
WEEKENDLESS II - 21
いくら会場が山深い場所にあるからといって、開場5時というのは早すぎるのではないか。そんなことを思わせる薪能だった。
夏の終わりの太陽は、まだかなり高い所にあって、鬱蒼たる杉木立から木漏れ日が降るように注ぎこむ。さすがに季節的に、暑さはほとんど感じられないが、眼が痛くなるほどのまぶしさは、やはり空気が澄んでいるためだろうか。そんな木立の上から、真夏のような油蝉の鳴き声が休む間もなく響いている。
油蝉はやがてひぐらしへと変わっていくのだが、無人の能舞台の正面と脇正面(わきしょう)にびっしりと並べられたスティールチェアはもう半分以上埋まっていて、5時半の開演を待っている。
今年で33回目となる中尊寺の薪能に、私は初めてやってきている。
中尊寺という観光名所に、ある疑問、ある種否定的な先入観を持っていて、ここを訪れることがなかったという話も、その先入観が間違っていたようだということも、前回のこの場で白状したが、それでもこの薪能がなかったらここに来ることはなかったろうというのもまた事実ではある。果たしてきてよかったとなるか、やっぱり来なければよかったとなるか、それはこれからの3、4時間が決めてくれることだ。
中尊寺に到着したのは昨夜のこと。夕刻の短い時間、中尊寺のいわゆる観光スポット、金色堂や讃衡蔵(さんこうぞう)、数多い国宝や重要文化財などを見物、拝観して過ごし、夜は近くのひなびた温泉旅館でひとり酒という穏やかなときを過ごし、この日、ゆっくりと再び山を上がってきたのだが、それにしても開演までなにもすることがない。東京から持ってきた1冊の本も、前夜読んでしまった。
仕方なく境内の石のベンチに坐って、中尊寺のパンフレットなどを眺めて時間つぶしをしていた私は、5時の開場を待ち切れずにわきしょうのスティールチェアについた。それにしても5時は早すぎる、とはもう書いたか。なにもすることがないと話がくどくなる。
そうするうちに会場は徐々にふさがってきて、昼間の明るさが少しも去らない5時半の開園時間を迎えた。
といってすぐに薪能が始まるわけではなく、客席の後方、客たちには見えないところでの“火入れの儀”が行われ、これが延々20分余り続く。この薪能は“中尊寺薪能”とうたわれてはいるが、この“中尊寺”は単なる地名であって、本来は中尊寺の境内にある白山神社に献上されるもの。だから、“火入れの儀“を仕切るのは中尊寺の僧ではなく白山神社の宮司ということになる。もっといえば、名称も“白山神社・喜多流・薪能 於中尊寺”。
こうして会場の数か所に置かれた松明、薪に火がつけられ、そのころになってやってきて席がわからずにうろうろする客も多く、さらに待たされた末にようやく始まった薪能。長かった。私の話も長かったが。
能「箙(えびら)」。
えびら、とは矢筒のこと。弓矢の矢を数本差しいれて、戦いの場で背に背負う武具の一種だが、この箙が象徴的に使われている物語。
旅の僧が須磨の生田川のほとりで見事な梅の花を見て、居合わせた里の男に尋ねると、この男はこの地で行われた源平の戦い、生田の森の合戦で、源氏の梶原景季がこの梅の枝を手折り、それを自らの箙に差して戦い功名を得たことから、この梅を“箙の梅”と呼ぶようになったと話す。
もっと詳しく聞きたいと、僧が一夜の宿を乞うと、男は自分こそが梶原景季の幽霊であると告げて梅の木陰に消え失せる。
さらに梅の木を離れがたい僧の前に、箙に梅の枝をさした若武者姿の景季が現れ、昔の戦いぶりを再現して見せ、僧に、自分はまだ成仏していない、回向を頼みますといって姿を消していく。
という物語だが、この能の持つ意味、描かれた若武者のゆかしさなど、理解できた観客がどれほどいただろうか。動きの少ない能で、衣裳の持つ意味も言葉も分かりにくく、ただただ抑揚もなく続く。会場に幾人かは見られた専門家、能のコアなファンのようなひとならともかく、そしてそうしたひとたちばかりが集まる都会の能楽堂ならともかく、観光ついでにやってきたひとの多い薪能に、この演目はいささか無理があったのではないだろうか。
