


オラは死んじまっただ、かな?
8か月ものあいだお休みしていたわけを、ああだ、こうだといい訳がましく書いてきて、そろそろ真人間に帰って本来の日常を能天気に書き連ねるページに戻そうと決心したのが前回までの話。
なにを書こうかな、と考えて、葉山の新しい家については、完成、引っ越しの前から幾度も書いたから、そうだ、庭の話をしよう。越してきたころにはまだできあがっていなかった庭が、この1年間で幾度も姿を変え、なんどか生まれ変わってきている。その“庭の歴史”“庭の変遷”について書こう。
という予定だったが、あるとんでもないできごと、大事件が起こったため、急遽変更。そのことについて報告することにした。
大事件とはなにか。
私が死んだ、のであります。
え? と思うでしょう。なにいってるんだ、このボケが。と思うでしょう。
本当なんですよ。私は、死んだんです。ということになっていたんです。
発端は1本の電話だった、そうだ。
その日私は、これまでも不定期に出かけている横浜のあるカルチュアスクールで、2時間ほどのおしゃべり、レクチュアーをするために出かけた。
その教室にはいる前に、当然のことだが、持っていたスマホの電源をオフにし、バッグにしまった。そしてそのことを忘れた。
思い出したのは、横浜から葉山に帰り、犬の散歩に出かけ、帰宅してシャワーを浴び、今夜はどこに行こうかな、などと考えながらビールなんぞを飲んでいたときだ。
スマホの電源を入れてみると、数本の予定どおりの電話のほかに、同じ人物からの受信記録が3本はいっている。
久保田千春。
もともとは「ゴルフダイジェスト」誌のトップ記者だったが、いまはフリーランスのゴルフ評論家。30年来の友人だ。
私がゴルフ界に深くはいり込んでいたころはもちろん、そののちにもしばしば連絡を取り合って、飲みにいったりプライベートなゴルフプレーを共にしたり、といった仲だったが、私が葉山に越し、ほぼ完全引退となってからは電話、メールは激減していた。
その久保田さんからなんの用だろう。そうだ。“クボタ・カップ”のことか。
クボタ・カップとは、ゴルフに多少なりとも関わっているジャーナリスト、作家、写真家、プロゴルファーなど親しい仲間たちが、年に1回集まって、口ほどでもない、立場ほどでもないゴルフの腕をさらし、あと安酒場でばか騒ぎをするという集い。20年ほど前の第1回から私も参加を続け、アメリカにいたとき、このコンペに合わせて帰国したこともあった。
今年も年の瀬になったので、その誘いに違いない。
しかし、葉山に越した昨年は欠席、欠場したし、今年も出られないよ。欠席ではなく“卒業”ということにしてちょうだい。“殿堂入り”でもいいよ。と伝えておいたはずなのに、クボチンもぼけたかな。
とりあえず、なんじゃ、の電話を入れたのであった。
久保田さんは四国は高知のゴルフ場にいた。年末のビッグトーナメント、カシオ・ワールドの会場だ。
電話に出たクボチン、いきなりいう。
「あ、佐山さん? ほんとうの佐山さん? 生きてるの? なんだ、死んでないじゃない? なんだ」
返事のしようがない。
「生きていて悪かったかい。こちらこそ、なんだ、だよ」
電話をかけてきたのが、ほんとうの、生きている、あの、佐山さんだと知って、久保田先生、話し始めた。
この日の朝、久保田千春はゴルフコースのクラブハウス。その食堂にいた。周囲のテーブルは、選手たち、久保田さんのような関係者でいっぱいだった。
そこに電話がかかってきた。東京の某氏だという。
「知ってますか。佐山さん、あの佐山さんが亡くなったそうです」
某氏は、自分も聞いたばかりだからと、詳しくはいわず、電話を終えた。
心優しいというか、おっちょこちょいの久保田千春、大きな声で誰にともなくいった。
「佐山さんが亡くなったそうです」
「誰にいったの?」
「大きな声だから何人も聞いたろうけど、えーとね、クラちゃんは隣のテーブルにいたなぁ」
クラちゃん、倉本昌弘は、それならゴルフ界としてもなにかしなければならないね、といっていたという。
「駄目だよ、あの男はほんとうになにかするよ」
「あと、青木さんには絶対にいわなけりゃ、と思ったんだけど、そのときそこにはいなくてね、これからでもいったほうがいいかな」
「なにいってるんだ。やめてくれよ。それより、これが誤報だということをみんなに伝えてよ」
「うん。明日の朝、みんなにいっておく。忙しいんだけどね」
「忙しくたって、ちゃんといってよ。俺からなにかいう話じゃないでしょう」
その日の夜、外に食べに行く気にもならず、自宅でワインなどを飲んでいた私のもとに、あるプロゴルファー、いいや、名前を出してやろう、合田洋から電話。
「あ、佐山さん? 今夜が佐山さんのお通夜で明日が葬式だっていうの、ほんとうですか」
私、無言。
合田。
「今夜は行けないんで、明日の葬式の場所、教えてほしくて」
久保田氏、まだ誤報通知を出していないようだ。
次の日とその次の日、何人かの知り合いから電話、メールがはいってきた。
そのころには誤報とは知られていたようだが、その騒ぎで私のこと思い出したらしく、ご無沙汰、しばらく、たまには会いましょう、飲みましょう、の言葉が重なっていた。
懐かしい仲間たちであった。そう思うと、久保田のおっちょこちょいも、まんざら悪いだけでもなかったかな。
ジャーリストとは、少し先の未来を先取りするひと。久保田千春にもその先取り精神があったようだ。
佐山透の死。それは多分“少し先の未来”のことであるのは間違いないのだろうから。
そして、念のためにいっておきます。
私が死んでも、通夜も葬儀も一切行いません。死亡通知も出したくないのだが、そうはいかないだろうから、死後1、2週間たってから発送するようにいい残し、その訃報の文章は前もって書き置いておきます。
というわけで、通夜、葬儀の場所、日時は教えられません。わかりましたか。合田洋さん。
