WEEKENDLESS 16
ジャケットを換えるように車も
百数十年の歴史をわずか2時間ほどで駆け抜けた。ふたフロアにひろがる数多くの展示車の中を通りすぎて、私は自分がどの時代にいるのか、ふっとわからなくなるような錯覚にとらわれていた。
名古屋郊外、長久手の地の広大な敷地を背景に持つトヨタ博物館。トヨタ車ばかりではなく、というよりむしろトヨタ車を少なく抑えて、その代わり国内のライバル社はもとより、世界を代表する名車、歴史を物語るクラシックカー、伝説のクルマを揃え、系統立てて整理し、展示する日本でただひとつの博物館。ここを訪れることになったのは、まったくの偶然からであった。
前々日から名古屋のテレビ局のイベントがらみのご招待で、浜名湖畔のゴルフコースにやってきていた。湖畔のホテルに一泊して、前夜祭めいたパーティに出席し、次の日、つまり昨日は18ホールのゴルフプレー。そのまま東名高速を走って帰京してもよかったのだが、その日一緒に回ったさる芸能人と話が弾み、もう一晩飲んで語ろうではないか、ということになり、同じホテルに連泊と相成った次第だが、その話は、相手のプライバシーにも関わることなので、どうでもよろしい。要は、そうして泊まったホテルの部屋で、なにげなく読んでいた観光案内のパンフレットに、トヨタ博物館の名を発見し、翌日、つまり今日東京とは反対方向に車を駆ってやってきたということだ。さる芸能人のことは忘れてほしい。
展示車のまず最初は、そこはそれ、やはりトヨタであるわけで、トヨタ車の第1号が飾られている。1937年製。だが意外に古臭くはない。かつてのロンドンタクシーのオースティンを思わせる重厚でがっしりした大型車。タイヤが自転車のような細いゴムでできている点を除いては、いま街を走っても少しもおかしくない印象だ。これが国産車の最初ということは、それまでに欧米のクルマ世界はめざましく進歩発展を重ねていたわけで、同時にそこからわずか70年で世界を席巻する車メ-カーに成長したトヨタはやはり素晴らしい。そうか。トヨタはそれがいいたくて、この車を一番に飾ったのか。
だが、ここから続く車の数々は、歴史をさらに50年も遡って、まったく馬車そのものといえる形のものや、機関車のようなエンジンを乗っけた車、少しずつ時代がすすんで初期のメルセデス、懐かしやのステュードベーカー、映画でお馴染みのT型フォード、そしてありました、ありました、私をここまで連れてきてくれたイタリアはアルファ・ロメオの第1号車。そうか、あいつのご先祖さんはこんな顔をしていたのか。
もう30年余りも昔、イタリア旅行の合間にトリノ郊外にある自動車博物館を訪ねたことがあった。トヨタと同じようにフィアット社が作った博物館で、フィアット以外の車が揃っているのもここと似ている。あのときの私も、目を輝かせて名車の数々に見入ったものだが、当時といまでは、似たようでいて大きく違うことがある。
トリノでの私は、単に車の歴史に感心し、クラシックカーの優美さに頷いていたが、いまは、それに加えて自分の歴史を振り返る感傷を味わってもいる。自動車というものと私との関わり合い、長きにわたった付き合いの歴史が、心に押し寄せてくるのだ。
車は履き物だ、というひとがいる。目的地まで、早く安全に連れて行ってくれればいい。
その通りだとも思う。だが、それだけではないだろうとも思う。履き物というよりむしろ着るもの、衣装に近いのではないか。寒さをしのげばいいだけではなく、それを選ぶこと、身につける、纏うことによっての自己主張。趣味、思想、社会的なポジション、生活感覚。そうしたものを社会に対して発信していく。車とはそういうものではないか。だから、誰もが幾度かは車を変えている。決して古くなったから取り換えるだけではない。
