
WEEKENDLESS II - 24
いまさらいうことでもないのだが、歌舞伎座の公演というものは、毎月初めからだいたい26日あたりまで行われている。昼の部と夜の部はあるが、その約1か月間は毎日同じものをやっているので、いつ見に行っても同じだ。
だから、ほかの用事がないときや、天気が悪く、ゴルフやボートに向いていないときに出かければいいようなものだが、そうはならないのが私の悪い癖なのかもしれない。
なにごとも締め切りぎりぎりでなければ仕事をしない。明日できることを今日するな、という自分なりの教訓を守っているというか、長年にわたって多くの編集者をはらはらさせてきた。それでいて締め切りを外したことは一度もないのだから、われながら偉かった、と自慢しても、それだけ粗製乱造、やっつけ仕事だったわけだからなんのことはない。
話がいきなりそれたが、要するにいつだって月末ぎりぎりにならなければ歌舞伎座に行かなかったといいたかったのだ。
9月もそのつもりでいたのだが、月半ばになってはっと気がついた。この月末には大型連休なるものが控えているではないか。連休中の歌舞伎座というものがいかに騒がしいか。わけのわからない客で埋め尽くされているか。それを知らないわけではない私は、そこで大慌てで歌舞伎座に駆け付けたのであった。禁を破って月の中旬に。
それなのに、なんだ、この混みようは。
通しチケットのようなものがあるからいいものの、そうでなければ入ることさえできなかったはずだ。S席、A席からひと幕だけの立見席に至るまですべてソールドアウト。ほとんどの席を、年配の女性客、はっきりいっておばさん、婆さんが埋め尽くしている。バスツアーの団体さんが重なったんだろうな。そんな中にぽつんと坐る気恥ずかしさと、ため息をつきたくなるような後悔。本当はもう大型連休は始まっているのではないかと疑ってしまう。
大入りのわけはわかっている。この夜の演目のせいだ。
九月大歌舞伎・夜の部はみっつの演目でなっている。
「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」は「鞘當(さやあて)」と「鈴ケ森(すずがもり)」の2部に分かれており、続いて「勧進帳」、最後に「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」のみっつだが、ほとんどの客が「勧進帳」を目指していることは当然だ。なにしろ松本幸四郎、市川染五郎父子に叔父の中村吉右衛門が顔を並べている。長年の幸四郎贔屓、プリンス染五郎ファン、「鬼平」吉右衛門好きという、3世代を見事に取り込む顔ぶれといわざるを得ない。
それに、これは私見だが、ここ数年間にわたる團十郎、海老蔵の成田屋ブーム、勘三郎、勘九郎の中村屋が展開してくるゲリラ的風潮にいささか苛立ちというか、焦りにも似た思いを抱いている伝統的な歌舞伎の贔屓者、高麗屋好き者たちが、ここぞとばかり集まってきている。そんな感をも抱くのだ。吉右衛門は高麗屋ではない。播磨屋だ。などと茶々を入れないでほしい。高麗屋の次男で幸四郎の弟。それだけでも高麗屋筋ではないか。
私自身はどちらのファンということではなく、歌舞伎そのものが好きなのだが、そして高麗屋、成田屋、それに播磨屋も中村屋も、みんないい。みんな仲よく競い合ってほしいと思っているのだが、それにしてもこの夜は、おばさんパワーに圧倒されながらの観劇となった次第であります。
まず「浮世柄比翼稲妻」。
これはいうまでもなく「天保六歌仙」。播随長兵衛、白井権八、不破伴左衛門、名古屋山三といったそれぞれにひと癖もふた癖もある連中に、腰元の岩崎、身売りして傾城・葛城太夫、遊女・小紫が絡むけれん味たっぷりの江戸草子。いやぁ、久々に昔の歌舞伎を堪能した気分だ。
名古屋山三の染五郎。お若いのに御立派。胸がすく切れ味を見せてくれた。
播随長兵衛は吉右衛門。貫録十分。ぐいぐい押し切っていく迫力ある啖呵の数々。 江戸の小粋なひとびとは、こうした舞台を見て日ごろの憂さを晴らしていたんだろうな。それがたっぷりと感じられた。「高麗屋!」「播磨屋!」の掛け声でのどが痛くなっちまったぜ。
けれどもやはりメインイベントは「勧進帳」。
武蔵坊弁慶に松本幸四郎。
源九郎判官義経に市川染五郎。
富樫左衛門に中村吉右衛門。
奮いつきたくなるばかりの「男」の舞台。
普通の家庭なら、夕食のあとビールでも飲みながら、揃って巨人阪神戦でも見て「おらーっ」などと叫んでいるような3人、お父さんと息子と叔父さんが、このような名作舞台を見せてくれる。歴史伝統に支えられた名門名家。その素晴らしさがひしひしと伝わってくる。前にも自慢げに書いた記憶があるが、こちらのおじさん、つまり私も、その昔、この3人と一緒に食卓を囲んだことがあるのですよ。ま、取材、インタビューの流れではありましたけどね。
舞台そのものもいうまでもなく完璧。もう幾度となく観てきた「勧進帳」なのに、まるで初めての観劇のように、新しい驚き、新しい感動。これも名手揃いの歌舞伎舞台ならではのものだろう。
といいながら、どうしても較べてしまうのが、もうひとつの「勧進帳」。そう、成田屋「勧進帳」だ。
成田屋の「勧進帳」も数回は見ているし、3年前、パリはガルニエのオペラ座を借り切って2日間にわたって催された「KANJINCHO」。これは出発前の東京での稽古の段階から見ている。
成田屋の「勧進帳」は、父・團十郎と・子・海老蔵が、弁慶、富樫役を交代で演ずるものだったが、やはり團十郎弁慶と海老蔵富樫のほうがよかった。弁慶の豪快で重厚な悲しみと、富樫の凛々しくも爽やかな心情が一層際立っていた。
それに較べての今夜の高麗屋「勧進帳」。
幸四郎弁慶の抑えに抑えた「内なる芝居」に、これも本心を隠して相手に迫る吉右衛門富樫。その舞台から立ち上ってくるのは、かぐわしいばかりの気品、風格であった。
と、比較してみていえることは、派手で男くささの成田屋芝居と、気品と完成度の高麗屋といえるのではないか。高麗屋が山の手の上流に、成田屋が粋筋を中心とする下町で、200年あまりにもわたって、それぞれ人気を二分してきたわけがわかるような気がする。
おばさんの渦に巻きこまれながら歌舞伎座の階段を下り、それでも今夜の私は素晴らしく幸せでありました。
小沢民主党が政権をとったり、シナが本性を現してのさばってきたり、ロシアが開き直ってオドシにきたりと、世の中不愉快なことばかりだが、そんな気分の悪さもこの「勧進帳」が洗い流してくれたようだ。そうか。江戸のひとびとも、こうやって浮世を忘れようとしていたのか。

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