佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 35   

欧州豪華列車の旅、ん?

ヴェネツィアはいうまでもなく海に浮かぶ人口の街で、幾種類かの船、ボートの類でなければ移動できない不便で、だから楽しいところでもあるのだが、もちろんそれだけでは街として機能しないわけだから、本土というか本当の陸地とつながっている部分もある。それが車なら陸地側の街、メストレからヴェネツィアの西のはずれ、ピアッツァ・ローマに通じる長い橋。鉄道ならやはりメストレ経由でサンタ・ルチア終着駅に通じるルート。船を使わない限り、このふたつしか外に出る方法はない。  

欧州豪華列車の旅、ん?だから、ヴェネツィアからラヴェンナに行こうと思ったとき、ホテルのフロントで尋ねた。列車とレンタカーでは、どちらがいいか。フロントの女性はためらいもなく答えた。列車がいいに決まっています。  

そうまでいわれると、逆らう気にもならない。すぐ近く、徒歩5分のサンタ・ルチア駅に行ってラヴェンナ行きのチケットを購入。欧州快速列車ユーロスターのプリモ・クラッス1等車で1万円足らず。ずいぶん安いじゃないか。レンタカーにしなくて良かった。そう思ってホテルに戻ったのだが、どうも気になる。なぜチケットが2枚あるのか。  

詳しく見直してみて、ようやく謎が解けた。  

欧州豪華列車の旅、ん?ヴェネツィア、サンタ・ルチアからラヴェンナまでの直通便はなく、途中のフェッラーラで乗り換えなければならない。しかもフェッラーラから先はユーロスターではなく、急行でもなく普通のローカル線で1等車はない。安いわけだ。  

だが、ま、いいか。久しぶりのヨーロッパ列車の旅。期待に胸はずませ、ヴェネツィア最後の夜、おいしいワインをたっぷりといただいたわけだ。最後でなくても同じですけれどね。  

 

考えてみるまでもなく、ヨーロッパ各都市のあいだは蜘蛛の糸のように張り巡らされた鉄道網で結ばれており、列車で行けないところはない。  

それなのに、そしてこれほどしばしばヨーロッパにやってきていて、あちこちと動き回っているのに、列車のたびというものをあまり経験してないのはなぜだろうか。ことにこの30年ほど、うーん、一度もないのではないか。

欧州豪華列車の旅、ん?いや、ロワールにジビエ料理専門のレストランを訪ねて、パリのオステルリッツ駅から列車に乗ったのは数年前の冬だったし、スペインはバルセロナから、サルバトーレ・ダリの故郷フィゲロアに行ったのも列車だった。イタリア、ミラノからスイス国境、アウトレットの街フォックス・タウンまでも列車だったし、ミラノからベルガモまで乗ったこともあった。そうだ、フィレンツェからプッチーニの街ルッカ。まだまだあったぞ。

そう考えると、列車の旅、決して少ないわけではないのだが、感覚的にはどれも近場往復。市内の地下鉄の延長のような気分だったから、旅をしたモードにはなっていなかったのではないか。乗ったことを忘れている。

思い出すのは、遠い昔のことばかり。

 

欧州豪華列車の旅、ん?ヨーロッパに来て最初の長い列車の旅は、パリにいた学生のころだ。日本でいう夏休み。進学を待つヴァカンス休暇。どうしても日本に帰る気になれなかった私は、クラスメートのイタリア人、その名もフェラーリくんに誘われるまま、彼の実家のある北イタリアはヴェローナに近いシルミオーネを訪ねた。もちろん学生割引の2等車。いまでは考えられないような硬いシートにじっと坐ったままの長い列車の旅だった。ニースで乗り換えて国境を越えた。そのころは列車の中に税関吏が乗りこんできて、パスポート、学生ビザをチェックしていた。まだよくできないフランス語でいろいろ尋ねられて困ったことを覚えている。フェラーリくんもあまりフランス語ができなかった。

この旅では、ガルダ湖畔で3週間過ごしたが、ほとんどの時間、フェラーリくんとふたりで教科書、参考書とにらめっこしていたはずだ。  

 

長い列車の旅といえば、それから数年のちのドイツの旅。

10月ころだったので、ドイツのどの街、どの村もビール祭り、オクトーバー・フェストで大騒ぎだった。そうした街々、村々をひとつずつ回っていろんなビールを飲み較べてみようという、いま思うと実にくだらない、ばかげたプランだったが、要するにローカル列車でことこと30分ほど揺られて近くの街まで行く。その街のどこかで必ず開かれているビール祭りに出かけ、地元のひとたちに交じってたらふくビールを浴びる。祭りがなくてもビアホールは必ずあるから、そこで飲む。

