WEEKENDLESS 29

 執念の大作の数々に心奪われたパリ    

例えば私の場合だが、東京生まれの東京育ちだといったところで、東京の街の隅々まで知り尽くしているわけではない。盲点というものは必ずあるもので、池袋という街を充分に知ってはいないし、板橋、練馬といわれても、どこか遠い地方の町とそうは変わらない。
 パリについても同じことで、ルーブル、オランジュエリー、オルセーが川を挟んで並ぶあたりならガイドでもできそうだし、大昔3年間過ごしたパリの学生時代の最初の1年間住んでいたモンマルトルはブランシュあたりなら、大きく様変わりしたいまでも迷わずに歩くことができる。フォーブルサントノレからパレ・ロワイヤル、オペラ通り、プティシャン近辺も、パリ来訪のたびに幾度となく徘徊している慣れ親しんだ地区だ。
 ところが、このモンマルトルとオペラ座に挟まれた一角、つまりサントリニテ教会近辺は不思議なほどに縁がない。
 今度パリに来るのはいつになるかわからない。多分半年もせずに舞い戻ってくるではあろうが、年も年なので今回ちょっと歩いてみようか。そう思ってメトロに乗ったわけだ。
パリ 1号線をコンコルドで乗り換えて12号線。トリニテ駅で降りて地上に出ると、すぐ目の前に秋の青空に突き刺さるようにサントリニテ教会の鐘楼が伸びている。ここから北、モンマルトルに至る上り坂の一帯が昔ヌーボー・ロマン新ローマと呼ばれ、作家、芸術家が多く住んでいた住宅地。だからそうした芸術家たちはロマン派、ロマン主義者と呼ばれるのだが、実は単に地名からの呼称にすぎない。
パリ サントリニテ教会から坂を登って少し東に曲がったところに、トンネルのような狭い路地の口が開け、奥に白い小さな建物が見える。どこにでもあるちょっとおしゃれな民家といったおもむきの3つの家からなるこれがMusee de la Vie Romantiqueロマン派美術館。
パリ 路地を入って左右の二つの建物では、1階と2階を使ってアングルの特別展が開催されている。ジャン・オーグスト・ドミニーク・アングル。19世紀フランスの古典派の総帥といわれた巨匠で「オダリスク」「泉」などの大作で知られている。偶然にしてもこんな巨匠に巡り合えるとは、と喜んで入館したが、そんなはずはない。アングルのあの大作、大きな作品という意味でもの大作が、こんな小さな家に納まるわけがないではないか。ここに展示されているのは、そうしたルーブル、オルセー、ニューヨークのメトロポリタンなどに飾られている作品の下地となった素描、下描きのおびただしい数。
パリだが、それでもさすがにアングル。息をのむ迫力、集中力、エネルギー。疲れてしまうほどの感銘を受け、逃げるように家を出て、白いサルビアなどが咲きそろう小さな中庭でひと息つかなければならなかった。
パリ 気を取り直して3つ目の建物に入るが、ここはこれまで数十年に2、3回ではあるが来たことがあるので安心だ。ショックはあり得ない。
 「愛の妖精」「魔の沼」などの美貌の女流作家ジョルジュ・サンドが暮らした家で、サンド手書きの原稿、遺品の数々、恋人のフレデリック・ショパンとの思い出の品々が狭い部屋の壁や棚、机に所狭しと並べられている。そんな部屋に流れるのはいうまでもなくショパンのピアノ曲。アングルのあとだったからではないだろうが、心洗われるというか、癒されたひと時ではあった。
パリ だが、この小さな美術館を出て坂道を歩きながら、おじさん、考えた。
 こうした美術館は、アングル研究家、サンド、ショパンの熱心なファン以外にとって、どのような意味があるのだろうか。美術館というよりは、記念館と呼ぶべきではないか。メモリアル。
パリ しかし、Museeには、美術館のほかに記念館の意味もある。勝手に美術館とだけ訳した日本のガイドブックに問題があったのかもしれない。

坂道を少し上がって少し下がって、狭い石畳の道に連なる古めかしくも偉そうな石造りの建物。そのひとつのしっかりと閉ざされた黒いドアに小さな表札。
パリ Musee Gustave Moreau
 これがなければ通り過ぎるはずだ。モロー美術館。
 ここは誰でも驚かされますよ。
 決して狭くない建物の1階から4階まで、すべての部屋の壁に、わずかの隙間もないほど絵、絵、絵。すべてモローが心血を注いで描いた作品が、これでもかとばかりに迫ってくる。
パリ 小さな部屋が連なる1、2階はまだいい。サンドの家でもこれに似ていなくはなった。だが、らせん階段でつながる3、4階はどちらも建物いっぱいの大広間で、その高い壁面にも段を重ねて大作が目白押し。
 アングルの素描展とは違った大迫力。異様なまでの、狂気にさえ近い、そこはまさに別世界であった。そしてその大作のほとんどが、画集などで知られた有名作品。
 ヘロデ王の娘サロメが半裸ですっくと立ち、睨みつけるかに指さす中空に浮かぶのは切り落とされた聖者ヨハネの生首。オスカー・ワイルドが劇化し、オペラにもなった「サロメ」。「ヨカナーン」と叫ぶサロメの歌声が聞こえてくる。常ならば、サロメが盆に載せられたヨハネの首を捧げ持つのだが、モローはその首を宙に浮かせ、題して「出現」。
 ユピテル(ジュピター、ギリシャ神話のゼウス)の愛人セメレが、ユピテルの正妻ユノー(ヘレ)の嫉妬のためユピテルの放つ稲妻に焼き殺される「ユピテルとセメレ」。驚愕と恐怖に青ざめ、ユピテルの腕の中で死んでゆくセメレのなんという美しさ。
パリ このほか「一角獣と貴婦人」、白鳥に姿を変えた、ここもゼウスに犯される女神「レダ」など、神話に材を得ながら、神話を通り過ぎて独自の不可思議、異形の世界を作り上げたモローのすべてがこの館にはある。
 と書いて気がついた。巨匠と呼ばれる多くの歴史的な画家の個人美術館、美術展の多くが、アングルがそうだったように、それこそ記念館。素描中心であったり、若いころの作品、習作の類であったりするのに、モロー美術館にはなぜこのように完成作のほとんどすべてが残されているのだろうか。
パリ 聞くところによると、モローは自作を売却したり美術館に提供したりするのをことのほか嫌ったという。それでもプロ作家なので売らなければならないときもある。そんなときモローは、のちに必ず返却するように約束させ、契約書を交わし、ルーブルのような大権威の美術館に出すときは、同じものを2、3作描き、出来の悪いほうを出した。油彩と水彩なら水彩画を提供した。
 自作を常に手元に置いておきたがったモローは、愛する娘を嫁に出さない父親のようなものだったのか。
パリ いや、モローは「モロー美術館」という作品を作るためにだけ、多くの作品を生み出し続けたのではなかろうか。ひとつひとつの作品はその目的にとっては細部であり部品であり、そう思うと、それぞれの美術館にモローの作品が少ないのも理解できる。部品を飾っても意味がないのだ。

 帰り道、ふたたびサントリニテ教会の前を歩いた。ギュスターブ・モローはこの教会に埋葬されている。しかし、モローが死んだとき、モロー美術館はまだ出来上がっていなかったという。