
WEEKENDLESS II - 39
いつの間にか正月が過ぎていった。
勤め人でも商店でもない私たちにとって、正月が特別なときであるわけがないので、いつもと変わらない日々を送っていたのだが、それでも周囲の動きが止まっているというか、いつもとは違う動きをしているというか、平常ではないのでこちらもなんとなく引きずられてしまう感じだった。戸惑ったまま過ごした数日だったといえようか。
それもそうだろう。大体日本の正月というものをあまり知らずに来ている。
20年ほど前からはアメリカで生活していたので、クリスマスやいわゆる年末のホリディシーズンは身についていたが、正月に特になにかをするということはなかった。
いや、20年前からではなく、さらにその前の約20年。年のうち3カ月や4カ月を外国で過ごすことが習慣になっていた私たちなので、ことに正月、日本にいることはまずない。だから、日本での正月の過ごし方を知らない。
今年で2年続けての日本での正月だが、なにをしていいのかわからないまま、結局なにもせずにいた。なにもしないことの楽しさもつまらなさも充分に味わったといえば、強がりになるだろうか。
近所の散歩以外にはほとんど外出しなかった。
一日中リビングルームの寝椅子で本を読んでいるか、テレビに見たい番組がなにもないので、仕方なく古い映画やオペラのビデオを観ていた。そして夕方になればキッチンに立ってポトフや簡単ブイヤベースのような洋風の鍋料理をしつらえて、なにかどうでもいいようなことを話しながらワインを飲む。
ワインが新しいボトルになったり、もっときつい酒に変わったりしながら夜が過ぎていき、1時ごろには寝る。そんな毎日だった。
そんな日々の中で、私は“死”について考えていた。いや、“死”というものが頭から離れなくなっていた。
自分はいつ死ぬのかな。そのときが決して遠くないことはわかっているが、このところさらに近付いているのが感じられる。
10か月前に、胃がんの手術(内視鏡による簡単な削除)を受けたときにも、“死”を意外な近さで感じはしたが、いまほどではなかった。
“死”は、不安でも恐怖でもない。訪ねてくることになっているひとの姿が、いま遠くに見えてきている。そんな気持ちのこのごろなのだ。
理由はわかっている。
ミンミンが死んだからだ。
昨年、10月中旬から12月初旬まで、私たちは日本を離れていた。あとで数えてみると機内泊を含めて53泊の旅行だったが、その間ミンミンは日本でお留守番。
出かける前からミンミンの体調はあまりよくなく、気になってはいたが、こうしたお留守番はしばしばのことであり、それに、長期のお留守番のたびにミンミンは元気になっていたのだ。
というのは、4年近く前にミンミンを連れて日本に帰ってきて間もなくのころ、Nさんという素晴らしいキャットシッターに出会ったからだった。
Nさんは、私たちがいないあいだ、毎日2回、2時間ずつの4時間、うちに来てくれて、ミンミンの世話をしてくれて、一緒に遊んでくれる。そして、私たちが帰ってきてみると、必ずといっていいほどミンミンの体調は良くなっているのだった。
1日4時間とはいえ、そのほかの時間、Nさんは不在なのだから、食生活はずいぶん規則正しいものになる。夜から朝の十数時間の食事なしは、インスタントな断食のようなものだ。1日中私たちのどちらかが家にいて、ミンミンが食べたいといえばすぐになにかが出てくる。そんなだらしない暮らしとは大きく違う。
だからミンミンをNさんに預けての長い旅行は、私たちになんの心配ももたらさないものだった。いないあいだに元気になっていなさいよ、といった気分の出発だった。
もちろん、パリからも、ヴェネツィアからも毎日のように電話をしていたし、Nさんもしばしば電話をくれた。そのたびに、ミンミンは元気ですよ。たくさん食べて、たくさん出していますよ。わたしがレポートを書くのを邪魔して困ります。そんな話をしてくれていたし、証拠写真のように写真メールも送ってくれていた。安心して旅を続けることができた。
12月7日、部屋のドアを開けると、そこにミンミンが坐っていた。2カ月近く会わなかったためか、不思議そうな顔で私たちを見上げていた。
だが、リビングルームの床でスーツケースを開くころになると、すっかり思い出して、スーツケースの中にはいったり、取り出した衣類に潜り込んだり、坐っている私たちの背中によじ登ったり、出発前よりもさらに元気いっぱいに暴れてくれた。
パロマのダニエッレ産のプロシュートを小さく刻んで皿に盛って出すと、大喜びで食べ散らかした。
その夜、私たちはミンミンと一緒に朝方まで話し込んで過ごした。
次の日から、ミンミンはなにも食べなくなった。
イタリアで買った生ハム、オイルサーディン、成田からの帰途、スーパーマーケットで買ってきたしゃぶしゃぶ用の和牛生肉、それにいつもの数種類のキャットフード。どれも食べてくれなくなった。食べたいのだろう。匂いを嗅ぎに来るのだが、そこまで。すぐに戻ってきてごろりと横になる。
たちまち、本当に見る見るうちにといった感じで小さくなった。ふつか間でなんと半分ほどになってしまった。
横になったまま、私たちになにか話しかけるように見上げるその眼にも力がなくなった。声にならない声で呼びかけてくる。私たちが動くと、あとを追ってこようとするが、よろよろと数歩進むだけで、すぐに横になる。
本当はお腹がすいているのだろう。それなのに嗅覚、味覚が失われているので、食べることができないのだろう。そう思ったので、猫ミルクというものを買ってきた。普通の牛乳よりはるかに栄養価の高い特殊ミルクだ。それを針のない注射器でスポイドのようにして飲ませる。
初めは嫌がって吐き出していたが、しばらくすると舌なめずりをするように喉の奥に吸い込むようになった。
少し飲むと眠りについた。
十数時間、こんなことが続いた。
12月9日早朝、徹夜明けの私は最後のミルクを飲ませた、ここから担当者が起きてきて交代する。
テーブルに乗せておくと、なにかの拍子に動いて落ちてしまうといけないので、ミンミンは床にバスタオルを敷いて寝ている。
ミンミンを左手で持ち上げ、口に注射器のミルクを流し入れる。
ミンミンは目を閉じたまま、ミルクを飲んでくれた。小さな舌がかすかに動いていた。
3回目のスポイドを口にあてたとき、ミンミンが目を開いた。 すっかり小さくなった身体と頭だったが、薄く開いた目は大きかった。
目が合った。
ミンミンは私を見ていた。
なにかをいっていた。
左手のミンミンが、ふっと軽くなったような気がした。
ふつかのち、ミンミンはいなくなった。
お骨だけが残された。
ミンミンは、私たちが帰ってくるのを待っていたのだろう。元気な姿を見せなければと、一生懸命に頑張っていたのだろう。
そして私たちを見て、安心した。力尽きた。
16年前、カリフォルニアのパームスプリングスで私たちのもとにやってきてくれたミンミン。パジャマのポケットにはいって寝ていたミンミンも、たちまち巨大になり、10キロの大猫になり、パームスプリングスで7年、ニューヨークで5年、日本に来て世田谷で3年。トヨスでの1年足らずが最後の棲みかになった。
よくついてきてくれた。
約1.5メートル四方。暖炉用のフェンスで囲んだ“ミンミンの家”は、いまはなくなった。部屋がうんと広くなった。
寂しい。
そうか。私たちがいなかったときのミンミンはこんな寂しさをいつも感じていたのだろうか。
だが、もうすぐだろう。間もなく私たちもミンミンと同じところに行く。そうしたら、もう旅行にはいかない。ずっとミンミンといる。
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