佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 9     

梅雨の花と折り鶴  

まもなく梅雨に入りますよ、と空気が教えてくれているようだ。

梅雨の花と折り鶴と世界の高級ブランドのショップがきらびやかに妍を競っている表参道の大通りからほんの少しだけ裏道に入ると、そこには表とは違ういささかレトロな面持ちの、下町風ともいえる小さな商店や食べ物屋さんがぽつんぽつんと連なっている。流れる風は、いまにも雨に代わりそうなしっとりと湿り気をたたえた6月の風。

こんな風を肌に受けるたびに、ああ、日本にいるのだな、と実感する。いろんな国に行き、いろんな季節を味わってきたつもりだが、梅雨を目前としたこの空気には日本以外で触れることはない。

梅雨の花と折り鶴と湿り気の多い日本の風土が好きになれず、空気も人間もからっと乾いていてほしいと思い続けている私だが、6月のこの空気だけは妙に好きだ。昔はこの空気を求めて鎌倉の明月院に紫陽花の香りを嗅ぎに出かけたりした。それをいま表参道の裏通りで感じ、紫陽花ではないが、紫陽花を感じさせてくれる日本の花々と出会おうとしている。

裏通りの小さな画廊に、“花の女流画家” 漆間(順子)珠音の個展を訪ねている。

梅雨の花と折り鶴とウルマジュネと読むこの女性は、長年パリで暮らしていたが10年余り前に帰国して、いまは美術大学時代に学んだ日本画を描き、教え、その世界の第一人者として身を立てるようになっている。

日本画といっても彼女の絵は、色鉛筆を使って日本の花を描くというまったく新しいジャンルに属するもので、古来からの日本画とも、といって水彩や油彩の西洋画とも違う不思議な趣き、懐かしさを持つユニークな作品だ。

羽仁未紗の昔からの友人で、武蔵野の高台にある自宅アトリエの庭には“モデル”になる花々がたくさん咲きそろっていたという話を、招かれていった羽仁未紗から聞いて、ぜひその作品に接したくなり、こうして個展に出かけてきたというわけだ。

梅雨の花と折り鶴と決して広くない個展会場だが、そこは花の香りにあふれていた。しかも、珠音さんはそのつもりではなかったかもしれないが、梅雨の日の紫陽花にも似た、日本の6月を感じさせる花の香りだった。このひとは、新しい世界を確立させている。

表参道から地下鉄を乗り継いで神楽坂に向かった。

予定にない行動だった。画廊を出て、裏道を歩いていて、急に神楽坂に行きたくなった。神楽坂上にあるあの小さな店で幾種類かのフランスチーズを食べ、フランスワインでのどを湿したくなった。珠音さんが長い間パリで暮らしていたことからの連想だったのか。日本の花を描いていながら、珠音さんの花にはどこかフランスの、パリの気配が感じられる気がして、それが私をチーズへ、ワインへ、そして自分のパリへと導いてくれたのか。

神楽坂上の細い道を入ったところにその店はあった。

チーズ専門店Fromagerie Alpage。

レストランでもバルでもない、本当にチーズを売る、チーズしか売らないそんな店。週末だけは、店先に小さなテーブルといすを出し、そこで小さく切った3種か5種のチーズとグラスワインかフランスビールの小瓶を安い料金で供する。チーズに詳しくない日本のひとたちに、フランスチーズをわかってほしいという店主のいわゆるサービスなのだが、かえって数少ないチーズファンが東京中からやってくるようになった。フランス人客も多い。

梅雨の花と折り鶴とFromagerieフロマジエはいうまでもなくチーズ屋だが、Alpageアルパージュという店名でもわかるように高地、山岳地帯のチーズを専門としている。それだけによりコアな愛好者が多い。私自身も、この店を知って教えられたことはいくつもある。

40年前、20代でパリに暮らしていたころにはそんな余裕はまずなかったが、何回目かのパリでチーズに出会い、目からうろこ状態になり、以来チーズとワインは途切れたことがない。やがて私の好みはイタリアチーズ、フロマージュではなくフロマッジオに移り、同じブルーチーズでもフランスのロックフォールよりイタリアのゴルゴンツォーラを選ぶようにはなったが、それでも私にとってのチーズの原点はあくまでフランスにある。
この日も、ショーケースにぎっしり詰め込まれたフランスチーズの山を眺め、ハーレムの美女に囲まれたサルタンのように、ついにこにこしてしまうのであった。シュロップシャー・ブリュー、ロックフォール・カルル、ミモレット・エクストラ・ヴィエユ、リゴット・ド・コンドリュー。

それにしても、日本人とチーズの付き合いは悲しいほどに浅いのではないか。若いころ、いわゆるサントリーバーのカウンターなどで出されるおつまみのチーズは、たくあんのようにスライスされた雪印チーズだった。
初めてパリに暮らしていたころ、私より前からパリにいた日本人に聞いた話だが、町のチーズ屋で豆腐を見つけて大喜びで買って帰り、日本から持参した醤油とかつお節をかけ、パリでようやく冷奴にありついたと涙を流したという。いま思うとモッツァレーラだったのだろうか。

そんなおじさんのどうしようもない昔話を、肩をぶつけ合うような相席のテーブルで連れの女性にして、私はついついグラスワインのお代りを繰り返していた。

そう。このときの私の横には、呼び出しに応じて遅れてやってきた若い女性がいたのだ。まだ少女といったほうがいいかもしれない。

どういう少女か詳しくはいえない。プライバシーの問題というより、ここに書いてしまうことで彼女が傷つくことを恐れるのだ。ただ、このフロマジエで知り合ったひとだとだけはいっておこう。

梅雨の花と折り鶴と大学生であり、将来は必ず名をなすはずの芸術家だ。長崎の裕福な家庭に育って上京したが、あまりにもナイーブな心に東京の学生生活はあまりにもラフだった。フラジャイルな心に傷を負った少女は、通常の食事をほとんど受け付けなくなり、口にするものはチーズと豆腐だけ。だから週に一度はこの店にやってきて、数種類の塊を買って帰っていく。ここでないと“わたしのチーズ”はないんですという。

「わたしの部屋の冷蔵庫にはチーズしか入っていないんです。だから凄い匂い」
と笑いながら話したこともある。

このときも私の横で、おじさんの自慢話とも愚痴ともつかない話を聞くでもなく笑うでもなく、どこを見ているのか、店の外の遠くに視線を向け、ときどきチーズの切れ端を口に運ぶ。その横顔ははっとするほどはかなげで、悲しく揺れる心が透けて見えるほどに美しい。

ワインではなく水を飲んでいる。一度、少女が飲めないとは知らなかった私がうっかり勧めた赤ワインを口にして、そのまま溶けるように椅子から崩れ落ちたことがあった。そのまま死んでしまうのかと慌てて抱き起したものだ。

ふと気がつくと、少女がテーブルの片隅でなにかをしている。

折り紙だ。チーズを注文するための小さな色紙で小さな鶴を折っている。いくつもいくつも。

驚く私の視線に気づいて、少女はいった。

「長崎の子どもはみんな折り鶴が上手なんです。子供のころ、学校で折らされましたから」

子供たちが折った鶴たちは、いくつもの千羽鶴となって原爆の日の平和祈念の会場を飾るのだという。

「あと2か月ほどですね。いまも長崎の子たちは鶴を折っているはずです」

チーズとワインのテーブルで、小さな折り鶴は梅雨の前触れの風に揺れていた。

梅雨の花と折り鶴と

 

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