での「カルメン」は、その第2の条件が初めに来たものだ。
「カルメン」は今年になってもう3回も観たからもういいや、という気もしてはいたのだが、今回はスイスのローザンヌ歌劇場の引っ越し公演で、しかもプリマドンナがカルメン歌いとしてここ数年に大きく人気を伸ばしてきているマリーナ・ドマシェンコだというから、これは外すわけにいかない。そう考えて予定に組み込んだのだが、9月のパリから帰ってみると1通のはがきが届いており、マリーナ・ドマシェンコは病気のため来日しません、という。
長年たくさんのオペラを見続けていれば、主役の直前変更には驚かないが、それにしても多すぎはしないか。いちいち挙げるのも嫌になるが、この2年くらいにもう数回もこのようなことがなかったか。ことにこのドマシェンコは昨年の新国立劇場も直前キャンセルだったはずだ。2年連続のドタキャンは前代未聞だろう。しっかり契約していなかったのか、現地のプロモーターにいいようにやられているのか、要するに日本がなめられているわけだろう。大きな歌劇団を丸ごと招聘する引っ越し公演など、金のある日本ぐらいしかできないし、大きく吹っかけても、劣等感のかたまりの日本なら乗ってくれるから喜んで契約するが、あとになってほかに、つまりもっとちゃんとした、オペラ文化の進んだところから声がかかったりしたらすぐに乗り換えてしまう。
そういうことだったから、せっかく買ったチケットだったが無駄にしてしまおうかとも思ったのだが、それでもとりあえず出かけてみることにしたのは、カルメンがドマシェンコだけでなく、ダブルキャストでユリア・ゲルセワも歌うことになっていたからだった。ドマシェンコはパリで聴いたことがあるがユリア・ゲルセワは聴いたことがない。世界一セクシーなカルメンだというから、それなら観て、聴いてみるのもいいかなと思ったのだ。
会場入り口でいつものようにブローシャーを渡され、ロビーの椅子で読んでみて驚いた。カルメンを歌うのはベアトリス・ユリア=モリゾンとなっているではないか。初めて聞く名前だ。マリーナ・ドマシェンコに続いてか合わせてかユリア・ゲルセワもキャンセルになっていたし、ダブルキャストのさらなる代役、3人目のカルメン、ノラ・スルジアンさえも外れていたのだ。もういい加減にせんかい、という気分だが、ほかのキャスティングも見てみて呆れ返った。来たことを後悔した。
さすがローザンヌというかそれぞれに役にダブルキャストを立てているのだが、今回はすべてがそのふたりめ、ナンバー2になっている。ドン・ホセはジュリアン・ギャビンではなくルーベンス・ペッツァーリ、エスカミーリョはジャン=フランソワ・ラポワントでなくミコワイ・ザラシンスキ、ミカエラはノエミ・ナーデルマンに代わってブリギッデ・フール。これではもうローザンヌ歌劇団を名乗るのもおかしいのではないか。ニューヨーク・ヤンキースの試合を見にいったらニュージャージー・ユニオンズが出てきたようなものだ。
すっかり気落ちした私は、開演前からもうシャンパン2杯、ワイン2杯、おやすみ態勢で客席に着いたのであります。
なんの先入観もないということはかえっていいのかもしれないな。そう思える「カルメン」ではありました。
代役の代役、ベアトリス・ユリア=モリゾン。このカルメンがなかなかいい。ドマシェンコほど美女ではないし、ゲルセワにいわれるようなセクシーさはなく、体育会系のがっしり筋肉体格。あくまで一生懸命な歌、演技で観客を疲れさせはするが、それが不思議な緊張感をもたらし、ドン・ホセに対して、おい、そんな女に惚れたらだめだよ、と声をかけたくなるほどだ。お前さんに扱えるタマじゃないよ、おれに任せろ。
なぜユリア=モリゾンのカルメンがよかったか。うーん、なんだろうか。もしかしたら彼女のフランス語にあったのかもしれない。予定されていたカルメンたち、ドマシェンコとゲルセワはロシア生まれ、よくは知らないがスルジアンという歌手はカナダ生まれ。それに較べてこのユリア=モリゾン、フランス生まれのパリ育ちだというではないか。
私はかねてから、カルメン歌手のへたくそなフランス語はなんとかならんものか、といっていたのだが、今回それがまったく気にならなかった。フランス人のプロスペール・メリメ原作、フランス人のジョルジュ・ビゼー作曲の「カルメン」はやはりフランス人が歌ってこそ本物だ。紅毛碧眼のチョウチョウサンにうんざりさせられてきた私たちにとって、ひとごとながらこれはうれしいことではないか。ひとごとでもないか。だがこのユリア=モリゾン、経歴によるとすぐれたワグネリアン、ワグナー歌いだというではないか。世の中わからんものじゃのう。

ということでいくらか機嫌の治った私は、途中からじっくりとローザンヌ歌劇を楽しむこととなった。
同じメンバーで各地を回る引っ越し公演ゆえに仕方がないのだが、舞台はシンプルそのもの。グレー一色の背景は城壁であったり、監獄の壁であったり、山奥の岩肌であったりし、その前に歌手たちが自分たちでいすやテーブル、ときにはタンスまでも持って現れ消える。この手抜き加減、倹約節約が「カルメン」の持つドラマツルギーの荒っぽさ、スペインの野生風土などに、偶然だろうがうまくマッチしている。歌と踊りが際立っていた。
カルメン役に不自然さがなかったせいか、ほかの代役たちも、過不足なし。ドン・ホセはおじさん過ぎて、純情さのかけらも見えなかったし、エスカミーリョもなんだか野暮ったくて、こんな男、持てるわけゃないよ、と思ったが、それはまた許容範囲のうちとしよう。
と、ユリア=モリゾンのおかげかシャンパン、ワインのせいかですっかり点数の甘くなってしまったおじさんだが、ただし舞台での火の使い過ぎはいけませんな。たばこ工場の女工という設定だからといって、出てくる男女に次から次へとたばこを吸わせる。しかも100円ライターで火をつける。時代考証はでたらめだし、第一不必要な演出だろう。歌手たちのなん人が喫煙者なのか。客席のなん割がたばこ嫌いか、考えてくれぇ。のどが痛くなるじゃないか。
さらに山奥にジプシーの山賊が集まるシーンで、20人ほどの男が手に手にぼうぼうと火が燃えるたいまつを持って現れ、舞台をうろうろ。文化会館は煙に包まれた、というのは嘘だが、これもいらん演出だ。消防にいいつけるぞ。
地方巡業に朝青龍が出ない。消化試合に主力選手が欠場。そのため若手がチャンス到来と頑張って、かえっていいものを見せてくれる。
主役のドタキャンもまたいいのかな。冗談だよ。なめたらいかんぜよ。