
COSI FAN TUTTE
「コシ・ファン・トッテ」女とはこんなものさ、といった意味の俗語がそのままタイトルになっていることでもわかるように、ほんの軽い冗談のようなお話。
こんなことがあるわけがないじゃないか。どうしてこれがばれないわけ?といった突っ込み場所が随所にあふれていて、もしこれがオペラでなく、芝居や小説だったら、恐らく誰も見向きもしなかったはず。それがいまの世にまで名作として残されているのは、オペラの力なのか、モーツアルトの力なのか。
舞台は18世紀のナポリ。フィオルディジージとドラベッラというふたりの美しい姉妹には、それぞれグリエルモとフェルランドという恋人がいる。ふた組は仲良く過ごしていたのだが、そこにドン・アルフォンソなる哲学者が現れて、男ふたりに、女なんていい加減なものだよ、と吹き込む。
当然ふたりの若者は反発するが、ではどちらのいい分が正しいか実験してみようということになって、あるお芝居が始まるのだった。
まずふたりの男が戦場に行ったことになり、泣き泣き分かれるシーンが演出される。
そして女ふたりになったところに、金持ちのアルバニア人(トルコ人)兄弟が登場。いうまでもなく戦場に行ったはずのふたりの変装なのだが、この偽アルバニア人は姉妹のそれぞれ自分の恋人とは違う側に愛を打ち明ける。
そこにわけ知りぶった姉妹の女中デスピーナも加わってドタバタゲームが進行。姉妹はやがて熱く迫る偽アルバニア人に心を許すようになる。
ふたりの男は、自分たちの恋人がこうも簡単に心変わりしてしまったことに腹を立てるが、いまさら引くに引けず、結婚式を挙げる羽目になる。そこに戦場から二人の兵士が帰ってくることになって。
というでたらめなお話で、最後には例の怪しげな哲学者が、これはきみたちの愛を確かめるためのお芝居だよ。これまで以上に強く愛し合いなさい、などとわけのわからないお説教をしてめでたしめでたし。
もうあきれるほどの無責任な話で、これに加えて、女中のデスピーナが、自殺未遂を起こした(ふりの)ふたりの男を手当てする医者に扮したり、あわや結婚式というときの公証人に化けたり、ばれないはずはないだろうといった活躍をするのもばかばかしい。
まず自分たちの恋人が変装して現れて、自分の姉妹にいい寄っているのに気づかないことが信じられないではないか。
モーツアルトともあろうひとがなぜこんなオペラを書いたのか。そこに秘密がある。
『フィガロの結婚』の初演を見たパトロンのヨーゼフ2世が、その中の「コシ・ファン・トッテ」という言葉に妙に共感してある物語を考案。オペラにするようにモーツアルトに命じたのが誕生のいきさつ。つまりアマチュア大旦那の気まぐれに逆らえなかったというものだが、そこはさすがモーツアルト、いくつもの優れたアリアを織り込んでくれてはいる。
ふたりの男の2重唱「ご覧、妹よ」、妹のほうが見知らぬアルバニア人を退けようと歌う「岩のように」は聴きやすいアリアだし、後半フェルランド(弟)トフィオルディージ(姉)の2重唱「もうすぐ腕に抱かれて」では、初めはフェルランドの情熱的な旋律を拒否していたフィオルディジージが、次第にその旋律に引き込まれていくようすがほほえましいというか危なっかしいというか、男女の心の機微を見事に表している。
大プロフェッショナル、モーツアルトが、アマチュアの意向に逆らえず、それでいて確かなプロの技を見せて抵抗した、といったところであろうか。
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