
Othello
「オテロ」は不思議なオペラといわなければならない。
いうまでもなくジュゼッペ・ヴェルディの代表作のひとつで、数多くの素晴らしいアリアに飾られているのだが、なぜかもうひとつ人気が湧かないというか、上演機会もさほど多くない。わたしの印象だが、たとえば「アイーダ」「ナブッコ」などに較べて半分か3分の1程度の評価しか受けていないのではないか。その理由は、このオペラの生い立ちに由縁すると考えられるのだが、その前にこの作品の全体像を見直してみよう。
ストーリーはいまさらいうまでもないほど、だれもが知っている。そのことが第一の問題ではあったのだが。
中世、海洋国家として東地中海を制覇していたヴェネツィア共和国の海外領土キプロス島は、連戦連勝の英雄、ムーア人のオテロ将軍によって守られていた。
だが、すべての手柄がオテロのものになってしまうことに不満な士官イアーゴ、なんとかしてオテロを失脚させようと企み、オテロの副官カッシオがオテロの美しい妻デスデモーナにひそかに思いを寄せているのを利用し、ふたりの不倫をでっちあげようとして、デスデモーナが落としたハンカチをカッシオが持っているように策略し、オテロにふたりの不倫をいいたてる。
若い妻に年齢的なひけ目を抱いていたオテロは、まんまとイアーゴの奸計にはまり、嫉妬に狂ったあげく、あろうことか妻を殺してしまう。
デスデモーナの侍女でもあるイアーゴの妻が、良心の呵責に耐えかねて、夫の悪事を告白し、イアーゴは捕われるが、そのときはすでにオテロも妻の亡骸を抱いて自害したあとだった。
オテロとデスデモーナのデュエット「もう夜も更けた」、自分は悪に生きてやるとばかりに歌うイアーゴの「無慈悲な神を信ず」、妻の不倫を信じ込まされたオテロがイアーゴと共に歌う「神かけて誓う」など、心打つ名アリアは少なくないが、それでもそれらが広く知られ、口ずさまれるということはない。
なぜか。それは「オテロ」が、かのシェイクスピアの舞台劇で、「リア王」「ハムレット」などと並ぶ沙翁(シェイクスピア)4大悲劇にも数えられる有名作だったからではないか。つまりすでに世界的に高い評価を受けていた舞台なので、いかにヴェルディであってもその高評価を塗り替えることはできなかった。
ヴェルディの数年前にもロッシーニがこの作品をオペラ化しているが、その評価もさらに低い。
つまり、いかにヴェルディであっても、相手がシェイクスピアではどうしても追随者、コピー作としか受け取られなかったのではないか。
あの時代のヴェネツィア海軍に、ムーア人の将軍などいるわけがない、といった正論は、オペラを語る場合にはいささか野暮としかいえないが、中にはこのオペラが、いくつもオペラ化されているシェイクスピアの、原作を抜いた唯一のものだというひとも、世の中にはいることも付け加えておかなければならない。
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