WEEKENDLESS 53

(シリーズ1の最終回)

100パーセントの一時帰国

100%の一時帰国

長かった“お勤め”を終えて、胸一杯に吸い込んだ空気がおいしいのか苦いのか。こんな日はピーカンに晴れ渡っていたほうがいいのか、胸ふさぐようにそぼ降る小雨が似合っているのか。いくつもの小説や映画で見慣れているはずなのに、この日の空はどちらでもなく、どんよりと曇ってはいるが流れる風は生温かく、都心の道はあわただしく駆け抜ける車の群れに埋め尽くされている。映画なら、こうして出所した私を迎えて黒服に身を包んだ若い衆がずらりと立ち並び、“お勤め”ご苦労さんです、の挨拶のひとつでも揃えるところだが、いまは迎えのものは誰もいない。ただひとり、小さなスーツケースをがらがら引いてタクシー乗り場へと歩いて行くのであった。
 100%の一時帰国と気取ってみても仕方がない。本日2週間の入院生活を終え、晴れて退院の運びとなった。ただそれだけのこと。
 タクシーに乗る前に、私しばらく周囲のビル群の空を眺めていた。この病院にはこれからも定期的に通うことになっているが、そのずっと先には、入って、もう2度と出てこれない日があるに違いない。いつになるかわからないが。

100%の一時帰国

明日の朝、退院、という前夜、そっと病室を出て、寝静まっている入院病棟を歩き回ってみた。それは、長い旅行のおしまいの夜、パッキングなどを終えたあと、ホテル近くの街を意味なく歩き回るのに似ていた。そう。この入院は、私にとってちょっと珍しい旅行のようなものだった。
 どんな2週間の旅路だったろうか。
 車で来てはいけない。荷物を送ることもできない。そういわれていたので、入院前夜は近くのホテルに泊まった。タクシーのワンメーター。都心も都心、昔通いなれた赤い灯青い灯渦巻く巷はすぐそばだったが、ホテルから1歩も出なかった。この夜の飲み食いはまだ自由だったにもかかわらず、なぜかそんな気になれずホテルで本を読んでいた。おかげで入院中に読もうと思って持ってきた6冊の分厚い本の2冊まで読んでしまった。捨てるわけにもいかないし、わが計画性のなさに改めてうんざり。
 朝10時に病院入り。すぐ病室に案内され、数人の看護師のごあいさつを受けるが、相手が多すぎて名前も覚えられないしターゲットも定まらない。ただただ、よろしく、よろしく。
 この日は、レントゲンにMRI、身体検査だけだが、夜食以降は水もお茶も駄目。ビールもなしかい、などと減らず口を叩いてお嬢さんたちの顰蹙を買う。また貴重な本を1冊全部読んでしまった。
 深夜いつまでも寝ない私に、見まわりの看護師が、簡単な手術ですから大丈夫ですよ、と口々にいって行く。緊張で眠れずにいると思ったらしい。心配するな。おじさんはそれほどナイーブじゃない。
 短い時間だったがぐっすり眠った。A子の夢を見たのはまだ先の夜のことだ。

 みなさんがいうように、手術は簡単だった。というか、なにも覚えていない。のど麻酔のまずい液体を口に含み、指先に多分電極を挟まれ、胸の心電図のパッチを貼られ、右腕に点滴の針を刺され、そのまま眠りに落ちてしまった。4時間後に目覚めたときにはすべてが終わっていた。医師も看護師も手術といっていたが、本当は胃カメラによる“剥離・切開”というらしい。直径4センチほどのがん組織をえぐり取ったという。
 キャリヤーに乗せられて病室に戻り、数人がかりでよいしょとベッドに移され、別の点滴が始まると再びどーんと眠りの中に。病院というところには客の自主性なんかないね。あ、客じゃないのか。
 それからの3日間はベッドの中で、うつらうつらぼんやりぐんなりして暮らした。テレビをつけても、見るか見ないかのうちに眠ってしまうし、点滴液の ぶら下がった棒をがらがら引いてトイレに行っても出るものも出ないし、部屋に帰って崩れるように寝るばかり。持参の本が足りないなと思ったのは取り越し苦労であった。
前回のこのページを書いたのはそんなときだった。軽い気持ちで書いたのだが、これがまずいことになった。まさか読まないだろうと思っていた幾人もの友人知人が、驚いてメールや電話を寄こしたのだ。どこに入院しているんだ、すぐに見舞いにいってやる。その数、のちまで含めて20人以上。
 100%の一時帰国この病院は見舞禁止接見禁止なんだよというと、そんなに大変な状態なのかと、かえって火に油。丁重にお断りするのにすっかり疲れてしまった。病人を疲れさせるものじゃありません。皆さん、ご心配かけました。ありがとう。

