佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 5     

阿修羅のごとき静けさ、優しさ

昨年の秋、京都に数日滞在したついでに、一泊二日で奈良を訪れた。いや、ついでというのは失礼だ。はじめから、もし時間を作れるのなら実行したいと考えていた小さな旅であった。

というのは、興福寺が2年先に近づいてくる大改修工事に先駆けて、数多くの国宝、重要文化財、さらにはやはりそれに相応するいくつもの歴史的建造物を公開することになっていたからだった。それまで、数多くとはいえないまでもいくども奈良、興福寺を訪ねてはいたのだが、国宝、重文の宝物たちは厳重に守られていて、気軽に拝観することなどかなわなかった。

そういうものだろう。仕方のないことだと思い込まされていた身にとって、この一挙大公開はまさに千載一遇の好機。ぜひ行かなければならないと、その機会を狙ってはいた。

阿修羅のごとき静けさ、優しさそのときの興福寺の幸福な体験、と、こんなところでのおやじギャグはともかくとして、歴史の中に疲れ切った感のある五重塔。東金堂、南円堂、北円堂、そしてあの千手観音菩薩の国宝館で丸まる一日を過ごした充実感はいまも忘れない。こんな機会はもう2度とないだろうと思っていたのだが、なんとその興福寺の宝物たち、仏像たちがそろって東京にやってきた。

阿修羅のごとき静けさ、優しさ上野の国立博物館で催されている「阿修羅展」。どんなことがあっても出かけなければならない。しかも一度とはいわず。

昨秋奈良を訪れたとき、帰り際に見たポスターに“上野でまたお会いしましょう”といった言葉が書かれていて、そのときはなんとなく見逃していたのだが、それがこの「阿修羅展」だったのだ。私たちにとっては、今度は興福寺が会いに来てくれたという、重ねがさねの眼福ともいえる。

だが、なにがなんでも行かなければと思いながら、開催からしばらくたっても容易に足が向かなかったのにはある体験があったからだ。

阿修羅のごとき静けさ、優しさやはり一昨年の秋だったか、同じ国立博物館でこれも国宝、奈良薬師寺の日光菩薩、月光菩薩が披露され、当然見学拝観に出かけたのだが、テレビなどでさんざん前紹介がなされていたためか猛烈なひと込み、人気ぶりで、博物館のかなり間から行列ができており、ようやくチケット売り場に到達すると、ここから3時間待ち、と書かれている。それも秋とはいえ強い日差しの中、敷地内広場で立って待たなければならない。仕方なくあきらめて、ほかの美術館を回って帰った苦い経験がある。

だから今回も無理かなとは思ったのだが、それでもどうしてもと、連休最後の日ではあったが朝から降りしきる雨の中、私としてはあり得ないほどの早朝、午前の早い時間に上野に着いたのだった。

阿修羅のごとき静けさ、優しさ駅前の駐車場に入るにも30分待ち。文化会館前を歩くにもデパートのような混雑ぶりで、やはり今日も無理か、といったんはあきらめたのだが、国立博物館には意外にもあっさりと入ることができた。同じ上野で「ルーブル展」など人気の催しが行われていたり、連休中とて子供向けの野外演芸祭りが行われていたこと、それに雨が幸いしたのかもしれない。

それでも会場は大混雑で、ひと群れは細かな装身具、石ころめいた貴石、ついでにやってきたような古衣装、裂、そんなものを律義に一点ずつ見て歩いている。これでは肝心の阿修羅像に着く前に疲れてしまうだろうな。そんなことを考えながら空いている会場中ほどを抜けて奥へ進む。このような話、少し前の「ルーブル展」のときも書いたな。

阿修羅のごとき静けさ、優しさ阿修羅像は、ひとつの展示室の入り口からスロープで回って降りる仕掛けの下のフロア中央に置かれていて、厳かにライトアップされていた。次々にやってくるひとたちは一目散にスロープを降りて阿修羅像に近づきたがっているが、実はスロープ途中から見下ろすのが一番いい。斜め上から見る阿修羅像は、写真や、あるいは奈良興福寺で見るよりも、はるかに身近に、圧迫感なく観ることができる。

その場に、私はどれくらいの時間立ち尽くしていただろうか。動くことができなかった。阿修羅から目を離すことができなかった。

すごい。素晴らしい。

なんという静けさか。なんというやさしさか。阿修羅の三面の顔は、あるいは微笑み、あるいは悩み、さらには悲しみに耐えている。私たちの心をそっと包み込むように。

阿修羅のごとき静けさ、優しさしかし、なにかが違う。

そう感じたのは、長いときののち、阿修羅像を離れたあとのことだった。

違和感というのではない。不思議感、そういえばいいのだろうか。

なぜ阿修羅は、なぜ阿修羅はこれほど静かなのか。こんなにやさしく悲しいのか。

阿修羅とはもともと争い好き、喧嘩好き。阿修羅のごとき、ともいわれつくしてきた荒々しい神ではなかったか。仏ではなく、神です。もともとはインドで悪魔を表す言葉、悪神の謂いで、それが仏教にとりいれられても、正義の神、帝釈天相手に非道な戦いを挑む“悪いやつ”だったはずだ。

それがなぜ。

第2会場に移る休憩所の椅子で、私はあるものを思い出していた。

阿修羅のごとき静けさ、優しさイタリアはフィレンツェ。幾度となく訪れたバルジェッロ国立美術館。その2階に展示されている“ドナテッロのダビデ”。そのたたずまい、表情がいま観た阿修羅に似ている。花飾りの帽子をかぶり、右手に刀を持つダビデの裸身は、その波打つ長髪、涼やかな目元、口元も合わせて、あまりにも女性的で優しく美しい。
この姿ゆえに、このダビデ像は、少年愛のダビデ、倒錯の美、非道徳の象徴とさえいわれたものだったが、30年余り前だったか、初めてこの像の前に立ったときの驚き、感銘はいまも残っている。三島由紀夫が矢で射られた聖セバスティアーノ像を見て得た倒錯趣味が、もしかしたら私にもあったのかとも思えたひとときであった。

しかし、考えてみるまでもなく、ダビデとは荒々しくも勇壮な“戦いのひと”ではないか。少年時代にペリシテの巨人ドリアテを投石器だけで倒してその首をとった武勇の男だった。同じフィレンツェでもシニョーラ広場に立つミケランジェロのダビデ像の、グロテスクなまでの筋骨隆々ぶりが、正しいダビデ像ではないのか。

バルジェッロのダビデはなぜ。

福寺の阿修羅はなぜ。

この不可思議な、しかし魅力的な謎は、私の胸にいつまでも眠り続けるに違いない。

第2会場は、興福寺のほかの、といっても決しておろそかにはできない宝仏たちで埋められていた。
昨秋、この仏たちの前で息を凝らしていた、あの「十大弟子立像」「八武衆立像」そして巨大な「釈迦仏頭部」などが見事なライティングの中に厳かに、涼やかに居並んでいた。

“上野でまた会いましょう”との約束は、こうして守られた。

 

 

阿修羅のごとき静けさ、優しさ

 

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