佐山透

老人と湘南の海

最新号

バックナンバー

Coming Soon

第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

第9回

第10回

過去掲載分

シリーズ3

(2010年)

シリーズ2

(2009年)

シリーズ1

(2008年)

 週間遅れの、謹賀新年

      

元日の午後、パソコンの前に坐って、年賀状のようなものを書き、BCCを使って30人ほどのひとに送った。

私にとって珍しいことで、ほんの気まぐれとしかいいようがない。余程なにもすることがなかったのか。

大体年賀状など、ここ20年ほど書いたことがない。

アメリカに住んでいたころは、年賀状ではなくシーズン・グリーティング・カード、日本でいうところのクリスマス・カードは書いていたが、日本の知り合いに送る数より、アメリカ内に送るほうが多く、“郷にいって郷に従った”感じだった。が、これも“郷に従う”必要を感じなくなったニューヨーク時代には辞めてしまった。

週間遅れの、謹賀新年なぜかといわれても困るが、昔からの知人、かつての仕事がらみの知り合いと、いつまでも繋がっている、顔もあまり覚えていない相手に、年に1度だけでも義理立てのようになにか送ることに意味を感じなかった。そうしたしがらみ、付き合いを引きずっていたくなかったのかもしれないし、虚礼廃止などと角張ったことではなく、ただ面倒くさかっただけかもしれない。

それが今年に元日、なにを思ったのか、パソコンの上とはいえ年賀状めいたものを送る気になったのは、もうとっくに引きずる感覚がなくなっていたからこそあえて送ったのかもしれない。要するに、やはり気まぐれなのだ。

だから内容も、相手によって変えることもなくどうということもないもので、そうだ、まだこのパソコンに残っているはずだから、引きずり出して再現してみようか。BCCの30人に入っていなかったひとたちにも、週間遅れではあってもとりあえずのご挨拶になるかもしれない、などと私はまったく失礼なことをいっているのだが、ま、それでも、

 

『最悪だった1年が過ぎ、今年はいくらかいい年になるかもしれない。そう思うから、

 

 明けましておめでとうございます。

 

といいましょう。

 

日本に帰ってきて7度目、葉山に来て2度目の新年を迎えています。といっても3度は海外で迎えましたが、7度のうち4度も日本にいたのは、私たちにしてみれば驚くべきおとなしさです。それだけ年老いた。それだけ動きが鈍くなった。それだけ日本に馴染んできた、ということでしょうか。

今年、私は年男です。還暦プラスひと回り。次の辰年はもう絶対にないでしょうから、残りの短い歳月、なるべく静かに過ごしていきます。

晩節を汚すことだけはしたくない。なにもしなければ汚すこともない。だからなにもしません。葉山はそうした老後にはぴったりのところです。

そんななにもしない日々を、
    Sayamatoru.com
で書いています。そこでお会いしましょう。

          

佐山透     』

 

というのが、元日の午後に打った、本当の意味での“おめでとう”。

“Happy new year”は、 “I wish your Happy new year”で、“明けましておめでとう”ではなく“いいお年をお迎えください”なのだから、年の瀬の何日かにか“おめでとう”と書くのは、郵便屋さんの作戦に乗せられたとしかいいようがない。

 

という屁理屈、いいわけはともかくとして、この年賀状めいた短文を打ち終わり、送り終わったとき、突然かなり大きな地震があった。

書斎にいた私には、あ、来た、といった感覚だったが、階下で未紗が大きな声を出しているのが聞こえる。ばたばたする音は、2匹の犬がわけもわからず走り回っているのか。

揺れはまもなく収まった。書棚の本たちが崩れ落ちることもなかったし、危なっかしくデスクに乗っていたワイングラスもボトルも、そう。このときも飲んでいたのです、平然としていた。

だが、下でなにが起こっているか一応は心配して、グラス片手に降りてみた。去年の3月11日、メイ・イレブンもそうだったが、うっかりエレベーターを使いそうになって、はっと気づいて、普段はあまり使わない階段で下りる。見慣れないところから降りてくる私を、犬たちは2匹、肩を寄せ合って、不思議そうに見上げていた。

ともかく“ビビリ”の未紗は、まだ顔色を変えてダイニングのテーブルにつかまっており、つけっぱなしのテレビの画面は、“念のため津波には警戒してください”と伝えていた。

案の定、この警告はすぐに消えたが、私にはなんの心配も危機感ももたらすものではなかった。

ここは大丈夫だ。

そうした自信というか、安心感がしっかりとあった。

葉山は安全だ。

 

葉山という町は大丈夫だ。

この意識は、この街に住む人たちに共通しているものではないだろうか。特に一色、それも御用邸の近くは、“ゼッタイに”安全だ。

週間遅れの、謹賀新年私たちの家は、海抜約10メートル。昨年3月の東北の大津波などが来たらひとたまりもない。だが、あの災害以降も、この地から逃げ出していった家は一軒もなかったばかりか、かえって土地家屋の価格は上がっているそうだ。この地の安全性が再確認されたようだ。

聞いた話だが、葉山の海の沖合、ことに一色海岸、大浜海岸といった御用邸の海の沖には、海底に“ハヤマ・マウンド”と呼ばれる小さな山脈のようなものがあって、そのため少しでも大きな船舶は接岸できないし、万一津波が来てもその勢いを殺いでくれる。

また、昨今は“三浦活断層”などと話題になっているようだが、地震にも安心なのがこの一帯だそうだ。葉山の、湘南の、三浦半島の、ほかの場所が被害にあったとしても、ここ、御用邸近辺にはなんの心配もない。

それはそうだろう。

もしそのような天災に御用邸が襲われ、いくらかでも被害にあったとしたら、この地に御用邸を作ろうと選んだひと、決めたひと、つまり国家の最上部にいた役人、政治家たちは全員切腹でもしなければならないはずだ。つまり、御用邸の地、とした段階で、この地の“絶対安全”は保障されたということだ。

だから私も、新しい自宅を“サヤマのゴヨーテー”と名付けた。カンケーねえかな。

 

葉山の、御用邸近所が安全だということは、越してきてまもなくのこのレポートにも書いたと思うが、自分たちの警察を持っているようなものだからでもある。

御用邸の正面にあるのが葉山警察署。近所、そうだな、周囲数百メートルには、住宅街のどんな路地裏にもさりげなく、それでいてわかりやすくパトロールする私服警官たちの姿があり、私など、わざと「ご苦労さん」と挨拶するし、そうでなくても御用邸の四囲には、海岸も含めて24時間立哨の皇宮警察官たちがいる。犬の散歩の際、毎日顔を合わせて、いまではすっかり顔なじみのお巡りさんたちだ。

わが家の、空き地を挟んでの向かいにある小さなマンションは、皇宮警察幹部家族の宿舎だ。

こんな場所では空き巣、こそ泥、強盗、押し込みなど活躍しようがないではないか。昔は鍵を掛ける家も少なかったとは、前から住んでいるご近所さんに聞いた話で、だからうちも鍵をかけずに出かける、というのは嘘だからね。本気にしないでくれよ。盗っ人諸君。

 

というわけで、遅くなりましたが、おめでとうございます。

 

 

週間遅れの、謹賀新年


. Copyright (C) Sayama Toru; All Rights Reserved