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WEEKENDLESS 36

奈良、寂しきいにしえの都  

奈良、寂しきいにしえの都

4泊した京都から奈良まではバスで向かった。1時間の移動だったが、一応高速バスということでバスガイドが同乗している。途中の観光案内をしてくれるのだが、それが伏見城であったり、遠くに見える大江山であったりするのでは、ついさっきまでいた場所の説明をしているだけで、旅行の気分ではない。
 そう。京都から奈良、という移動は、私たちの感覚では、まず旅行ではない。昔の修学旅行がそうであったように、奈良京都、はひとつの場所になっている。
 そう思ってはいたのだが、奈良市役所近くでバスを降りたときの不思議な気持ちはなんだったのだろうか。空気が違う。まったく違う街にやっていたような、ざわっとした皮膚感覚。
奈良、寂しきいにしえの都 荷物を置きにホテルに歩きながら考えていたのだが、それは奈良の持つ独特の寂しさというか悲しさ。そんなうらぶれ感ではなかったか。
 華やかで、みやびで、それでいてたくましく、鮮やかに息づいている京都に較べ、奈良のもう過ぎてしまった静けさ、ここには昔しかないといった、それはそれで悪くはないさわやかさではあっても、寂しさが付きまとっている。
それが奈良の宿命なのか、観光地としての根幹をなすべき存在感が乏しい。京都の1000年に比して1300年が長すぎるのか。
 奈良に観光で訪れて、いくつかの高名なお寺をめぐっても、宿泊は隣の京都で、あるいは生駒山トンネルを超えて大阪で、というひとがほとんどだという。その証拠に、奈良には大きなホテルが極端に少ない。
 奈良としてもそのことは十分に自覚しているらしく、最近になってようやく観光客誘致に努力し始め、セントくんだのナントくんだののイメージキャラを作り出してみるのだが、それでも人気がいまいちだというと今度はナームくんを送り出してくる。発想の転換がまるでない。センスが悪いというよりセンスがない。だからますます奈良は悲しい。
 と、いろいろ悪口をいいながら、今回の関西の旅、目的は京都にいくつもあったし、奈良にもあった。奈良にもいまでなければ見ることができないイベントがあるのだ。

奈良、寂しきいにしえの都

奈良ホテルに荷物を預け、放し飼いの鹿がうろついている公園を抜けて興福寺へ。日本最古の五重塔で知られ、10年前には世界文化遺産に登録された興福寺が、いま長年閉ざし切っていた4つの堂屋、北円堂、西金堂、東金堂、南円堂を、さらに本堂隣の国宝館まで一般に公開している。まずは北円堂から。
奈良、寂しきいにしえの都 この小さな堂は、建物そのものが国宝であるばかりでなく、弥勒如来坐像、無著・世親菩薩像、四天王立像の3体の国宝を祀っている。いや、菩薩像は2体、四天王はもちろん4体だから全部で7体になり、結構窮屈そうでもあった。特に無著・世親菩薩像はわが国の肖像彫刻の中で最高傑作。塗りははがれ、ひび割れてはいても、その静かな面持ちは周囲のひと込みを忘れさせてくれる。
 だが国宝のきらびやかさなら東金堂か。建物はもちろん日光・月光菩薩立像、文奈良、寂しきいにしえの都殊菩薩像、唯摩居士坐像、十二神将立像、四天王立像。すべてが国宝。
 そして四堂のあと国宝堂に入ると、もうありがたみも忘れるほどの国宝ラッシュ。7体の国宝仏像に国宝梵鐘などに10体の重要文化財がびっしりと並んでいる。そんな中ほどにさりげなく立つ薬師如来仏頭と阿修羅像にはオーラが立ちのぼっていた。
 考えてみれば、奈良の進化、チェンジを阻んでいるのはこうした国宝さんたちかもしれない。変えてはならんぞ、といっていた。

 夜は奈良ホテルで、京都の味にはいくらか飽きていたし、奈良のおいしいものも思いつかず、フレンチのコースにしたのだが、これまた歴史を感じさせるというか、戦前のオフィシャルな洋食とはこういったものだったのだろうか、がちがち形式主義のディナー。左右にナイフ、フォークがずらりと並ぶ姿は、いまやロンドンの古いレストランにでも行かなければ見ることができないかもしれない。昔の貴顕はこうしたテーブルで肩肘張って食べていたに違いない。
 救いはワインリスト。割にしっかりしたソムリエが付いてくれたことだが、調子に乗ってブルゴーニュからボルドーへとはしごし、おしまいにコニャックなどと決めたものだから、もう、なんというか。

