WEEKENDLESS 12

妖怪たちと観た妖怪の芸

開場12時半、開演1時となっていたので、少し早く行って、客席にまだひとのいない舞台でも写真に撮ろう。そう考えて12時過ぎには到着したのだが、入り口のドアはしっかりと閉ざされ、中をのぞくこともできない。たまたま現れた係りの女性に尋ねると、時間までどなたもはいれません、とそっけない。この世界に残る頑ななまでの形式主義か。考えてみれば、形式そのものの芸術なのだからそれも当然かもしれない。
 おかげで、会場前の小さな広場で待つ羽目になったのだが、そうするうちに次々と客が集まってきて、広場はすぐにいっぱいになった。
 それは異様な光景でもあった。ひとびとのすべてが高齢者、といえば聞こえはいいが、要するに爺さん、婆さん。平均年齢80歳といったところだろうか。中には立っているのもやっとというひとさえいる。出たな、妖怪。
観世能楽堂 最近はどこに行っても自分が多分最年長だろうと思っていたが、妖怪たちの中にあって、まさかの若いもんになってしまった。なぜか恥ずかしいような妙な気分だった。

能舞台に関しては、それほど熱心ではない。趣味に生きるという建て前上、ある鷲見敦子いは習慣的に観能には出かけるが、せいぜい年に2,3回。2年前までの滞米15年間はまずゼロ回だったので、能に関しては部外者でもあった。
 それでも、インターネットなどで各能舞台の公演情報などは見ているのだが、あるときひとりの懐かしい名前を発見した。
 鷲見敦子。いや、これだけではわからなかった。その名前に添えて、旧姓・丸山、とあったので、あっと気がついた。
 もう35年余り前のこと、3年間のフランス暮らしから帰ってきたばかりということもあって、そのころ比較的熱心に能舞台に通っていた。
 そして、そのころの私はまだゴルフには関心はなったのだが、あるとき偶然手にした雑誌で“名門・芦屋カントリークラブで、丸山敦子がレディズ・チャンピオンに選ばれた”という記事と写真を見て、ああ、あの丸山さんが、とそのミスマッチにびっくりしたものだった。
鷲見敦子記念能 それ以来35年余りぶりに見る名前。もうずいぶんとご高齢だろうにまだ舞台に立っていらっしゃるのか。さっそく問い合わせ、調べて電話をかけると、なんといきなりご本人が出た。私が勝手に記憶しているだけなのに、そのことをいうと丸山さん、おっとりとした口調で、
「お久しぶりでございます。今度の舞台、わたくしが舞わさせていただきます。もう、85歳になりますんですのよ」
 いきなり、古い、みやびな世界にいざなってくれた。

 婦人能、という。能は、歴史的に男性ばかりの世界だが、例外的に、仕舞、謡曲の分野だけの女性が存在する。やはりおとこ社会におけるおんな歌舞伎のようなもので、大昔は単なる余興、物まねだったのかもしれないが、そのうち立派な芸能ジャンルとなった。その中で丸山家は筆頭家柄ともいえ、丸山登喜江、敦子の母子は、その美貌も加えて第一人者だった。
 その丸山敦子、姓が変わって鷲見敦子が、観世能楽堂の舞台で『卒都婆小町』を舞う。私にとってこれはひとつのタイムスリップでもあった。

いま“卒都婆”と書いた。“卒塔婆”ではないか、と感じたひとは正しい。普通は、“卒塔婆”。だが、能、特に観世流に限っては“卒都婆”。もともと日本語ではない当て字なので、どちらが正しいということではない。ちなみに、この能を基に書かれた三島由紀夫の『近代能楽集』では『卒塔婆小町』となっている。こちらも偶然丸山、当時の美輪明宏の妖艶凄惨な名舞台だった。
 この日の公演で、『卒都婆小町』は最後の舞台。それだけが目的なので、3時ごろ来てもよかったかな、と思っていたが、その前の連吟、仕舞、狂言のいずれも素晴らしく、思いがけない儲けもの。ことに地謡と仕舞で板に立った坂井三兄弟(音晴、音雅、音隆)が、瑞々しく、健気で、美しくもあり、うれしくなる。
 この三兄弟を従える形で無形文化財的な父、坂井音重が舞った舞囃子『高砂』には、場内息を呑んだ。結婚式などで親戚のおばさんが舞い、赤ら顔のおじさんが謡う“高砂やー”だが、本物はこれほどのすごさなのか。観てよかった。つくづくそう感じた。
 そしていよいよ鷲見敦子『卒都婆小町』。
 小野小町の成れの果て、百歳になろうかという老婆が物乞い姿で現れ、路傍の朽木とはいえ仏体の卒塔婆に腰をかける。それを見た通りすがりの高野の僧が咎め、老婆と僧が卒塔婆問答を交わす。
 極楽の内ならばこそ悪しからめ。
 そとハ何かハ。苦しかるべき。
の名高い文言が聞かれる。じっくり読んで考えたい言葉だ。
 おしまいは、小野小町の化身だけ、と思われた老婆が、実は百夜通い(ももよがよい)のはかなさに身をやつした深草の少将(舞台では、四位の少将)の憑身(つきみ)でもあることがわかり、老婆の面(姥面)のまま衣装を変えて男装する“狂い芸”。
 動きが少なく、ただの立ち姿に、激しい緊張感をみなぎらせたその芸は、たとえばオペラ『ラメンムーアのルチア』の“ルチア狂乱の場”にも匹敵する。そう私は思うのだが、85歳の鷲見敦子、見事に演じきった。

 外に出ても、まだ明るい初夏の夕刻。
  同行者がいった。
「すごい舞台なんだけど、長くて長くて、つい居眠りしてしまったわ。あなたも寝ていたでしょう」
  私は寝てなんかいませんでしたよ。3分ほどしか。

(写真はパンフレット、ガイドブック『能にアクセス』(井上由理子・著)から転用しました)