佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 34   

ビザンティンとの出会い

自宅のひとつのようなつもりでいたパリも、3週間もいるとそろそろ帰ってもいいかな、といった気分になった。昔はなかった感覚だが、そのホームシックに似た気持ちに素直に従わないのが私のひねくれたところか、いまの日本には急いで帰るほどの魅力も思い入れもないからか、パリを離れたくなった私は、そのまま日本ではなく、ヴェネツィアへと向かったのであった。  

そのヴェネツィアでも、もう2週間あまりたった。  

ビザンティンとの出会いだが不思議なことに“帰ろかな”モードにはまだなっていない。いまのところ、ヴェネツィアのまったりした空気の中で快適に呼吸している。このままずっといてもいいかな、といったところか。  

ヴェネツィアのこの、じっくりと長居させたくする空気とは、いったいなんなのいだろうか。まったり、と書いたが、海の香りをたたえて爽やかなようでいて、その実、重く淀んだ気配。夥しい観光客の活気の陰に流れるけだるさ、投げやりさ加減。明日への期待、希望を感じさせない、それゆえにかえって漂う明るさ。  

そう。これは明らかに衰退の香りだ。滅びゆく都市にしかない頽廃と、過去へのむなしい郷愁。  

私がヴェネツィアに感じ続ける親近感。その理由はここにある。いつ滅びるかわからない。滅亡はすぐそこにまで来ている。それなら一緒に滅びてやろうじゃないか。  

 

ヴェネツィアの衰退はいつから始まったのか。  

ビザンティンとの出会いナポレオンの侵攻、占領、統治による共和国の終わり。それがヴェネツィアの衰退の初めといわれ、ゆるやかな衰退、ともいわれているが、それは歴史が進み、変わってもとどまるところを知らない。  

人工的に作った都市は、やがて自然に戻っていく。海の上に浮かべた街は、海に沈んでいく。  

あとひと月もすれば、アクア・アルタ高潮の季節がやってくる。そうなったら、いつもなら観光客であふれるサン・マルコ広場も一面の海水に覆われ、運河に面したパラッツィオ建物の最下フロアは出入りさえできなくなる。いまもカナル・グランデをヴァポレットで通ると、沈みかけたパラッツィオをいくつも見ることができる。

老いて沈みゆく街を見る、老いたる私に、悲壮感はない。  

マタイの福音書だったか、こういっているではないか。  

 

死を求めてはならぬ。死を受け入れるのみ。

 

ヴェネツィアは死にかけている。だから、離れがたい。

 

3日前だったか、朝から小雨が降り続いていたせいか、街にあふれる観光客もいつもより騒がしくなかった。カフェやバルのテラスから、あるいはガラス越しに、恨めしそうに外を眺め、どうしていいか判じかねている。

そうした連中を逆に外から憐れみながら、雨に濡れて歩いていたのだが、リアルト橋にほど近い小さな教会サン・サルバトーレ教会の前に貼られた一枚のポスターに、つい足を止められた。

『La Traviata』の、大きく崩した文字と、どこかで見なれた舞台写真が、薄暗い雨空の下、浮き上がって見えたのだ。

ビザンティンとの出会い近寄ってみると、そのサン・サルバトーレ教会でこの夜、オペラ『トラビアータ』が上演される、とある。

目を疑った。オペラハウスなどでは決してない、街角の小さな教会だ。その教会の礼拝堂ホールで、あのヴェルディのオペラが行われる。

時計を見て、ホテルで着替えて出直す時間が充分にあることを確認し、私は短い階段を駆け上がった。すぐ前にデスクに髭の男が坐っていた。

「チケットはありますか」「A席があと6枚余っています」

「ドレス・コードは?」「カジュアル」

 

この夜の『トラビアータ』が、正しくはオペラではなくコンサート形式によるものだとはわかっていたが、それでも、ヴェネツィアで『トラビアータ』は、私の心の逸りをとめない。

ビザンティンとの出会いコンサート形式とは、主役級の数人の歌手が、オペラの衣装で、あるいはタキシード、ドレスで揃って舞台に立ち、それぞれのアリアを歌うもので、大きな舞台に立てないランクのオペラ歌手がほとんどだが、シーズンオフのトレーニングを兼ねたヴィーヴァ、ヴィーヴォが歌うこともある。

ヴェネツィアを訪れたひとが、テアトロ・フェニーツェのオペラ、といわれて大喜びでチケットを購入したものの、地図に案内された場所はたとえばテアトロ・マルベランで、オペラはコンサート形式。だまされた、と憤ることもあるそうだが、季節外れに訪れて、いきなりテアトロ・フェニーツェの客になれると思うほうがおかしい。という私も、十数年前に一度振られたことがあるから偉そうにはいえないが。

 

ビザンティンとの出会いサン・サルバトーレ教会でのコンサート形式の『トラビアータ』は、予想をはるかに上回るものであった。

コンサート形式といっても、10人ほどの歌手は、それぞれの役になりきった衣裳、演技で、狭い舞台ながらしっかりと演技し、大道具、背景も、コンパクトながら舞踏会、別荘、病院と、それなりに作られていた。

