WEEKENDLESS 32
秋の川口湖畔、「魔笛」に笑い、考える
パリの街中にいまも残るローマ遺跡アレーナ・リシュティア、つまり野外円形競技場を久しぶりに訪れたためか、帰国してすぐ、偶然にも発見した野外オペラの案内が私の心を捉えたのかもしれない。
早速チケットその他の手配をし、中央高速を走って河口湖を訪ねたというわけだ。帰国してすぐなので、時差ボケさえまだ現れていないときだったが、なに、年中時差ボケのような日々を送っているので、いっこうに気にしない。なによりも日本に帰ってきたとたんに野外オペラに出会える。その偶然に宿命的なものを感じたのだった。
と、オーバーなものいいをしてしまうところが、やはり時差ボケゆえのことかもしれない。考えるまでもなく、7月に観た中村吉右衛門による「比叡山奉納薪歌舞伎」も、8月に佐渡で3夜連続して観た、神社の境内での薪能も、いってみれば野外劇場だ。オペラにしても、歌舞伎、能でも、もとはといえば野外公演が基本であったわけで、国立劇場なり、オペラハウスなりで見慣れている私たちがかえってスポイルされ、原点を見失っているともいえるようだ。
どうも今日の私は、理屈っぽいな。時差ボケだな。
秋とはいえ、まだ汗ばむ時間も多い東京に較べて、標高にして1000メートル違うという河口湖はさすがにもう肌寒い。予備にと持ってきたレザージャケットをごそごそと羽織る。もう秋半ばのパリから、夏の名残りの東京。そしてたちまち紅葉初めの河口湖。暇つぶし人生も大変だ。
野外オペラの会場は、湖畔から車で10分ほどの河口湖ステラシアター。すり鉢型のステージを急な階段席が取り巻き、屋根はスライド式に開いたり閉じたりする。ステラという以上、星が見えるはずで、そのためには夜屋根を開けなければならない。大丈夫かなといった不安はあった。
だが、時間つぶしに山菜そばなどを食して、夕刻に出直して、会場にはいってみると、まだ明るいのに屋根の3分の1は閉ざされている。寒いから仕方がないのかななどと思っていたが、そのわけはやがてわかった。
客席から見てステージの上の屋根が開いているのだが、そのわずかな隙間から遠くに富士山が黒いシルエットになっている。なるほど、これを見せたかったのか。そして、開演までの待ち時間のあいだ、秋の日はつるべ落とし、空は急速に黒ずんできて、富士山の中腹にぽつんぽつんと赤い灯が浮かんで見える。灯がゆっくりと動いているのは、それが登山者の持つ灯だからなのだろうか。
野外劇場なのでカーテン、緞帳などない。シンプルなセットの前に王子タミーノ、それを追ってぬいぐるみの大蛇が登場。オペラ「魔笛」は唐突に始まる。
プラハ室内歌劇場公演、モーツアルト作曲「魔笛」は、暮れなずむ富士山麓、河口湖畔にてゆったりと始まったのであります。
野外オペラということのほかにはさしたる期待をしてはいなかった。キャストを見ても知らない名前が多く、プラハ、ウイーンの若手中心の、いってみれば卒業公演のようなものだろうと想像していたのだが、期待が薄かっただけになかなかの掘り出し物ではあった。
主役のパミーナのイヴェタ・イルジコーヴァの落ち着いた歌声には風格のようなものが感じられ、その母、夜の女王、エレナ・カズディコーヴァのほうが逆に幼いほどの可憐さを見せて歌い、母娘の年齢的雰囲気的逆転現象が起こっていたが、女王のアアア、アアアアアアアアアー、という有名な超高音3点ハの連続アリアのため、こうした逆転は多くの「魔笛」でも見られるものだ。
演出にも工夫がみられ、舞台前方にきらびやかな円筒形の物体が3個立っているのでなんだろうと見ていると、下着姿で現れた夜の女王の3人の侍女がその筒の中にすっぽりと入ってそのまま衣装にしてしまう。笑ってしまったね。古代エジプトの女性下着がどうなっているか知らないが、3人が、日本で昔おじさんたちが穿いていたステテコのようなものを着ている。そう。植木等が「お呼びでない?こりゃまた失礼しました」とやっていたあのステテコだ。この演出は歴史に残ると思うのも、やはり時差ボケかな。
「魔笛」を観るたびにいつも思う。もう20回以上、世界各地で観ているが、観れば観るほど強く思う。これは実は恐ろしいオペラではないだろうか。
話は古代エジプトを舞台に、森をさまよっていた王子が夜の女王の侍女たちに救われることによって女王の娘に出会い恋に落ちる。そしてさまざまな障害を乗り越えて結ばれるという他愛のない童話だ。
夜の女王と侍女たち、森の妖精たち、動物たち、そしてピャラララと笛を吹き鳴らす鳥刺しのパパゲーノなど、いかにも童話らしい登場人物が多く、ときには縫いぐるみの人形劇のような演出をされることも多く、子供向けのおはなしオペラのようにも思われているが、悪魔ザラストロの手から森の神殿に逃げ込んだタミーノと神のしもべの弁者とのやりとり、
「お前はなにを求めているのか」
「悪魔ザラストロからパミーナを救いたいのです」
「ザラストロは実は善であって、夜の女王が悪なのだ。善は悪であって、悪は善なのだ」
この禅問答のようなやり取りで、なにをいおうとしているのか。
モーツアルトがなぜ死の直前にこのオペラを書いたのか。
モーツアルトはなぜ、自らの命を縮めるような生き方を選んだのか。
モーツアルトにとって、これは遺書ではなったのか。
子供にわかることではない。モーツアルトをよほど聴きこみ、考える習慣を身につけた、そして男にしかわからないことではないか。私にもまだまだこれについて考えなければならないことが多い。
川口湖畔、富士裾野の野外オペラ「魔笛」は、予想外の完成度で終わりを迎えようとしている。だが気付かなかったのだが、半分以上閉ざされていた屋根がいつの間にか大きく開いていたのだった。音もなく。
「魔笛」が終わり、歌手たちがカーテンコールに並んだそのとき、舞台の照明は瞬時に消え、シアター全体は闇に包まれた。
そして、開け放たれ、漆黒の闇がひろがる夜空に突然立て続けに轟音が鳴り渡り鳴り響き、花火がいっせいに打ち上げられたのであった。
次から次へ打ち上げられ、広くなった夜空を明るい色彩の渦に包みこむ。客席の群れも、ステージに並ぶ歌手たちも、全員が空を見上げ拍手を送る。
少々演出が過ぎ、オペラの終わりとしてはいかがなものか、などと感じるひともいようが、そう思わせるだけの意外性。サプライズ。オペラというエンターテイメントにとって、これもまた素晴らしい演出ではないか。
時差ボケは治っていた。多分。