佐山透ホームページ

WEEKENDLESS 6

若きボヘミアンたち

「お花見にでも来ませんか」
と声をかけてきたのは若き友人のM。
「花見だって? 桜もとっくに終わってるよ」
「下界はそうだろうけど、こっちはいまが真っ盛り。これを逃す手はありません」
 Mは元文芸誌の編集者だが、いまは八王子のある私立大学の文学部で常勤講師。その大学の桜並木がこの世のものとは思えない美しさだからぜひ見せたい、という。
 10時に来てくれといわれ、ぼーっと現れた私を、Mはうむをいわさずに教室に連れて行く。そこになんと30人ほどの男女学生がいるではないか。
八王子の大学「ゼミの学生たちです」
 学生たちには、
「今日の特別講師としてきてもらいました」
 この野郎、私にレクチャーを促すのだった。
「いきなりなんだよ。なんの準備もしてないよ」
むずかる私にMはいう。
「大和田さんのときと同じ話でいいです。別の学生ですから」
 やはり元ジャーナリストで、いまは日大芸術学部の講師、これもひと世代下の友人、大和田守の依頼で、半年ばかり前に90分ふたつのレクチャーを引き受け、その話をMにした。Mの奴、それを覚えていて、花見を口実におびき寄せ、ゼミの賑わいにし、自分は楽をしようというわけだ。
 引くに引けず、Mの学生たちへの立場もあるだろうからと、半年前を思い出しながら講師を勤めたのだが、タイトルも前と同じで“マスコミの文章”。
 きみたちが新聞や雑誌の記事を読むとき、ただ読むだけではなく、この文章のどこがよくないか、使い古された表現、間違った言葉遣いはないか、自分ならどう書くか。それを常に考えながら読みなさい。そのための最高の反面教師はこれだよと、持ってきたスポーツ新聞の記事をネタに話した90分であった。
 熱心に聴いてくれる若者たちが私をなにか駆り立てたようで、最後には、 「夏休みの前にでも、もう一度来るよ」 などと約束までしてしまった。若き心、恐るべし。
 昼休み、学生たちと缶コーヒー片手に眺めた桜の洪水。この日は忘れないだろう。

八王子の大学の桜

 八王子のMをイニシャルにして、日大芸術学部の大和田の名前を出すのはなぜか。 
  2ヶ月前新宿でビールを飲んでいるとき、大和田が携帯電話のメールを見ていった。
「『ラ・ボエーム』ってオペラ、知ってますか」
「知らないひとがいるのかい。オペラ界のさばの味噌煮定食みたいなものだ。ミッソーニともいうが」
 ゼミの女子学生からのメールで、カレシが今度オペラの舞台に立つから観てほしいという。ところが大和田センセイ、オペラにはまったくの門外漢。
「えーとね、ルドルフォという役らしい。どうせ端役でしょうがね」
「なにをいうか、この大馬鹿者。ルドルフォとは『ラ・ボエーム』の大主役だ。さばの味噌定食のさばの切り身のような存在である」
「なるほど、ミッソーニね」
ラ・ボエームというわけで、三鷹市芸術文化センターの“風のホール”なるところに出かけてみた。
鄙(ひな)にはまれな、とは表現が古い。三鷹はすでにして都心である。
“風のホール”も、300人ほどはいるのかな、なかなかしゃれた音楽ホール。地方自治体のハコモノ仕事、といってしまえばその通りだが、金もない、力もない、もしかしたら実力もない、そんな若者たちがなにかをやってみせようときに、このような施設は絶対に必要なのだ。こうした無駄が文化なのだ。教養なのだ。
 そこで行われた『ラ・ボエーム』。プッチーニ先生。いい、いい仕事してますね。
 主催は“KEEP AT ARTISTIC ACTIVITIES”というグループで、パンフレットを読んでわかった。小沢征爾さん主催の“上野オペラの森“の一環。無名の歌手、演奏家のために、小さくとも実りのある舞台を設定しようという、私も遠くから加わっている集まりでもあった。みんな、同じことを考えているんだな。
 で、この夜のルドルフォは高梨英次郎という若者。日大芸術学部音楽科主席卒業。二期会オペラ研修所在ということだが、小沢征爾音楽塾に参加、の経歴を見て了解。
 この子は、応援する価値がある。
 もちろん、舞台はいまだし。卒業制作公演のようなもので、舞台上にオーケストラが上がるという苦しさだし、衣装はまったくの普段着で小道具、大道具も手抜きもいいところだ。さらに、高梨くんをはじめ歌手たちに揃って、オペラに絶対に必要なイロケ、フェロモン、クササ。これがない。もっと勉強、あるいは体験しなさい。おじさんは見守っています。
 あ、そうだ。あさってからニューヨークに行きます。

カーテンコール