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WEEKENDLESS 35

京都、秘仏、国宝、源氏物語

京都は不思議な街だ。
京都 もう数え切れないほど来ているのに、そしてほとんどの名所旧跡、神社仏閣も一度とはいわず訪れているのに、それなのに来るたびに初めてのような驚き、感動がある。それだけ京都の持つ歴史の奥深さがあるからなのだろうが、だから京都では発見ではなく、くわしく見るという意味で詳見といいたい。そんな言葉はなくてもいい。私がいいたいのだから、詳見はしょうけん。萩本健一ではありません。
 今回の京都は嵐山から始まった。
 前夜新幹線を降りてすぐに足を向けた先斗町での数時間がいささかの二日酔いとなって残っている中、市バスの一日乗車券なるものを購入し、駅前ターミナルから乗り込んだ。これは京都に来るたびのルーティンのようなもので、必ず坐っていけるようにターミナルに近いホテルを取る。
 紅葉にはまだ早かったがそれでも嵐山はひとであふれている。修学旅行の高校生たちもいるようだ。そんな混雑の中、路地といったほうがいいような細い道を、大型バスはあふれるようにして通っていく。渡月橋を過ぎ、多くの客が降りてしばらく、清涼寺近くで降りる。停留場の場所が変わっているような気がするがどうだろうか。無理もない。清涼寺に来るのは30年ぶりくらいなのだから。
京都 清涼寺を一番に選んだのは、この寺の本尊、釈迦如来と、棲霞寺の本尊、阿弥陀三尊を観ることができるからだ。どちらも国宝に指定されており、普段は拝観することはできないが、今年この時期に限りのご開帳。いわば虫干しなのだが、われわれにとっては逃すことのできないチャンスともいえる。
 釈迦如来は奈良東大寺の僧、ちょう(大の字の下に周)然上人がシナから元帰ったという仏像で、それだからか光背の紋様が日本の仏像と大きく異なっている。唐の紋様で、本当の唐草模様とはこうしたものかと思わせる。
京都 阿弥陀三尊は、嵯峨天皇の十二皇子、源融公の供養のために造立されたそうだが、この源融公とは光源氏のモデルだったといわれる人物で、気のせいかなかなかのハンサム仏だ。
 清涼寺の見どころのもうひとつは、これも常時公開されていない宝物だが、少し離れてある霊宝殿の2階に飾られている本尊釈迦如来体内封籠品。つまり釈迦如来の体内に納められて日本にやってきた経典や仏絵図、書簡などが取り出されて展示されているのだが、これが発見されたのはなんと昭和も戦後になってからだという。レントゲン技術が発見の功労者であった。1000年ものあいだ、釈迦如来のお腹の中に眠り続けていたわけだ。すごい。
京都 さらに同じ体内から発見されたものに、絹製五臓模型なるものがある。人間の内臓、心臓、肝臓、膵臓、腎臓、脾臓、それに胃、腸までもがそれぞれ色を変えた絹布で縫い作られている。いわば内蔵の縫いぐるみだが、あの時代のシナにこんな解剖学の知識があったとは、驚くより前に呆れるばかりだ。もちろん体内物のすべても国宝指定。

めくるめくばかりの3時間を過ごして、再びバスに乗って都心部に戻り、四条堀川で乗り換えて洛北、紫野の大徳寺へ。
京都 大徳寺は大徳寺納豆などで知られる寺で、ひとつの街ともいえるほどの広大な敷地を持っているが、その境内にはいくつもの塔頭、つまり分院のような寺が散らばっている。拝観者たちは、本院よりもこの塔頭をいくつか回って見ることが多い。そして今年のいまは、普段は門を閉ざしたままの3つの塔頭、黄梅院、総見院、興臨院が公開されている。話が長くなるので詳しくは書かないが、それぞれに織田信長、豊臣秀吉、大友宗麟などに深くつながっている塔頭で、枯山水をはじめとするいくつもの名庭を抱えている。
 各庭を前に縁に坐れば、いつしか心静かになり、幽玄の境地に誘われる気分になり、なかなか立ち去ることができない。だから大徳寺を訪れるのは一日がかりあるいは二日続きとなる。私もふたつの塔頭を拝観したあといったん外に出て、門前のそば屋で昼食し、再び境内に入った。名物といわれるおろしそばを食べたのだが、これはいまいちだったな。幽玄の気から観光地気分に引き戻されてしまった。お運びのお姉さんは可愛くてよかったのだが。
京都 大徳寺で閉門まで過ごし、またとことことバスでホテルに戻り、シャワーのあと着替えて、今度はタクシーで四条河原町の毎度立ち寄る小料理へ。それからあとは、東京でもパリでもニューヨークでも、夜の時間はいつもと同じ。

翌日の二日酔い気分もまたいつもどおり。バスで東山は高台寺へ。
京都 以前、といっても20年あまり前に行ったときは、確かタクシーで門前まで乗り付けたはずで、バスと徒歩での行き方がわからない。八坂神社から歩いてすぐだと思って、祇園花見小路から上がっていったのだが、これがひどい。どう見てもひとの家の裏口だと思える狭い石段をうねうねと上がり、猫くらいしか通らないような道をたどり、いきなり小料理屋の庭に出てしまって引き返し、ようやく高台寺の石段に着いた時には、寒い朝なのに汗に濡れていた。
京都 高台寺は豊臣秀吉の正妻、北の政所ねねが出家して終焉の地とした圓徳院を持つ門跡寺。塔頭ではないが霊屋、開山堂、臥龍廊、遺芳庵、時雨亭、傘亭といった“離れ”を持ち、その多くが重要文化財となっている。以前来たときには東山全体が雪に包まれており、この世のものとは思えない美しさだった。そうか、あのときはだからタクシーで来たのか。
 この寺もまた、今年のこの時期に限っての特別セレモニー。「源氏物語」が世に出て今年で1000年とのことで、いくつもの部屋をめぐって「源氏物語絵巻」を見る館内ツアーが行われている。高台寺と「源氏」とは関係ないし、絵巻といっても現代画家が描いたイラスト風の作品だが、それでも100点近くも並べられるとさすがに圧倒される。
 私の近くに若い女性を伴った中年男がいて、そのオヤジが、多分「瀬戸内源氏」でさえ読んでいない細切れの知識で、知ったかぶりにいろいろと誤った解説するのがうるさくて仕方がない。やり過ごしてひとり縁に出て庭を見ていたら、係りのお兄さんに、そこは立ち入り禁止です、と叱られてしまった。
京都 だからいくらか複雑な気持ちで出てきたのだが、四条の街でイタリアンの昼食をとり、錦市場を歩いてひと籠10万円の松茸見物などをしているうちにまた気が変わって、夕方暗くなりかけた時刻に再び高台寺へと向かった。というのは、奇しくもこの日から、高台寺の庭園はライトアップされ、夜9時まで公開される、ということをあの口喧しいお兄さんがいっていたからだ。またあいつに会っても、夜ならわからないだろう。
 ライトアップの庭園は、さすがにお見事というほかにないが、紅葉にはいくらか早いこともあり、初日なので観光客でいっぱいでもあり、1時間ほどうろついて出てしまった。清涼寺、大徳寺に較べて、高台寺は「源氏絵巻」も含めて少し観光化しすぎているようだ。しかし、ガイジンさんも多かったようで、それも仕方がないのかな。
 高台寺から坂道をだらだら降りるとそこは祇園。一昨日は「豆寅」で手鞠寿司を肴に飲んだから、今宵は「鳥居本」か。あの都蝶々さんそっくりのおかみさん、もういないだろうな。30年も前だものな。

京都