5日目くらいから、退屈退屈。本はやはりすべて読んでしまい、売店で買ってきてもらった週刊文春に週刊新潮。読んでつまらないわけは、テレビで知っている話ばかりだし、そこから先の発展工夫がないから。小沢一郎なんかそうなるのがわかっている人物だし、麻生太郎をいじめて喜んでいる連中の品のなさにもうんざり。大体日本の政治はいつからこうも品性卑しくなったのか。やはり田中角栄のせいかな。私が珍しく政治がらみの話をするのは、よほどネタがないのだろう。
 下品な社会情勢を考えていても仕方がないので、ぼんやり天井を眺めていて思った。退院してもこの病院には、アフターケア、メンテナンスに通わなければならないし、それを考えて新しい住居に近いここを選んだこともあるが、通院ではなく、最後の最後もこの病院のベッドでそのときを迎えることになるのはまず間違いないだろう。完全に取り除いたとはいっても、がんとはそういうものだろう。
 それはそれでいっこうにかまわないのだが、それがいつになるかを知りたい。

退院の朝、最後の検診、胃カメラのあと、担当の若い医師は軽い笑顔でいった。完全です。もう大丈夫です。私はいい返す。いつかは死ぬでしょう。それがいつか知りたい。しばらく考えて医師はいった。5年後の生存率は100パーセントです。 まだ私は頷かない。100パーセントというのには、このがんだけによる死亡率が0パーセントということですか。そんなこと、あっさり言っちゃって、いいんですか。
 いいながら私は、三島由紀夫の昔の文章を思い出していた。

百パーセント健康でいることへの気恥ずかしさ。
(『鍵のかかる部屋』)

これからの私のことをいい表わしているのかもしれない。

今回が1年間の、つまりファーストシリーズの最終回になるが、1年前の第1回の書き出しは、
   旅のひと、であった。 
 というきざな一文だった。やがて始めるセカンドシリーズの第1回。その書き出しはこうしようと思う。 
   一時帰国が始まった。
 そう。これからの私の人生は、一時帰国。死の国から、あるいはがんの国からの一時帰国。誰だってそうなんじゃないかな。みんなこの世への一時帰国なのだ。
 だから、やり残すことのないように、せめて我慢をしないように、だからといって、無理をしないように、晩節を汚さないように生きていこうじゃないですか。
 2週間の入院が、私に初めて命というもの、生きるということを、いくらかは考えさせてくれたのかもしれない。

昨年3月下旬から始めたこのエッセイも、これでちょうど1年が過ぎました。連載エッセイはこれまでにも何本か書いていますが、今回が一番気楽に、思うままに書き続けることができたと思います。目的も定めず、ただ思いつくまま気の向くままにあちらこちらに出かけ、いろんなものを観て、聴いて、笑ったり、怒ったり、感動したり、考えせられたり、そんなすでにアガリを迎えた老作家の、暇つぶしにしては忙しく、あわただしい日々をそのままに書いてきたのがよかったのでしょう。
 100%の一時帰国文中でも書きましたが、近日中に世田谷からトヨスに引っ越します。いまさらのように新しい日常が始まるわけですが、これからのこともまた、このWEEKENDLESSのセカンドシリーズとしてここに書いていきます。ほかのコーナー、羽仁未紗の「VIVA OPERA」も「STAGEⅡ」として続きます。その準備のためと、新しい暮らしに少し慣れるために、3週間ほどお休みをください。
 もっとあたたかくなったときに、またよろしくお付き合いください。
 なお、この1年間のものが1冊の本になります。詳しくは、お休み中にも、お知らせします。
 ありがとうございました。

佐山透

 

100%の一時帰国