
WEEKENDLESS II - 20
それは思いがけない出会いであった。こんなところにいたのか。
観光案内所、土産物店、そば屋などが立ち並ぶバスターミナルから、月見坂と呼ばれるゆるい上り坂を行くと、そこにほんとうの入口があって境内に通じているのだが、その道脇に、足もとからすぐに続く池が広がっている。ぞろぞろと歩く観光客に続いて進んでいてはっと気がついた。水面をおおう水草の中に、ぽつんと小さな花が開いているではないか。
これが噂に聞く中尊寺ハスか。こんなところにあったのか。
藤原泰衛の墓に、副葬品の一つとして首桶に納められたハスの種。それがいまからわずか数十年前に発見され、さらに半世紀ののちまさかとの思いのもとに水に放たれるや、翌年には芽を出し葉を伸ばし、ついには桃色とも黄色ともいえる花を咲かせた。
800年あまりも眠り続けたハスの種から開いた花なので、中尊寺ハスとは別に“古代ハス”とも呼ばれて、それから幾代にもわたって咲き続け、中尊寺観光の目玉のひとつになっているはずだった。
それが多くのひとがすぐそばを歩きながらも、ほとんど気づかれることのないこうした場所にあったとは。
ひと群れから少し離れて水際に進み、私は身を乗り出し、目を凝らしてハスの花を眺めた。
“古代ハス”だからそう感じるのではなく、その花は不思議な力でわたしを捉えていた。こんなハスは見たことがない。
たとえばクロード・モネが数多く描いたハス“睡蓮”の溶けるような色彩の洪水とは違う。多くの仏教画に見られる、人工的に豪華で押しつけがましい“蓮”ともまた違う。
“古代ハス”は、目立つことを厭うかのように、ほかの水草の影に隠れるように、ひっそりと、つつましやかに花開いている。その控え目な姿にこそ、まさに古代の面影、アーカイックな息づかいが感じられ、目が離せなくなった。そして思う。中尊寺というところは、こうした場所ではないのか。
藤原4代の栄華、とか、金色堂など、伝えられる中尊寺は、きらびやかで豪勢で華やかで、といった、似た例をあげれば日光東照宮のようなものを想像させていた。それだから、東北には幾度も旅していながら、この中尊寺には足を向けたことがなかったともいえるのだが、この“古代ハス”との意外な出会いで、私の先入観をもろくも崩れ去ったのだ。
中尊寺は、そんな傲慢な観光寺ではない。私にとっての大発見であった。
2週間の北海道から帰京して中ふつか、新幹線で東北へと向かった。岩手県平泉の中尊寺に行かねばならない用事を思い出したのだが、仙台か盛岡か迷った末に、仙台から定期観光バスを利用することにした。東京から車でもよかったのだが、折からの帰省ラッシュが報じられており、安全策となったのだ。
中尊寺に着いたのはもう午後も押し迫った時刻で、それだからバスの同乗者の数が少なく、先に来ていた多くの人たちもすでに帰りかけている時間帯だったが、それでも一応境内を見て回ることにした。
まず金色堂から始めないわけにはいかないではないか。
といって、これまで避けるようにしてきた中尊寺だったので、私の知識はあくまで観光パンフレット、バスガイドの説明の域を出ないのだが、この金箔に覆われた阿弥陀堂は天治元年(1124年)の中尊寺創建当初からの唯一の遺構だそうだ。4本の巻柱(まきばしら)や須弥壇(しゅみだん)、長押(なげし)まで白く光る螺鈿細工、透かし彫りの金具、漆の蒔絵に飾られ、包まれ、堂全体がひとつの美術品となっている。その中に本尊阿弥陀如来を中心に観音菩薩、地蔵菩薩、持国天、増長天が立ち並び、藤原2代清衡、3代秀衛の遺体と4代泰衛の首級を守っている。
と書いているうちにだんだん調子が出てきた。 このような古い寺社、仏像を眺めるのは嫌いではない。というより、そのためだけに幾度も幾度も京都、奈良を訪れているので、あまり関心のなかった中尊寺金色堂にも、いつしか親近感を抱くようになってきたのだ。
