佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 36   

ビザンティン・アドリアティコ

ビザンティン・アドリアティコラヴェンナは小さな街だから、3日もいればほぼ全体像をつかむことができる。そう思っていた。  

だから、これまでにラヴェンナには3回訪れているが、どれもごく短い滞在で済ませていた。

20年前、初めてやってきたときには2泊3日。

8年前は、ずっと南のウンブリアあたりからヴェネツィアに向かって、アドリア海に沿って北上するドライブの途中、思いがけなく快調な流れに気をよくして、ちょっと寄ってみようか、程度の訪問。寄り道だったので、滞在はわずか4、5時間だった。

そして4年前にもまた2泊3日。

3回とも、ラヴェンナだけが目的地ではなく、いくつかの街を巡る旅の、そのひとつ、途中下車のような感覚だったのだ。そんな短い滞在でも、ラヴェンナという街は、旅人を満足させてくれていた。ラヴェンナを極めたような気分にさせてくれていたのだ。

ビザンティン・アドリアティコそうした記憶があったから、今回7泊8日などという大きなプランを立て、パリ、ヴェネツィアと続いた2カ月近くにも及ぶ長い旅の締めくくりにしようと決めたとき、いくらなんでも長すぎるのではないか。半分ほどで、もう観るものもなく、行くところもなく、小さな街で退屈を持て余すのではないか、という不安はあった。

だから、ヴェネツィアの、観光客用ではない一般の書店で、ラヴェンナでは多分手に入らないだろう、英文、仏文の美術書、軽い歴史読み物を数冊買って、暇つぶしに備えたのだが、結果としてそうした本は、まるで読まれることなく日本まで持ち帰るはめになったのであった。

つまり、ラヴェンナは1週間滞在しても少しも退屈することはなく、それどころか、まだまだ居足りない思いさえ抱かせた。ラヴェンナにはこんなに多くの見どころがあったのか。4回目の訪問で、自分の不明を愧じることになるのだった。

ラヴェンナは、ビザンティンの花が咲き乱れ、モザイクの波が渦巻いていた。

 

街を歩いていると、思いがけないところに1500年もの昔を物語る遺跡、史跡が残っていたり、街角の平凡な小さな教会が、入ってみると素晴らしい価値を持つ世界遺産的な建造物であったり、短期間の滞在、観光案内書頼りでは決して知ることのできない発見がある。

そして余裕をもった旅だからできることだが、同じ場所になん回も行き、そのたびに新しい感動を得るという魅力もラヴェンナにはあった。

 

ビザンティン・アドリアティコサン・ヴィターレ聖堂。

広い堂内の壁面、天井一面を古代のモザイクが埋め尽くしている、ラヴェンナ一番の名所だが、幾度観ても飽きることはないし、観る度に心に歴史の風が吹きこまれるような気持ちになる。だからこの1週間、私は毎日この聖堂を訪ね、このモザイクの宝庫から始めることを日課にした。

サン・ヴィターレ聖堂は、いまでこそ素朴なレンガ造りの外観を見せているが、内部はビザンティンそのもの。ラヴェンナを奪回する以前、ゴート族がこの地を支配していた6世紀に建てられたときのままで、薄暗い内陣はそのまま世界に冠するモザイク美術にあふれている。

8本の太いギリシャ風の円柱に支えられたヴォートル(天蓋)の中央には、4人の天使に守られた丸いメダリオンが配置されている。メダリオンは、花弁、りんご、なし、そして金の星に後輪をかざした神秘の子羊だ。

ヴォートルの角には、4羽の孔雀、2羽の鳩、ガラリア湖の魚に囲まれたキリストが描かれ、というか、モザイクされている。

ビザンティン・アドリアティコ内陣内側の壁面には、旧約聖書に書かれたモーゼの物語が順を追って描かれ、後陣にはヴェツレヘム、エルサレムの壁が浮かび上がる。

まだまだこうした歴史、神話、聖書伝説に基づくモザイクが数え切れないほどあるが、来るたびにこうして知識が増えていくのが楽しい。一度や二度の訪問で走ることのできない、これこそが教養というものであろう。だからここに毎日来るし、来たら来たで、2時間は動けないことになる。

 

このサン・ヴィターレ聖堂の裏手に、ほとんど物置小屋とも見まがう小さなレンガ造りの建物があり、これがガッラ・プラティディアの霊廟。

5世紀初頭、コンスタンティウス帝は、それまでの禁教、キリスト教を国教と定め、みずからがローマからミラノに移したローマ帝国の首都を、さらにここラヴェンナに移し、そのとき、もしかしたら伝説上の聖人だったかもしれないガッラ・プラティディアを正式に入聖させ、この霊廟に祀ったとされる。