簡単なプログラムを見ても、知っている歌手はひとりもおらず、このひとたちがイタリア各地の無名歌手、新人歌手の寄せ集めであることは明らかだったが、2幕目に入ったころには私の心をすっかりと捉えてくれており、200人ほどの観光客の中、リーダー、音頭取り意識もあって、ブラーボ! ブラービ! せっせと掛け声を飛ばした。

そして、2、3か月前の日本でのことを思い出していた。

立て続けにふたつのオペラ、しかもコンサート形式による舞台を観た。

ひとつは練馬区大泉学園の小さなホール。もうひとつは江東区のやはり区の施設ホールで、どちらも二期会の若い会員、準会員、つまり勉強中の歌手、歌手の卵たちの自主公演のようなものだったが、その日本での舞台と、ヴェネツィアでの舞台をどうしても較べてしまう。

おとなと子供。同じマイナーリーグでもAリーグとAAAトリプルAリーグ。

平均実年齢もこちらのほうが高いようだが、それも含めてオペラ歌手、オペラ文化の層の厚さの違い。それを思い知らされた。

ビザンティンとの出会い日本に帰ったら、またケツを引っぱたいてやろうか。 翌日も、またなにかあると思って街をうろついて、今度はサン・マルコ近くのこれは教会ではなく昔の貴族の別宅といった建物で行われていたヴィバルディ・コンサートに入ってみた。

いうまでもなくヴェネツィアの生んだ大作曲家で、赤毛のため“ボンツォ・ロッソ“赤い司祭と呼ばれていたヴィヴァルディだが、このコンサートは、弦楽四重奏の中世風の衣装といい、ときおり“英語で!”飛ばすジョークといい、あくまでも観光客用。それでも、ワンドリンク付きでいただいたワインのお代わりなどして、それなりに楽しい2時間ではありました。もういいけれど、ね。

 

さすがにもう行きたいところも余りなくなって、昔幾度か訪れ、滞在もしたリド島にも行って、間違えて入ったシナ人経営の店で死ぬほどまずいピッツアを食べたり、まるまる一日、ホテルのテラスで、この前買った美術書を読んだりしていたが、今日、思いついてサン・マルコの裏手、サン・ザッカリアの裏街を歩いてみた。

これまでに3回ほど、そうだ、私が過労でぶっ倒れて死にそうになった8年前にも滞在していた小さなホテル。あのときおろおろと心配してくれた、いかにも旧貴族といったおじさん、確かシニョール・カザロマーニ、あのひとは元気だろうか。そう思って歩いたのだが、その建物はあっても、そこはもうホテルではなくなっていた。滅び、の美学はここにも及んでいる。

 

ビザンティンとの出会いひと通り少ない裏道を歩き、小さな橋を渡るとすぐ、よく見ないと通り道とも思えない細い路地の突き当たりに、他とは少しデザインの違う教会があった。

地図を見てわかった。ギリシャ正教会。

石塀に囲まれた小さな前庭に、数人の男女が集まっていた。観光客ではない。ひとつの家族のためだけのミサがいま終わり、帰るところらしい。みんなギリシャ人らしい濃い顔をしていた。

ひとがいなくなった教会を覗いてみると、小学校の教室のようにがらんと明るく、背の高いとんがり帽の僧侶がミサのあと片付けをしていた。

ビザンティンとの出会い教会の隣に2階建ての小さな建物があり、司祭館か事務所かと見たが、入り口横のプレートはギリシャ語で読めない。学生時代は、読むことくらいはできたのにな。

恐る恐るドアを押し、すぐ中にあった階段を上がっていくと、来客ひとりいない静寂の中、若い女性が椅子に坐って本を読んでおり、その奥のひと部屋だけのフロアの壁にはずらりと絵が飾られている。絵、というより、もちろん宗教画らしいものもあるが、木で作られた祭壇画であったり、額に納められたイコン風の装飾物であったり、

「もしかしたら、ここは」

「ブオン・ジョルノ。シ。そうです。ビザンティン美術館です」  

こんなところにあったのか。  

さっと見るだけなら15分もあればすむだろうその場に、私は1時間以上いた。  

ビザンティンとの出会い黄金を多用し、遠近感のない、どこか稚拙なビザンティンの絵。いま地中から掘り出されたばかりのような、崩れそうでいて頑健に耐えている祭壇画。ヨーロッパなのか東洋なのか。男なのか女なのか。謎を刻んだイコンの数々。  

心が宙に浮くような不思議な感覚で美術館をあとにし、もうどこに行く気にもならず、ヴァポレット乗り場へと歩きながら、私は思っていた。  

ビザンティンに行こう。    

 

ホテルに戻って、時差を考えてから日本に電話した。  急な用事があって、あとしばらく帰らない。よろしく。

イタリアの中の唯一のビザンティン、ラヴェンナへは、レンタカー以外には列車を利用するよりほかはない。

 

ビザンティンとの出会い

 

 

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