WEEKENDLESS 3

春の箱根はモネからピカソ

 箱根に来た目的は、ポーラ美術館にあった。
 去年の秋、紅葉でも見るか、と感じで気軽に来た箱根ではあったが、昼のちょっとした時間、ホテルに近いという理由だけで訪れた仙石原のポーラ美術館。その思いがけない立派な設備、内外装、さらに特別展「モネと画家たちの旅」の充実振りに心奪われ、閉館ぎりぎりまで歩き回っていた。
 それが忘れられなかったのと、その特別展がこの3月で終了することに気がつき、あわてて再来、というわけなのだ。
  クロード・モネの作品展というより、モネを中心とした19世紀末のフランス画壇の作家集団展。モネとその仲間たち、といった趣なので当然印象派が中心なのだが、私の関心は、展示の半数近くを占めるモネに集中していた。
  そもそも私の美術観にあって印象派はさしたる重みを持ってはいない。キリスト教的素養のない日本人が、それでも理解しやすい印象派を溺愛する傾向には苦笑せざるを得ないが、私としてはそれ以前のイタリア絵画、ことにベネツィア派といわれる一連の宗教画、歴史画を愛していたのだった。
  だが、世界の美術史をドラスティックに変えた印象派、中でもその泰斗モネを無視することはできない。だから、パリに住んでいた時代も、そののちにもパリを訪れるたびに、機会さえあればモネは追い続けていた。
  パリのまん真ん中、チュリュリーにあるオランジェリー美術館。奥の大広間の壁いっぱいに広がる「睡蓮」連作は、街歩きに疲れた私の心地よい安らぎだったし、数年間アパルトマンを借りていたブローニュに近いマルモッタン美術館は、遅い昼食の行き帰り、モネの小品の多くを楽しませてくれた。
  そしてなによりものモネは、パリから、13号線だったか、高速道路を2時間ほど行ったセーヌ下流の田舎、ジルベニー村。「睡蓮」連作のほか、モネが無数に描き残した田園風景の舞台になった地であり、モネが最後の十数年を暮らした場所でもある。
  そのジルベニー村の小さなホテルに10日間ほど滞在し、毎日モネの家を訪ね、「睡蓮」の池を巡り、花畑の木の椅子でワインを喫した。ひとりの画家を知るということは、そうしたことではないのだろうか。
  あのころの私は、日本を捨てようか、日本人を辞めようか。本気で考えていたものだ。
  ポーラ美術館は、そんな時代の自分を追体験させてくれる、懐かしくも面映い、感傷的な数時間でもあった。

森美術館ポーラ美術館に二日間のほとんどを過ごし、翌日、あまりの好天に誘われて、仙石原とは反対側の強羅に向かい、箱根彫刻の森美術館なるところを訪ねた。
  テレビのCMなどで見て、なんとなく軽く見ていた野外公園ではあった。が、家族連れの観光客に混じって歩いていると、思いがけない快感に捉われる。
ピカソ  無駄なまでの広大な敷地にぽつんぽつんと配置された彫刻の数々。玉石混交ではあってもそれ自体が芸術美術している。日向のベンチでのうたた寝までしてしまったぜ。
  もうひとつの発見。この箱根彫刻の森美術館の最奥手に、ピカソ美術館なるものが突然登場するのだ。いつ作られたのだろうか。
 ピカソ ピカソもまた私の“追いかけ”対象になったことがある。パリはマレ地区のピカソ美術館には通い詰め、よそではまず見ることのできない少年期の習作などを無数にそろえたバルセロナのピカソ美術館でも3日間を過ごした。そのパブロに箱根でも会えるとは。
  また近いうちに箱根だな。今度は小田原厚木道路を通って強羅に入ろう。


 箱根  箱根