そして酔っぱらって安ホテルで寝て、あくる日の昼過ぎにまた列車に乗って次の街へ。

こんなことを1カ月続けた。

まだドイツが東西に分かれていたころで、ベルリンに行くためには東ドイツを通らなければならない。薄暗い夜行列車に、にこりともしない東ドイツの兵士が銃を持って乗り込んできて、乗客のひとりひとりのバゲッジの中まで調べた。やはり共産主義社会はいかんなぁ。そう思いました。

このドイツは、バンベルクだったかな。夜遅く、なかなかホテルが見つからず、やっと見つけたホテルはどこか怪しい。フロントなどなく、大きなビアホールというかバーというか、そこのカウンターでバーテンダー相手にチェックイン。カウンターの中には若いおねぇさんがうじゃうじゃ立っているし、客席は酔っぱらいでうるさい。

つまり、ホテル、バーに見せかけた売春宿だったのだが、いまさらやめられないし、ほかにホテルがありそうもない。仕方なくチェックインして2階の部屋に荷物を置き、階下のバーに降りた。

生ビールを3杯飲み、サービスらしい軽いつまみを食べ、前に立っているおねぇさんに、いくら? 尋ねた。ドイツ語ができないので英語で。

金髪の若いおねぇさん、両頬を恥ずかしそうに赤く染めて、小さな声で答えた。スリー・マルクス。可愛かったなぁ。

その夜、両隣の部屋からいろんな声が聞こえてきて、楽しくて寝付けなかったのも、懐かしい思い出だ。

 

などと大昔のことを思い出しながらの列車の旅は始まったのだが、スタート時点から早くも後悔の念が押し寄せてきた。

ホテルから駅まで、大きなスーツケースをがらがら押していったのはいいが、サンタ・ルチア駅に入るには階段を登らなければならない。バリアフリーの車いす用のスロープなどどこを探してもない。日本ならなんとか団体が騒ぎそうだ。われわれに死ねというのか。行政が悪い。格差社会のひずみだ。政権交代せよ。あ、もうそうなってしまったか。

だだっ広い駅構内を抜けて、反対側に出る感じでホームに抜けると、各地から、各地へのプラットホームが扇形に広がっている。わがユーロスターは2番線。遠いなぁ。

欧州豪華列車の旅、ん?それにしてもヨーロッパの駅、プラットホームはどうしてこんなに低いのだろうか。列車に乗り込むためには、高いステップを2段も上る。大きな荷物を持ったままでは到底無理だ。まず荷物をよいしょと上にあげて、しかもふたつもみっつも、できればそこにいるひとにお願いして、それから自分も登る。私は足が長いからいいけれど、胴長短足のひとにはつらいだろうな、とさりげなく威張っておいて、私は汗をかいて乗客になった。ユーロスターだぜ。1等車だぜ。

指定席について、格好つけてラップトップを開いたりしているうちに、なんのブザーもアナウンスもなく列車はいつの間にか発車。パソコンで打つことも、調べることもないから、窓の外、両側が海、長い橋の景色などを眺めていると、検札のおやじと車内サービスのおばさんが同時に現れた。

検札はあっさりしたものだし、車内サービスにはスプマンテ(シャンパン)まであったので、満足。さすがユーロスター。さすが1等車。しつこいな。

だが、ゆったりとスプマンテを味わって、さて、ひと眠りでもしようか、というときに車内アナウンス。たったひとことだ。

欧州豪華列車の旅、ん?え? いまなんといった?

確か、フェッラーラといわなかったか。

慌ててチケットを取り出してみると、あと5分でフェッラーラに着くことになっているではないか。ヴェネツィア・ラヴェンナ、というから遠い印象だったのだが、フェッラーラ乗り換え。フェッラーラまで1時間半の旅程でしかない。フェッラーラからはさらに1時間だが、旅行といえるようなものではなかったのだ。単なる移動。

私の豪華ヨーロッパ列車の旅、は、こうしてあっさりと終わった。

フェッラーラでまたよいしょ、どっこいしょと乗り換えたが、今度は普通のローカル線。学生だか労働者だかの若い男女でひといきれ。なんとか坐ることはできたが、大きな荷物はそばの通路に置くよりなく、キャスターで動き回るので、常に抑えていなければならない。通路を挟んだ席のあんちゃんが、スニーカーで押し戻してくれたが、お礼をいうべきだったのかな。

いろいろ文句をいっていますが、ふたつのパターンを持つこの短い列車の旅、なかなか面白かった。もうこういうことはないだろうな。

 

さ、ラヴェンナだ。

ビザンティンだ。

ここから先は、またどこかに飛ぼうとは思わないだろう。ラヴェンナの先は、日本だろう。

 

欧州豪華列車の旅、ん?

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