私の周りにも、始まってすぐから居眠りを始めた客は多かったし、パンフレットのあらすじを読んで懸命に理解しようとしているひとも少なくなかった。
このような客たちに中に、ほっとしたような空気が流れたのは、短い休憩をはさんで始まった野村万作、万斉父子による狂言「樋の酒(ひのさけ)」。この有名人ふたりが現れるとそれだけで目を輝かせ、身を乗り出す客たちの姿は、まるでファンクラブの集まりだ。
だが考えてみると、狂言というものは能と能のあいだに挟まれた寸劇、コメディリリーフであって、決してメインイベントではない。昔のストリップ劇場でのコントと同じように、それを目的に見に行くといったものではない。
しかし、ストリップがほとんど滅びたのちも、コント出身の芸人たち、いまのビートたけし、昔の渥美清たちがトップスターの座に居坐っていたように、狂言そのものが能から離れて一大芸能となったのも、時代の流れではあるだろう。能に較べて狂言がはるかにわかりやすいことも、その流れを加速させたのは、客たちが一挙に目を覚ましたことでもわかる。
こういうことがあるから、この中尊寺薪能のポスターには“野村万作、野村万斉の”というキャッチフレーズが書かれているし、それで客も集まるのだが、野村父子はいまいったようにあくまでも寸劇の役者。この薪能が喜多流の公演である中で野村父子は和泉流。どれをとってみても主役ではない。キャッチフレーズになるべきものではない。
だが、それでもあえて、この有名父子に応援を頼み、主役風に扱わなければならないところに主催者のジレンマがある。
気持ちはわかるけどね、といったところなのだが、しかし薪能という、本来は神社に、神に奉納するのが目的の芸能に、集客努力が必要なのだろうか。静かな山奥の神社の境内で、見るひとも少なく、ひっそりと行われる。それが薪能ではないだろうか。
などと時代遅れなことを思いながら見た「樋の酒」だったが、さすが野村父子。十分に楽しませてくれた。
話は単純で、主人に留守番を頼まれた太郎冠者が、さびしさに負けて主人が大切にしまっている壺の酒を飲み始め、隣の次郎冠者も加わって盗み酒を続け、帰ってきた主人に叱られるという、ただそれだけの話。
私のうしろに坐っていたいわゆるキョーゲン・ファンと思しき若い女性ふたりが、周囲に聞えよがしに話している。
「このキョ―ゲンにはお砂糖バージョンもあるのよね。お砂糖がお酒に変わっただけよね」
知ったかぶりも結構だが、間違えてはいけません。
彼女たちがお砂糖バージョンという狂言は、「附子(ぶす)」という演目で、外出する主人が、これには毒が入っているから開けてはいけないといっていた壺を恐る恐る開けてみると、中には甘い砂糖が入っていて、留守番のふたりは思わず全部食べてしまい、これではこっぴどく叱られると思って、今度はその場にあった貴重な皿や食器を床にたたきつけて割る。そして帰ってきた主人に、うっかり皿を割ってしまったので、死んでお詫びをしようと毒の“附子“をなめてみたのに、全部なめても死ねないで困っています、といいわけをするという、さらにオチのきいた小噺。「樋の酒」とはまったく別物なのだ。
なるほどね。こういう客でも来てほしいんだろうね。
第2部ともいうべきもうひとつの能「杜若(かきつばた)」は、『伊勢物語』に描かれたいくつかの恋物語を、美しく着飾った女性(によしょう)が舞い踊るという話はいくらか宝塚風ではあるのだが、やはりそこが能舞台、初めて見るひとにはストーリーさえ理解できないだろう。というよりストーリーなどあってなきがごとき能なのだ。それに同じような舞いの繰り返しで、現代の観客には長すぎる。案の定うしろのふたりのお嬢さん、肩を寄せ合うようにして爆睡中であった。
この中尊寺薪能が終了したのはもう9時近い時刻。ほとんど暗闇の参道をそろそろ歩いて下のバス停まで降り、振り返ると、中尊寺の深い森が黒々とシルエットとなって夜の空を埋め尽くしていた。
また来ることがあるのだろうか。

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