奈良、寂しきいにしえの都

自慢ではないが当然の二日酔いで、ようやく起き上がって、ふらふら歩いて奈良国立博物館は、正倉院展が始まったばかり。
 4つの大広間に分かれた広大な館内には、正倉院の北倉、中倉、南倉、聖護蔵それぞれから多くの宝物、遺物が出展されており、それだけでも天平の世が広がっているかに感じられるのだが、展示されているものは正倉院所蔵物のほんの一部にすぎないそうだ。道理で60年もの間毎年展示内容を変えて正倉院展が催されているわけだ。
奈良、寂しきいにしえの都 途中でカフェの生ビールで生き返ったりしながら4時間近く歩き回り、なんとなくの違和感を持っていたのは、こうした千数百年昔の品々はこんな近代的な博物館でなく、汚れ、古び、崩れかけた寺院の宝物館か、そうでなければやはり校倉造りの正倉院でじかに見たいと思うからか。このような観光客的な発想が奈良を歴史の昔に押し込めているのかもしれないが。
 近くの若い男女がいっていた。
 「なんだか引っ越しのあとの粗大ゴミみたいやな」
うーん、わからないでもないが、ここは美術館ではなく博物館なのだよ。大昔のものは、たとえそれが粗大ゴミであっても、のちの時代まで残っていれば立派な資料、美術品になるのだ。ありがたく鑑賞しなさい。

 さすがに二日目の夜はビール3杯に幕の内弁当めいたなんとか御膳ですませ、部屋に帰ってから冷蔵庫の焼酎をお湯割りで数杯はともかくとして、翌日は元気いっぱいに目覚め、ホテルで知り合った、やはり東京から来たご夫婦と連れだって、タクシーで奈良の北、加茂の里に向かった。
奈良、寂しきいにしえの都 岩船(いわふね)の地にあって岩船寺(がんせんじ)。紅鮮やかな三重塔と三つ葉つつじ、紫陽花、みつまたに紅葉と、季節の彩りの豊かさで知られる岩船寺から、数多くの石仏が道端にたたずむ山道をだらだらとふもとの浄瑠璃寺まで歩いてみようという高齢者向けのウォーキング。
 ゴルフに較べればこんなもの、となめてかかって歩き始めたが、足場の悪い急な山道は飲んだくれのおじさんにはいささかこたえる。泣いているように見えるがわらい仏、身体のほとんどが地中に眠っているからねむり地蔵、なぜかは知らねど鍬地蔵、首が残っているのに首切地蔵。山の中の大きな岩に直接掘り込んだ仏像地蔵の数々の前で、じっくり観察するふりをして、実は呼吸を整えていたのであります。
 下り坂の左右には、赤く実った柿の木や、そろそろおしまいのいたどり(すかんぽ)。狐のお面に似た黄色の実をいくつも付けている、その名もフォックスフェイスは、生け花に用いるなす科の植物だそうだ。
 2時間余りも歩き続けて浄瑠璃寺。アメリカのある作家がやってきて、日本でいちばんきれいな寺だといったとか。やはり赤い三重塔と、池を挟んで向かい合う背の低い本堂。
奈良、寂しきいにしえの都 誰もが写真で見知っているこの寺の本当の主役は本堂に並ぶ9体の国宝・阿弥陀如来像と重文の秘仏・吉祥天女像。狭い本堂の畳に坐ってすぐ目の前の仏さんたちと目を合わせていると、そのまま自然の空気に吸い込まれそうで、京都の豊かさ、絢爛ぶりもいいが、奈良の古さ、取り残された静けさもいいなという気になってくる。
 来てよかった。うなずきながら浄瑠璃寺を出て、とろろそばでも、と門前の民家風の食事どころに入ったが、入口の柱に打ち付けられた住所は、
  京都府木津川市加茂町
 ここは奈良ではなく、京都であった。
 奈良は、やはり寂しく、悲しい。

奈良、寂しきいにしえの都