内陣、ヴォールトともにブルーを基調にしたモザイクで埋められ、後陣には5匹の羊に囲まれたキリストが十字架を杖に立つ姿が描かれている。狭く、ふた組も入ればいっぱいになるが、ここにも時間の許す限り立ち尽くしていたい。

ガッラ・プラティディアの霊廟を出るころにはいつも昼食タイムになっているので、カブール通り、ポポロ広場あたりで軽くなにか食べ、少し歩いてサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂に向かう。

ここは、いまは教会としての活動はしていないが、がらんと広い聖堂の上部壁面に、祭壇に向かって右には26人の聖人、左には22人の聖女の列が見事に描かれている。

わかりにくいところにあるためか、いつ来てもひっそりとしているこの聖堂で、私はぽつんと置かれた椅子に坐って何時間も上を見ている。『聖者の行進』、その本当の形、本当の精神がここにある。

 

民家と間違えられそうな、町なかの小さな教会はサンタガタ教会だったろうか。やはり小さな礼拝室を抜けて奥に入ると、そこから階段で地下に降りる。 

ビザンティン・アドリアティコ広く開けた地下は、発掘した古代遺跡、古代建築の床面そのもの。板を渡した橋で古代床面を上から眺めるのだが、その壁面に突然崩れかけを修復中、といったモザイク像が現れて、びっくりさせられたりする。

こんな感動的な発見、サプライズがそこここにあるから、ラヴェンナは去りがたい。

 

ほかにもサンタ・マリア・マッジョーレ教会、スピリト・サント教会、サン・フランチェスコ聖堂、サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂など、6世紀、7世紀をなおも留める必見の地は数多くあり、そのほとんどすべてを、一度といわずに訪ねた1週間だったが、大きな感動が残るのは、ラヴェンナ市街から郊外バスででかけたサンタポッリナーレ・イン・グラッセ教会だった。

ビザンティン・アドリアティコその名の通りグラッセという場所にあるのだが、このグラッセこそラヴェンナが最初に開けた地。つまり初代ラヴェンナなのだ。

このサンタポッリナーレ・イン・グラッセ教会は、周囲になにもない田園にすっくと建つレンガ造りの大きな教会だが、中に入ると多くのラヴェンナの教会がそうであるように、がらんとしてひっそりとしている。この教会の姿、精神をそっくり移したといわれる、『聖者の行進』のサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会に似ているが、後陣の「キリストと12使徒をあらわす羊」は創建当時のものといい、その色彩はいまも鮮やかで驚かされる。

 

だが、ビザンティン、モザイクといった、世界の美術史の中では異端、僻地、番外地とも思われる美術形態が、なぜかくも心とらえるのか。

パリで、ヴェネツィアでいやというほど観てきた“正統な”美術の数々。そこにあるのは輝かしい栄光であり、永遠に生き続ける、躍動する美の心であった。傲慢なまでに誇りやかで、堂々と屹立していた。美の女神の祝福を満身に受けていた。

ビザンティンにはそれがない。

ビザンティン・アドリアティコあるのは、遠い過去の面影であり、それは遺影でもある。もう帰ってこない、滅び去った者の名残りだ。

それが、私たちの心をとらえ、打つ。

ラヴェンナの街角の催し物会場のような建物で、「21世紀モザイク展」ともいうべき美術展を見た。若い芸術家たちが、昔ながらのモザイクの手法で描いた現代絵画を発表している。風景画もあった。ヌードも抽象もあった。

滅び去ったモザイクを、蘇らせようとする若い動きがあるようだ。成果が表れるのはいつのことか。

 

と、1週間のあいだ、ビザンティン漬け、モザイク漬けで過ごしたのだが、いよいよ明日でこの長い旅もおしまいという日の午後、いくつかの教会、聖堂を回ったあと、私は駅前でバスを乗り継いで、東の遠く、海辺に出かけた。  

昔はこの駅あたりも海が迫り、湿地帯だったというが、千数百年の歴史が海岸線をはるかに遠ざけてしまっている。いまではバスで30分の海辺は、別荘地、海水浴場になっている。

ビザンティン・アドリアティコアドリア海。マーレ・アドリアティコ。

ヴェネツィアはリド島の外海岸で見たアドリア海が、このラヴェンナにも開けていた。

眩しい夕陽が海面を輝かせ、凍てつく冬の風が、頬を打つ。

思えば、2か月近く前にパリで買ったレザーのジャンパーを、それ以来ずっと着たままだ。買ったときは暑くて、下をTシャツだけにしていたのに、いまはTシャツにワイシャツ、それにセーターを重ねている。

10月中旬、日本を出たときは、まだ夏の終わりといった気配さえあったのに、いつの間にか秋を通り過ぎて、いまや初冬だ。

私は、日本の冬の中に帰っていく。

 

ビザンティン・アドリアティコ

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