私も、幾度も幾度も車を換えた。ジャケットを換えるように乗り換えてきた。

最初のクルマは、20歳のときに買った、そうだった、トヨタの中古車、コロナだった。激動の60年安保も通り過ぎ、その騒ぎの際の怪我により生涯の友と思っていたテニス競技も辞めざるを得なくなり、なんとなく自分を持て余していたその時期に、ほんの気まぐれで購入したコロナ。すでに数万キロも走っていて、ポンコツ寸前のその車は、3万円だったと記憶する。まだ東名高速もなく、横浜まで第3京浜を突っ走るのが唯一のアクセル全開だったが、深夜の高速を走っていて、突如すべてのライトが消え、闇の中を走るというスリルも味あわせてくれるサービスも持ち合わせていた。
その後、もう少しましなコロナに換え、学生だった私もマスコミ人間になり、取材、遊びに、得意げに走り回っていたが、忘れもしない1967年5月、雨の夜、神田神保町の交差点で、当時まだ走っていた都電のレールでスリップしたコロナは、横断歩道も飛び越えて、交差点角のカメラ店の軒先に突っ込んで止まった。深夜でよかった。もし日中なら、死者数人といった騒ぎだったろう。
それで、フランスに渡ったこともあって、数年間は車と縁のない時代が続く。
帰国し、結婚し、マスコミ社会にある程度の立場を築いた33歳になって、消滅していた免許を取りなおし、まず購入したのが、誕生したばかりのベレット1600。日本車にはないヨーロッパ的なおしゃれな印象が気に入ったのだが、すぐにベレット1800という格上車が登場し、買い換え。
だが、ヨーロッパ的を好むなら、やはり本物のヨーロッパ車だろう、と当然の考えで、赤いアウディ。2リッター車だったが、3年乗って3リッターの格上アウディのビトルボに換えた。この時代から、左ハンドルが続き、現在にいたるのだが、ヨーロッパからは付いたり離れたり。
思い出す順に並べると、友人がアメリカに行っているあいだの1年間、代わりに乗ってあげたジャギュアEタイプ。ドッドッと壮大なエギゾーストノイズは5リッター車ムスタング。1年とちょっと乗ったが余りの不評に恥ずかしくなってやめ、対照的に小ぶりなフィアットに。これがイタリア車との出会いで、すぐにマセラッティ・スポーツが2台続き、セカンドカーはフランスはルノーサンクでちょこちょこと。
そしてアメリカに渡ったわけだが、カリフォルニアの10年間、なぜか日本では敬遠していた日本車で始まり、トヨタはセリカ・スポーツ、ランドクルーザー。セカンドカーにBMW、VWゴルフと4台に乗った。カリフォルニア、アリゾナの高原砂漠を駆け回ったランクルにはもう1度会いたいものだ。
ニューヨークに移ってからは、マンハッタン内の移動はまずサブウェイ、バス、タクシーなので、遠出用、ゴルフ用にと、寒冷地仕様のランドローバー。だが、あまり乗り回すことなく、3年で手放し、残りはレンタカーユーザーで過ごした。
2年前に日本に帰ってきてすぐに、ある出版社が小型の日本車を無償で貸してくれた。といっても返さなくてもいい、といわれ、貰ったようなものだったが、2か月乗ってみて、右ハンドルはやはり無理ということがわかり、ありがたくお返しし、いまのアルファロメオ147に落ち着いた。
というのが私のクルマというジャケットの着替え歴だが、このトヨタ博物館でいっきによみがえってきて、ひと回りしてもう一巡。その間のカフェテリアのテーブルでひとり感傷にふけっていた私でありました。
そして、携帯電話で東京を呼び出し、あと2、3日帰らない旨を伝える。明日ももう1度この博物館に思い出を見つめにやってこよう。そしてそのあと、どこかゆっくりできる海辺の町で、その思い出をたどってみようか。
暇つぶしの人生は、なかなか味わい深い。