とはいっても、日光東照宮的なきらびやかさはやはり好きでないのだが、この金色堂の、金ぴかではありながらどこか控え目な面持ち、場違いなお洒落にいくらか照れているような風情には安心したというか、懐かしささえ覚えるのだった。徳川家の目立ちたがり田舎っぽさに比べて、やはり田舎者ではありながら、東北人のシャイネスというべきか。
仙台からの定期観光バスのガイドは、中尊寺が世界文化遺産に立候補し、選考で漏れた、先送りにされたことをえらく残念がり、怒ってもいたようだが、かえってよかったんじゃないのかな。無理して世界遺産になった中国地方のある銀山。押し寄せるそそっかしい野次馬、観光客でひどいありさまになっているというではないか。一歩引いて生きる。これもまたいいものですよ。中尊寺さんもそう思っているのではないかな。
続いて回った本堂も、明治の終わりに再建されたそうだが、急勾配の大屋根のこの建物にも、こんなお寺はどこにでもあるよ感がそこはかとなくいい。別に見てくれなくてもいいよ、といっているようだ。好きだな、こんなの。
あと讃衛蔵(さんこうぞう)は、いわゆる宝物殿だが、国宝、重要文化財などが300点余り収蔵されているというにしては、失礼だがいささかシャビー。本来は金色堂に飾られていた仏具や副葬品が展示されているのだが、ありがたさはさほど感じられず、こんなところにも、やーい、恥ずかしがってるね、という思いを誘う。 国宝の“中尊寺経”は、紺地の紙に金文字、銀文字を一行ずつ交書した“一切経”で、これを写経するためにいまも多くのひとがやってくるというものだが、建物全体が暗く、顔を近づけてみてもなにが書いてあるのか見えない。読めない。
そこで再び気がついた。
この日私が中尊寺に感じていた親しみ、ほほえましさ。その理由である中尊寺の控え目ぶり、恥ずかしげなさま、奥ゆかしさなどは、訪れた時間帯によるものではないのか。
晩夏というにはまだ早い気もするが、東北の山の中のここにはすでに秋の気配が漂っており、それでいてまだ色濃い原生林に近い杜の木立は、充分に陽ざしを遮ってくれている。つまり、境内全体がほの暗い。この黄昏めいた空気そのものが、中尊寺を“いいひと”に見せているのではないだろうか。
どうも今日は理屈っぽくていかんな、と、御影石のベンチに坐って反省し、周りを見渡すと、もう多くの観光客はすでに姿を消していた。こんな山の中で夜を迎えるわけにはいかないのだろう。
私はここで夜を迎え、朝を迎えるのであります。
私が中尊寺にやってきた真のわけは、このように金色堂などを眺めるためではない。中尊寺の奥にひっそりと建つ能楽堂で、年に一度行われる薪能。それを鑑賞するための訪問。だからこの日は、午後遅くになって到着したのだ。
中尊寺薪能、は明日夜に行われる。
中尊寺入口からタクシーで15分。大沢温泉旅館というのがこの日の宿。
温泉旅館といっても、民宿というか、僧坊に近い印象の質素なもので、かえってそれがよかったのだが、ちょっと気張った家庭料理といった食事と、5人も入れないような“大浴場”。
山の中なので、8時を過ぎた頃にはもう真っ暗で、白いカーテンの窓の外で野鳥の鳴き声がおどろおどろしいという、絵にかいたような田舎。
そんな夜、部屋の土壁にもたれ、テレビのナイターなどを眺めながら、買いこんできた地酒をガラスのコップでちびちび。おつまみはやはり土産物屋経由の笹かまぼこ。幸せな一夜ではあった。
薪能は次回の話としたいが、たったふつかのことを2回に分けるのは水増しではないか、とお疑いの皆さま。東京に帰っても、することは東京湾クルージングかゴルフ、いいのがあれば美術館、というあまりにも変わり映えのしない夏の終わり。ご寛容あれかし。
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