


いいひとになっちゃったかな
もう9か月も前のことか。
と、いまさらのような感慨が押し寄せてくる。3月11日はそんな日だった。
あの日の午後2時過ぎ、未紗と2匹の犬は1回のリビングルームでくつろいでおり、私は2階の書斎で、確か中世のフランドル美術に関する本を読んでいたはずだ。いつも通りののんびりした、いかにも隠居老夫婦らしい昼下がり。
そんなとき、閉じていた、というかスリープ状態になっていたパソコンからかぼそい、それでいて奇妙に耳につく音が発せられ、同時に消えていた画面が立ち上がり、そこに緊急時事態発生を知らせる映像と文字が映し出された。なにかたいへんな事態が起こったらしい。
北朝鮮のミサイルが大量に飛んできたのか。シナの軍隊が海上の国境線を越えて日本に攻め込んできたのか。あるいはアメリカとシナがようやく開戦したのか。
瞬時いろいろな想像が走ったが、階下の未紗の悲鳴が届いた。
「大きな地震が来るんですってよ」
読みかけの本を投げ出し、書斎を飛び出した。
いつものようにエレベーターの呼び出しボタンを押して、あっと思った。地震のときにエレベーターはないだろう。
犬が上がり降りしないための木製の柵を押しのけ、階段を下りた。2匹の犬は喜んで足にまとわりついてくるが、未紗は部屋の中をうろうろ、おろおろ、意味もなく歩きまわっている。まだ地震は来ていない。
つけっぱなしのテレビの画面には、大きな文字の“緊急地震速報”が映し出され、アナウンサーのわざとらしく抑えた声が“安全の確保”を叫んでいた。
私がソファに坐り、改めてテレビ画面を見ようとしたとき、地震は来た。
ドン、と、たとえば床が抜け落ちたような感覚が走り、なにかザーッという音が聞こえた。いや、聞いた気がした。
そして、まもなく、おもむろにといった感じで揺れが来たのだ。
ソファがせわしないボートのように揺れた。
低いコーヒーテーブルに置かれたフルーツが山盛りになった大皿が滑って落ちそうになり、なんとかとどまった。
グレープフルーツがひとつ皿からこぼれて床に落ちた。
隣のダイニングルームの天井で、10本ほどのロウソクを立てた形のシャンデリアが回転ブランコのように揺れていた。
そのダイニングテーブルにつかまって、未紗はいまにも坐り込んでしまいそうだ。どうしよう、どうしようと、言葉にならない声を繰り返している。
そんな未紗に、ともかくその大きなテーブルの下に潜り込め、と指示し、なにが起こっているのかわからないまま、それでも、それだからこそ恐怖を感じて、膝に飛び乗ってくるプーリーとドゥージーを抱きとめ、抱え込み、背を丸めた。
大地震の際、テレビなどの大型家具が宙を飛んできた、という話を思い出し、もしそうなったら受け止めるかはねのけるかすべく、大きなクッションを身体の前、2匹の犬の前に持って身構えた。
ワインラックにさかさまに吊るされたワイングラスたちが、まるでヨーロッパの村の教会の晩鐘のように、賑やかで澄み切った音を響かせ続けていた。
出来上がって、引っ越してきて、まだ4カ月しかたっていないこの家が、崩れたり倒れたりすることはまさかないだろうとは思っていても、この尋常ならざる揺れにはどう対処していいかわからないまま、私たちふたりと2匹は、なすすべもなく小さくなっていたのだった。
地震は、やがて去った。
「大きかったね」
「怖かったぁ」
「なにか壊れたものはない?」
「屋上のパーゴラや植木は大丈夫かしら」
などといいながらも、私たちはもう安心を取り戻していた。日本は地震国なのだから、こんなことは珍しくない。大騒ぎすることはないさ、と。少し前の自分たちを恥じるような思いにもなっていた。
本当に大変なこと、日本の、あるいは世界の歴史、未来を変えるほどの事態、災害が現実のものとなったのは、それからのちことであった。
東北地方の惨状が次々に明らかになっていき、多くの日本人の意識を変えた。私も変わった。
これまで、このような大きな災害、事件が起こるたびに、いろいろ考えたり、怒ったり、嘆いたりはしていたが、その感情、感傷が長続きそることはなかった。
アメリカの地にあって、ニュースとして知った阪神淡路大地震。まもなく自分たちが暮らすことになっていた場所のすぐ近くで起こったセプテンバー・イレブン。ニューヨーク・マンハッタン・世界貿易センタービルの、イスラム狂信者によるテロ攻撃、無差別殺戮。
それらの災害の直後には身の震えるほどの激情を抱いたものだが、それはまもなく消え去った。
ま、俺には関係ないか、と。
だが、今度だけは違っていた。ひとごとではない。ニヒルに構えている場合ではない。なんとかしなければ。なにかしなければ。
といって、私になにができようか。
災害から3日のち、逗子駅前の銀行と近所の郵便局を回って、赤十字を通じての寄付を申し出、振り込んだ。その額、わずか100万円。
私のその行為をあとで知った未紗も、ひとりバスで同じコースを回って同じような寄付をしたようだ。未紗は金額をいわないが、彼女の性格からして、私より少ないはずはない。
だが、そのほかに、私たちになにができようか。
できることは、するべきことは、なにもしないこと。
能天気に、葉山はいいよぉ。ワインがおいしいよぉ。プーリーとドゥージーは大きくなったよぉ。などといわないこと。書かないこと。
身をすくめ、肩を落とし、ただただ、ひとびとの再起を願い、この国の平穏を祈る。これが、まもなくこの世を去っていく私たちができるただひとつのことではないか。そこに、いい子ぶりっこの照れくささも、関係ねぇよ、の思いも、自分になにができようか、の自己卑下も、ない。
ということで、このエッセイ、3月のあのときから10月の終わりまで8か月、お休みをした。お休みというより、もうやめてしまうつもりだった。
だが8か月が限度だった。仕事としてでも、義理でも義務でもなく、なにかしら外に向かって発信し続けていなければいられない。おしゃべり、といわれても、自己顕示欲、といわれても、少し違う気はするが、ま、いいだろう。これが私の本質であり、美意識の依ってくるところでもある。
だから、自分も変わったな。いいひとになっちゃったなと思う一方で、なにひとつ変わっていない自分を見るのも、これまた仕方のないことだ。
8か月間、このHPの更新、編集に関わる経費。クレジットカードからの自動引き落としも、オートマティックにストップされていたが、これも復活してもらった。停止期間中、その経費の分、ワイン代が増えただけだから、あまり意味のある話ではない。
こうして、お休みのわけを説明するのに3回もかかってしまったが、次回からはまたしても、能天気なお話をしていこう。